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21回目の 9月11日

21回目の 9月11日がやってきました。 20年目の節目だった去年と違って、今回はニューヨーク以外ではほとんど報道も見られませんね。
 
World Trade Center では今年ももちろん式典が開催されます。 犠牲者の名前をひとりひとり読み上げ、その間のいくつかの重要な時刻には、黙祷の時間が設けられます。
 
私にとって September 11 attacks は、かなり特別な出来事で、つい 3年前までは人生の中で 1番重大な記憶でした。 (3年前にさらに重大なことが起こって 2番目になりましたが。)
 
その理由は何といっても、燃える炎やツインタワーが崩れる瞬間を、肉眼で目撃していたということでしょうね。
 
もちろん、直接の被害の影響度でいうと、ツインタワーの中にいらっしゃったかたが最大でしょう。 日本人としては、富士銀行の支店があったそうで、犠牲になったかたがいらっしゃるのですよね。 ご遺族やご友人のつらさや悲しみは、何年経っても癒えるものではないと思います。
 
自分は 500m ほど離れたところにいたので、そこまでの直接の被害は受けていません。 でも、目撃者としての立場では、最も近いところにいたひとりだろうなと思います。
 
実のところ、ニューヨークに住んでいる人でも、肉眼で目撃した人は多くないのです。 ましてや飛行機が突入した音を聞いた人は。
 
事後に友人と話してみると、誰かから連絡をもらって知ったとか、テレビに映っているのをずっと見ていたというような人がほとんどでした。 いちばん近かった人で、その時は地下鉄に乗っていて、地下鉄が止まったから学校にも行けなかった、と言っていたぐらいです。 (友人の友人、などのまた聞きだと、すごい体験談もありましたけれどね。)
 
私のいた BMCC という大学の学生にしたって、あんな朝一番の、8時台からの授業を取っている人はそんなに多くないのです。 あの時間に学校にいたというだけで、かなり少数派の部類に入ります。
 
ですから、自分の受けたあの衝撃を共有できる友人は、今までずっといないままなのです。 同じ教室にいたクラスメイトたちは、唯一同じ経験を共有する仲間だけれども、会っている時間が短すぎたからか、衝撃が強すぎたからか、それとも ESL のクラスだったからか、個人的に話ができるような友人には出会えませんでした。 あの日に行動を共にしたバングラデシュ人の子は、そのあと学校に来なくなってしまいましたし。
 
あの日に自分が目撃していたことを思い返すと、反射的に思い出すことがあります。
 
それは、あとから話した人のほとんどが、「映画かと思った」 と言っていたこと。
 
私はあの時、目の前の現実に圧倒されていた。 この場にいる人々以外の、それこそ全世界の人がテレビでこれを見ているなんてことにも、全く思い至らなかった。
 
想像を超える現実が目の前にあって、何もすることができず、ただ見ていることしかできなくて、こんなことがあっていいのかと、恐怖と悲しみと怒りがごっちゃになった気持ちでいた。 それまでの人生で経験したことのない気持ちだったと思う。
 
この間、これが映画の一場面だなんて、露ほども思いはしなかった。 どこにそんなこと考える余裕があっただろうか。
 
肉眼で現物を見ているのと、テレビなどの映像で見ているのは、自分たちが思っている以上に違いがあるのだ。
 
それはその日にタイムズスクエアまで来たときにも、似たような衝撃がありましたが。
 
映像というのは、「百聞は一見に如かず」 という言葉のとおり、多くのことを伝えてくれます。 映像は見たままを伝えているだろうし、そこに嘘はないでしょう。
 
でも、切り取られた映像は、視界の一部分しか伝えていないし、温度も匂いも感触もない。
 
実際にその場にいるのと比べると、映像って 「ちょっと見えてる」 ぐらいのことなのだと、これ以来私は思うようになりました。
 
言い換えると、映像だけでわかった気になってはいけない。 今の世の中は映像で溢れているけれども、この小さな画面に見えているものの何倍もの見えない現実があることを忘れてはいけない。
 
タイムズスクエアなどで、日本でもニューヨークでも報道されなかった光景に接したことも、私にとっては eye opener だったといえるかもしれません。
 
世の中に、報道されない、知られていないことは山ほどある。 というより、この世界の中で、人間が知っていることのほうが少ないかもしれない。
 
ともあれ、映像で見ただけぐらいのことを、知っている、わかっていると思い込んではいけない。 テロのことを思い出す度に、そんなこともいちいち頭をよぎっている自分です。
 

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