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堂林のホームランほど良いものはないな。

僕は堂林選手を応援しています。
一番好きな選手とかではありません。
ただなんとなく愛すべき選手なんです。

昨日横浜スタジアムにてカープvsベイスターズの試合を観戦してきまして
堂林のホームランを2本もみることができ、テンションが上がっています。

ということで「どうばやしとわたし」をまとめてみました。


どうばやしとわたし

僕は堂林選手と同い年です。
彼は高校卒業と同時にカープに入団しましたので、
そのときから応援していますが、ファンというよりも
頑張っている同級生をみているような感じなんですよね。

そんななんとも愛らしい堂林選手と僕の歴史を振り返ります。

高校時代

僕は高校まで野球部に所属していたのですが、3年の夏の甲子園決勝の
マウンドにいたのが当時中京大中京のエースだった堂林選手でした。
自分自身の最後の夏の甲子園決勝ですから鮮明に記憶しているわけです。

さらにこの年は「日本文理の夏はまだ終わらない」でおなじみの
10‐4からの最終回に5点をとって追い上げるあの試合なので、
多くの人にも印象に残っていることと思います。

このときの堂林は先発投手として登板後、ライトの守備についてから
6点のリードを得て最終回に再度マウンドに戻ります。
優勝の瞬間をマウンド上で迎える想定だったわけです、かっこいい!

ところがご存じの通りそこから日本文理の追い上げが始まり再度降板。
優勝の瞬間はライトにいました。愛らしい。

勝利後のインタビューでは涙ながらに「辛かった」と語りましたが、
イケメンなのでこれがまたウケたのですね。

しかしながらこの試合でホームランを打っている堂林はその打撃を買われ
野手としてカープからドラフト指名を受けました。

サード時代

カープに入団してから僕が堂林を認識したのは2012年。
当時の野村謙二郎監督が激推ししてサードのレギュラーを獲得。
全試合出場を果たします。

ホームランを14本放ち我々に夢を与えてくれた一方で
失策29
三振150
と、粗削りな感じが否めない成績。愛らしい。

翌2013年には野村監督が付けていた背番号7をもらいます。
いよいよ飛躍の年、誰もが将来の「4番堂林」像を思い浮かべたものです。

ちなみに僕は当時大学4回生。
初めての広島一人旅でズムスタを訪れた際に堂林のサヨナラホームランを
みています。今思うと現地で初めて観た堂林のホームランでした。最高。

さてこのころの堂林、期待されての強硬出場が多かったこと、
徐々に現れ始めた「カープ女子」からの圧倒的支持などもあり、
一部の古参カープファンからの反感を受け始めます。

「木村昇吾を使え」
「堂林が好きな奴はミーハー」
「背番号7をはく奪せい」

そんな声が多くなるんですね。

まあカープファンってそもそも
守備が上手くて小技が得意
みたいな選手を好きになる傾向が高い(俺調べ)から
ホームランもあるけど三振が多く、守備も下手
な堂林に対してヘイトが溜まっていったんでしょう。

顔がいいので、グッズもたくさんでてました。
謎のエメラルドグリーンみたいな色のユニホームが売られてました。

夏に大阪ドームに遠征にいったのですが、外野席でみてて
前の席に座っていたカップルが堂林の打席だけスクワットしない、
みたいなことをされてました。

そんなこんなで本格的な「サード堂林」はここからなくなっていきます。

外野時代

さて一番色濃いサード時代を終えたので、
ここからは少し影が薄くなります。

サードの守備に木村昇吾、ルナ、安部なんかがでてきて
完全に居場所を失った堂林は外野を守ることが増えます。

パンチ力に加えて、足も速いし方も強かった堂林としては
そもそも外野向きでした。

当時求めた「4番サード堂林」はなくなりましたが、
1番ライトとかでも出始めてこれはこれで期待できました。

ただ、外野も熾烈でして
丸が不動のセンターにいたし、レフトはエルドレッドや松山が日替わりで
新戦力としてロサリオ、鈴木誠也なんかも出始めてきたので
中々レギュラーに定着できない日々が続きます。

せっかく外野にコンバートされたのに出れないとは。愛らしい。

バント職人時代

これは僕の中の印象かもしれませんが、その後の堂林は次なる居場所を求めてバントが上手くなりました。

ベンチ入りしても代走とかファーストの守備固めでの出場が多くなり、
代打ででてきても送りバントする
なんてことも多かったです。

ホームランを打てる力を持ちながらチームプレーに徹する。愛らしい。


コロナ禍で覚醒

2020年の前半は堂林の時代になった。
コロナにより無観客で開幕したプロ野球。
覚醒して一時は4割打った。

ホームランも放つし、盗塁も決める。
守備では久しぶりにサードで出場した。

誰もが2012年の堂林が成長して帰ってきた、
と思ったことだろう。

しかしサード守備では順調にエラーを重ね、
ホームランも終わってみれば2012年と同じ14本止まり。

堂林の時代になりきらないのである。ああ、愛らしい。

現在

新井監督になった今のカープにとって堂林はやはり必要。

元々シーズンオフに一緒に護摩行をしていた仲ですし、
新井さんには可愛がられていることでしょう。

それを置いてもこの10年を経た堂林は
ホームランも打つし、盗塁するし、ファースト守備なら失策もなく、
ベンチにいれば代打、代走、守備ともに出場機会がある
なくてはならない選手になっています。

変幻自在の堂林。愛らしい。


まとめ

2012年から振り返るとわかりますが、
彼は実にいろいろな「堂林」をみせてくれました。

新人若手時代は正直、野村監督の贔屓ともとれる
我慢強い起用によりちやほやもされたが、批判もされた。

中堅となったからはチームに対する自分の役割を求め
ポジションを変え、プレースタイルを変え、
スパーサブとしてチームに貢献した。

そして現在、また本来の彼の魅力を出しながら
再度レギュラーの座を掴みかけています。

トレードに出してあげたほうがいいと本気で思った時期も
ありました。
試合に出すな、二軍に落とせ、と本気で思った時期もありました。
なんでレプリカユニホームがエメラルドグリーンなんだよ、と本気で思った時期もありました。

それでも腐らず、ひたむきな姿勢で頑張る堂林に我々は思わされます、
「やっぱり堂林が好きなんだ。」
と。

現在32歳。
これからはベテランの域に入っていきます。

手を変え品を変え、
プロで生きるということを
姿勢で示してしていって欲しい。

あなたのその姿に勇気づけられている同世代がいます。
ありがとう堂林。頑張れ堂林。愛らしい堂林。


最後にマスパンにありがとう。
これからもぼくらの堂林を宜しくお願いします。

マスパン、愛らしい。



堂林がホームランを打った時にツイートするアカウントやってます。
宜しければ除きに来てください。


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