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「輝く青春時代」って誰が言ったんだ?マカピーな日々#0416

マカピーです。

東京都の狛江市にあった下宿は大家さんの名前をつけて「イシイ荘」という2階建て木造アパート。もともと小田急電鉄の独身寮だったのは本当らしい。

ギシギシ床が鳴る廊下を上り、「すりガラス」のはめ込みのある薄いドアを開けると、薄暗い入り口に小さなガスコンロ台があり、その奥にはいかにも当時の青春に相応しい?占有空間「四畳半」があったのでした。

マカピーは、その窓を開けると農家でもある大家さんの緑の多い庭がみえる静かな環境と大家さんの面倒見が良いところが好きだったのは、おそらく東京に出てきても郷里を思い出させるからだったのでしょう。

駅前の新聞店の2階から市内でも駅からも遠いイシイ荘に住んだのは理由がありました。

マカピーは田舎から出てきて、新聞社の奨学金でなんとかやってみようと応募して、新聞店で暮らしながら新聞配達しながら学校へ行くことにしたのでした。

それが4年も続けることが出来ず、結局1年と3か月で辞めたので新聞店の2階に住み続けることが出来なくなったのです。

でも東京をイメージできるような人口集中地域や商店街などを避けていたのと、新聞店時代の仲間が多くたむろすイシイ荘しかアパートを知らなかったので越してきたのでした。

イシイ荘には当然?風呂がなく歩いて5分ほどの松の湯(銭湯)を利用しました。入り口側に共同トイレと廊下のおくつきに洗濯場があったのはいかにも独身寮らしい設計でした。

そこを「大家さん」と呼んでいた「イシイのおばちゃん」は農業のかたわらトイレなど共通施設の管理をしていました。

陽が高くなってもマカピーが万年床でひねもしていると、突然ドアが開いておばちゃんが「たまには、布団を干さないとカビが生えるよ!」と声をかけてくるので、初めてドアに鍵していなかったことに気が付きました。

というかイシイ荘で自分が部屋にいる時は、殆どカギをかけた記憶がありませんでした。そんな時代だったんでしょうね。

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ある日の事でした。同じく元新聞配達仲間のヨコヤマが部屋にあそびに来ていたのですが、マカピーは畳の上にグデーっと寝転がって立ち上がる気力がありませんでした。

マ:「暇だなー。なあ、なんか面白いことないかー?」

ヨ:「・・・ないなあ、なんも・・・」

マ:「・・・あーあ(アクビ)っと。そうか、そうかそうだったんだの草加せんべい

ヨ:「なんだそりゃ?」

マ:「ダジャレもしけてきて、せんべいもパリッとしない季節だなあ」

ヨ:「梅雨入りして、ここんところずーっと雨だもんな。気が滅入るよ

マ:「へ? お前はこの間は晴れてる時だって 気が滅入ってる って言ってたぜ。結局はさ、晴れても雨でもこうしてダーラダーラしている俺たちって、なんか生産性のない役立たずって感じだなあー」

ヨ:「そうだなあ。 ところで、おまえ今日は休講なのっていうか、学校行かんでいいの?」

マ:「だから・・・行く気がしないんだよ。おれってもしかして神経衰弱で学校不適応症なんかもしれんなあ、きっと」

ヨ:「じゃあバイトも行かないんだ?そんなに具合が悪いっていうんだったら早めに連絡した方が良いぜ」(階下に赤電話が一つありました)

マ:「(ガバッと起きあがり)そうだよ、思い出したぜ!今晩はバイトの後で研究室のコンパがあるんだ。俺さ、大人の雰囲気を持ったヨーコ先輩に憧れてんだよ。もう実験室で二人っきりになったりしたら心臓が飛び出ちゃいそうなくらいシアワセなんだ、分かるかい?」

ヨ:「ハイハイ、どこが神経衰弱なんだよ!俺の見立てだと、お前は十分馬鹿だけど正常だ、よかったな。 それからせっかくの学費がもったいないだろう、ちゃんと学校行けよな!」

マ:「(時計を見上げて)・・・オッ まだ間に合いそうだ。じゃあ行ってくるわ。じゃあな!」

ヨ:「ヨーコ先輩によろしくー!」

マ:「お前には絶対会わせないぜ!彼女がお前を見ただけで俺の人格が疑われるからな」

ヨ:「じゃあな!」

光り輝かなくても青春には違いなかったあの頃の一コマでした。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。青春グラフィティ




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