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元気を取り戻した母との会話 マカピーな日々#0330

マカピーです。

1週間ぶりに郷里の母とSkype電話すると、体調不良のようでガラガラ声でした。

母:「今日はのどが痛くて、楽しみにしていたグラウンドゴルフも行けず、朝食も食べられないの」

と、かなり気弱に不調を訴えているのです。

おやおや、ガラガラ声は本当でしょうけど、それに時々発生する不定愁訴が加わっているとマカピーは判断。

そこで、その事にはあまり触れず、こちらからあれこれ尋ねる作戦に出ました。

マカピーは陸軍の将校だった祖父の軍歴を知ったので、自分史に興味を持ったついでに母の姉妹つまり叔母たちの生年月日あたりから質問しました。

母の最初は返答が曖昧で「よく覚えてないわ」などと言っていたのですが、女学校の事に話が及ぶと当時の事がありありと思い浮かぶようで、いつものおしゃべりが復活し40分が経過していました。

自分から話し始めるようになるとしめたもの!

そうです。自分の症状を忘れてしまう代替え品を与える事が大切ですね。


マカピーの母は戦前教育制度から新制中学が始まる混乱時期に女子高校を卒業しています。しかも制度改正で中学と高校を4年で駆け抜けたらしいのです。そんなのありか?

母:「わたしは勉強が嫌いだったから早く卒業できてうれしかったの。学校が好きだったクラスメートにはさらに2年在学して卒業した子もいたわ」

さて、マカピーの父は7人の兄弟姉妹がいて、彼だけ中学入学試験に落ちて尋常高等小学校卒業でした。

マカピーの父は、とても研究熱心で農業で求められる手先が器用な人であると亡くなった後も尊敬しています。

しかし子供たちの成績の事では両親ともあまり口にすることはありませんでしたが、父母は「長男が家を継ぐのだから、次男と三男のお前たちは大学卒業までは面倒見る」といってその通りしてくれました。

それほど儲けのあるとは思えない養蚕と養鶏をしながら、マカピーたち三人の息子を私立大を卒業させたのは、相当の苦労があったと想像します。

それはマカピーが彼らと同じ三人息子を持ったことで、今更ながらに彼らの献身が分かり感謝するのでした。

父が学歴コンプレックスがあったのかは知りませんが、「比べるようで悪いから私はその事は言わなかったのよ」と今回母から初めて聞きました。

なるほどね。

そのあと、祖母の旧姓を確認し、その実家についても聞くことが出来ました。嫁いできてから舅小姑からいじめられていたとも母から聞きました。

幼少のマカピーの記憶では祖母は既に糖尿病が悪化して病弱でした。

それでも婿養子の父がとても祖母を大切にしてくれたのは、実母がリウマチで苦しんでいたから親身になれたのでしょうか。

マカピーの記憶でも在宅看護を厭わずに、終末期の祖父母に尽くしてくれたと感心するほどで、母は今でも感謝しています。

もしかすると、お互いにこの家の「新参者」であったから苦労が分かったのかも知れません。

母を元気づける長電話で、意外な自分の知らなかった我が家の秘密に気づかされたマカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。亡父からも自分の「ルーツ」に関することを聞いておけばよかったなあ!

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