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紅葉を踏みしめて マカピーな日々#0228

マカピーです。

義母を彼女の故郷の会津へ二泊三日の旅に行ってきました。

宿泊は東山温泉の千代滝でちょうど晩秋の紅葉の見どころが終わる所に間に合いました。


義母は懐かしい会津の酒とふるさとの味「こづゆ(ざくに)」もニシンの漬物も食べることができ満足した様子です。

何よりも高速道路(磐越自動車道)から、彼女の慣れ親しんだ磐梯山の雄姿が目の前に広がると民謡の「会津磐梯山」を歌い始めたのには驚きました。一緒に旅した姪っ子とマカピーの奥さんもそれに合わせて歌うのを聞くと、不覚にもマカピーは涙がこぼれそうになりました。


思い起こせば8月に急性の膠原病で体重が32㎏まで落ち込み一時は家族がその死を覚悟したところから、よくぞここまで回復したものだと感慨深いものがありました。

今回の義母の会津行きには目的がありました。

それは、彼女にとって最後になるかも知れないと覚悟した今回の旅で親しくしていた知り合いと親族のお墓参りしたい、次に同級生の実家に行って消息を聞きたいというのでした。

マカピーとしては、よくある話だと思っていたのですが墓参してみて驚きました。

亡くなった知り合いは無縁仏になっているだろうというのです。それは友人が亡くなる前に身辺整理をして、墓をつくらずにその手続きをしていたと伝え聞いていたからです。

とりあえずその墓地に行きましたが、「お義母さんどうします?墓石はないんですよね」「そうねえ」

「じゃあ、とりあえずあそこの管理事務所の近くにある花が沢山ある所へ行って見ましょう」

共同墓地ふうな場所へ車を止めて「墓碑とかがないからむつかしいけど、あそこで、その方の冥福を祈りましょう」と行きました。

すると、沢山の花瓶があるなかで一番手前にその方の名前の花瓶があったのです。

義母と二人して一足先にそこへ行った、姪っ子は「いやだー、びっくりしたわよ!まさか探している人の名前が目の前に現れるとは思っていなかったもの!」

皆でお祈りした後、友人の名前のある花瓶と一緒に記念撮影を撮りました。

次の難題が同級生の消息でした。

会津若松市内の古い呉服店出身の小学校の同級生(男性)は東京で官僚となって退職した後も、千葉に住んでいて数年前まで義母とクラス会を開いては親交を深めていたのだそうです。

それが、最近体調不良となったとは聞いたのだけれども電話をしても、家族と連絡が取れない状況となり会津の実家ならばその情報が得られるだろうと考えたのでした。

とは言っても戦時中の小学校の同級生の話です。会津若松市は城下町で古い町並みも残っていますが、そしてこのご時世で多くの商店が店をたたんでしまっています。地元の姪っ子の運転で義母の記憶を辿りながら付近をクルクル回って探していると、、、、、「あった、あった」

古い看板のある古い土蔵を改装したような店構えの古い洋品店でしたが、近所の学校の制服が購入できる指定店となって、かろうじて営業している様子でした。

義母とマカピーの奥さんが一緒に店に入ると、80歳代と思われる男性が店の奥にいました。足腰が悪いらしくそこから立ち上がる事もなく義母の質問に答えていました。

店内には「メリヤス」などの古い商品の額が往時を物語っていました。

そのおじさんから、義母のクラスメイトは体調を崩し既に老人養護施設にはいったままで、意思の疎通ができない状況だということが分かりました。また家族とも連絡取れない理由についても「それが、あの家族も全然ダメなんだ」と手を交差させて見せました。

「ところで、会津はどこに住んでいたんだね?」とおじさんは義母に向かって名前を尋ねるでもなくいきなり当時の話を始めました。

店を出て「気になっていたことが分かって良かった」と義母は納得したようでした。

「ところで、先ほどのあのおじさんは義母さんのクラスメイトの甥っ子さんかな?」

「さあ、どうでしょう。同級生と面影が似ているけれど兄弟ではなさそうだからそうでしょうね」

「お互いに名前も聞かなかったですね?」

「うん。今更聞いても、、、、ね」


地元の姪っ子の車で近くの背炙り山(せあぶり)山からの会津盆地と雪をかぶった飯豊連山(いいで)も眺めることができました。


さすがに疲れ気味で車から出ませんでしたが、駐車した車道からしみじみと故郷の景色を心に焼き付けているような義母がありました。


東山温泉には羽黒山湯之上神社があります。出発する朝にマカピーはひとりで本社殿のある所まで秋の落ち葉の中を歩きました。


驚いたのは建物が覆われていて拝殿するにはガラガラ音をたてて引き戸を開けて入る必要があるのでした。これは雪深い地方ならではの対策のようでした。

マカピーは普段賽銭を入れることはないのですが、今回は賽銭箱に財布のコインをすべて入れて「ここまで義母たちと旅ができました。ありがとうございます」と感謝し、落ち葉に覆われた石段を下りながら朝日に輝く紅葉はとても心に焼き付く風景でした。

そして、また来れる日がやってくることを祈りつつ晩秋の会津盆地を後にしました。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。マカピー的史観を毎日綴っていますので引き続きお読みいただけると嬉しいです。


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