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なぜ「よくおごってくれる綺麗なお姉さん」が希望を若者に託す物語なのかを考えてみる

 2018年、その年韓国でとても話題になった恋愛ドラマです。
 Netflix配信で全話完走後、チョン・ヘインさん演じるジュニの魅力的な笑顔が何度も頭に浮かびながらも、心はものすごくもやもやとした気持ちで反芻していました。

このドラマを私なりの言葉でいうと「次の若い世代にすべての希望を託したドラマ」です。逆にいうと、「古い世代は、ごめんやっぱりできない。そっち(新しい若い世代)ならきっとできる。」というかんじ。

■大人たちが抱える呪縛

最初に見始めたときは、とっても素敵な年下彼氏に愛されることによってセクハラも告発する気力が湧いたり、母親に立ち向かったりして強くなっていくヒロインが描かれるところで「やっぱり愛は人を強くするよね」という嬉しさと期待感が膨らんでいきます。しかし後半では「現実そんなうまくいかないよ」という大人たちの呪いみたいなのに溢れていくのが見ていて切なくなります

ネタバレしないようにストーリーには触れないようにしますが、主人公のヒロインは、古き悪しきもの(女性蔑視や男女不平等、親の圧、社会通念という呪い)に対して「負けるか勝つか」という2軸しか持てずにいます
ずっと負けを受け入れてきたし、立ち上がって勝とうとするし、そして負けたらそのまま負けを背負って生きるしかないという呪縛言い換えれば、「逃げることこそ負けだ」という古い価値観の呪縛

呪縛を自分では解けない呪縛のまま描ききったのは、「そんな簡単に呪縛から自分で抜け出せるわけじゃない」という韓国のアラフォー女性のリアリティの追求というか、そこにファンタジーを乗せないというこだわりを逆に感じるのです。

一方で、年下の世代に対しては「そういう圧に打ち勝つ」姿を描くのではなく、新しいオルタナティブ(代替案)として「そこから逃げる」ということができる存在として描いているように思います。競争や圧力というストレスから、降りるのもアリなんだ、という。日本でいうと「逃げ恥」のテーマと似通うと思います。それがアラフォー女性であるヒロイン側ではなく、白馬の年下王子に託してしまうのが、私としてはとても悲しく思うのでした。

■対話の不存在

つまりこのドラマで、ファンタジー(夢)は、年下彼氏のジュニに集中しています。毒母オモニに関しても、セクハラ告発に関しても、「現実はこんなもん」というリアリティや、ある種の現実を突きつけてくるような息苦しさを描いています。

女性が主体性を獲得しようとしても(自意識を持ち、主体的に運命を切り開こうとしても)やっぱり無理で、白馬の王子様が救出してくれる、というように見えてしまうのです。

しかし、そういった諦観(あきらめ)はあり得ていいと思います。ドラマに出てくる女性がすべて自立していて、エンパワーメントな存在だとすることは理想があるわけではないのです。ただ、一番見ててしんどいなと感じた要素は対話の不存在です。カップルとなった二人が談笑していたり見つめ合っていたりするのですが、会話はあるけれど中身がなく、対話がないのがこのドラマの特徴です。

 挿入歌は、60年代のアメリカのヒットポップスStand by your man(メグ・ライアン主演映画「めぐり逢えたら」で用いられた名曲)など洋楽が数曲、かなり頻繁に挿入されます。音量大きめで、音楽が流れている間は会話の音がなくなり、画像はややハイトーンになり、スローモーションになることが多いのです。それがロマンティック!と思う人もいると思うのですが、「恋愛の楽しくて良いときの象徴」みたいに何度も何度も繰り返されます。要は、二人がどんな話をしているのかはロマンティックな演出のみで、何が楽しくて、どんな話をして、ということは細かくは描かれないのです。そのあたりの夢いっぱいのファンタジックな演出。

 彼氏彼女の関係だけではなく、登場してくるあらゆる人間関係において、それぞれが言いたいことを勝手に言うだけです。相手も自分も尊重しながら、不一致を恐れながらも、対話のテーブルに座り続けようとする、そういうことがないように思うのです。だから何回も何回もトラブルが起きるし、対話が成立しないところに、常にある種の暴力が存在しているのです(元カレや職場(性暴力)、親の暴言など)。親とも、上司とも、恋人とも、友達とも、対話することが描かれることはありません。そう、そもそも対話ってしんどいし、簡単じゃない。真摯でいること、対話のテーブルに座り続けること、自分の真の望みにも、相手の真の感情にも向き合うことはとっても難しい。そういう「向き合うしんどさ」のリアリティと、それから目をそむけることのほうが楽というあるあるが際立って描かれます。

 そして、対話が必要な場面でヒロインが頻繁に発する「怒ってる?」という言葉。相手が怒っているか、自分が怒らせたかどうか、が彼女にとって、対人関係を円滑に進めるための「てがかり」になっています。自分の落ち度からまず確認してしまう、というような。対話、つまり対等に話し合うというフェアさを手放してしまっているように見えます。まず自分を尊厳を持った大切な人であると扱えない、だからこそ相手も大切に扱えないかんじ。延々と最終話まで対話の不存在を見つめさせられるのは、いくらチョン・ヘインさん演じるジュノの笑顔が素敵でも、しんどかったですね。でも、すべての演出に一貫性があるといえばそう。女性が主体性の持って、自意識に責任を持つことがいかに難しいかの困難さを幻想抜きで描いていると思えます。

■疲れてしまった私達

このドラマは、結婚のプレッシャ ーや職場でのセクハラ問題など、ヒロインが抱える身近な悩みが共感を呼んだと評されるのですが、韓国の視聴者が心動かされたのは、ある種、そういう「対話なんてさせてもらえないんだ、しんどいんだ。私達は戦いすぎて話すことさえ疲れてしまった」という女性のリアリティでもあり、「年下の世代は、そうじゃなくあってほしい。わたしたちのように疲れ切るまえに、逃げたっていいんだ。逃げる勇気をあなたたちが私達にちょうだい」という希望と期待なのではと思えてくるのです。

Netflixで全話配信中です。後半見ていてとてもしんどかったけれど、主演のお二人の演技がものすごく素敵で、色々思うところがありながらも、何度も見返してしまう、そんなドラマでした。


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