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いろはにコンペイトウ マカピーな日々#0231

マカピーです。

羊羹(ようかん)などで有名な虎屋は室町時代後期の創業ですから、500年ほどの長寿企業なんですね。

日本てすごい長寿企業があるのですが、やはり昨今のコロナ禍でそうした会社も厳しいのでしょうか?それとも業態を変えながら生き延びて行く「知恵」を持っているのでしょうか?

そんな記事を読んでいろいろ考えていたら、ふっとマカピーの子どものころの数え歌?を思い出しました。

にいろはにコンペイトウ

コンペイトウは甘いよ

甘いのはサトウ

サトウは白いよ

白いのはウサギ

ウサギは跳ねるよ

跳ねるのはノミ

ノミは赤いよ

赤いのはほうずき

ほうずきは鳴るよ

鳴るのはおなら

おならは臭いよ

臭いのはうんこ

うんこは黄色いよ

黄色いのはバナナ

バナナは高い

高いのは十二階

十二階はこわいよ

怖いのはおばけ

お化けは消えるよ

消えるのは電気

電気は光るよ

光るのはジジイのハゲ頭

ノミの後がなかなか出てこないので検索すると、各地でいろいろな伝承となっていたのですね。

どうやらマカピーの場合はかなり正統?だったようです。それにしても関東大震災で倒壊した浅草十二階が歌詞に出てくるとは恐ろしく古いものですね。

マカピーはこの歌をいったい誰から教わったんだろうなあ?

学校で「イロハニホヘトチリヌルヲワカ・・・・」を覚える際にこの歌が邪魔をして「イロハニ」の後をつづけるとどうしても金平糖(コンペイトウ)に繋がってしまうので困りました。ヤレヤレ。


虎屋さんの話に戻りますが、甘いものを渇望した戦中派と呼ばれる世代はベトナムにもあります。

ベトナムは日本よりも長く戦争をつづけた国です。植民地政策を強いたフランスと戦い、日本から独立をし、更にアメリカを相手にいわゆるベトナム戦争を勝ち抜き中国と戦いさらにカンボジアに進駐するというながいながい戦争が常態化した国だったんです。

資源に乏しいベトナムは物量を誇る米軍に対してゲリラ戦で抵抗すると、米国はダイオキシンを含む「枯葉剤」をジャングルに撒いて不毛の地にしようとしました。


アリの巣のように地下に張り巡らされた物資・弾薬の供給網や地下指令室はベトナム南部のホーチミン市近郊のクチ・トンネルなどで見ることができます。

マカピーはハノイで働いていたころ、秘書さんのお父さんがマカピーとほとんど同じ年齢なのに、既に年金生活に入っている事に不思議になり聞きました。

彼は溶接工として長く働いていたので重労働者として一般の人よりも早く年金受給者となったのだそうです。

そして秘書さんに言わせるとベトナム戦争中は耐貧生活を強いられたのでこの世代には甘いものに対する渇望感が半端でないというのです。

ベトナムは中国文化の影響を色濃く残す国で、中秋節を盛大に祝います。7月から月餅が売り出されるのです。早すぎる!


しかも専門の月餅屋さんだけでなくホテルもファーストフードのロッテリアでさえ月餅を売るのにはびっくりしました。

重厚な菓子折り箱にはいった月餅はかなり高価でお進物の定番となりますがいろいろな味を楽しむことができます。

マカピーが住んでいたホータイ(西湖)近くのとおりに古ーい伝統的菓子屋さんがありました。そこには砂糖をかけたハスの実などもありますが極めつけが白い月餅でした。

白い月餅と普通の焼き月餅があるのですが、白い月餅は上新粉をつかっているのか白くしんなりしていて、京都の銘菓「生八つ橋」と「焼き八つ橋」の違いのような感じです。

中には水あめで固めたさらに甘いアンコがあります。白と焼きを二個ずつ買って帰りさっそく珍しい白い方をたべました。

一口でドーンと頭を突き抜ける様な「甘さ」に痺れました。

その後お茶を何倍もお替りして口の中の甘さを消すのに苦労するほど二度と手が出ませんでした。

マカピーはインドの甘いお菓子のミタイも食べられますが、このベトナムの白月餅は「無理」です。

マカピーの奥さんも少し舐めただけでギブアップ。

捨てるのがもったいなく事務所に行って秘書さんに訳を言って食べてもらおうとすると

「あの店の月餅は有名で、私の両親の大好物なんです。喜んで持ち帰ります」

「え?ご両親はこれが大好きなんですか?」

「戦中派の人は甘いものが欲しくても我慢していた世代なので、この甘さでないと納得しないらしいのです。でも私には甘すぎて食べられないですけど」

食べ物には歴史があり、時として涙するような逸話が隠されているものです。

マカピーでした。

最後までお付き合いいただき感謝します。これからもマカピー的史観を投稿しますのでよろしくお願いします。


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