見出し画像

なぜ韓国ドラマ「サイコだけど大丈夫」では他のドラマより食事のシーンが重要な意味を持つのか考えてみる

■ドラマの紹介

「サイコだけど大丈夫」は2020年6月に放送された韓国ドラマで、世界にはNetflixを通じて配信されました。

「愛を知らない人気童話作家と、精神病棟で献身的に働く男。辛い思いを抱えて生きる2人の運命が交錯する時、互いの心に癒やしをもたらす、新たな人生扉が開く。」 - Netflix 公式サイトよりあらすじを抜粋

主人公の女性は、親にまつわるトラウマによってパーソナリティ障害を抱え、主人公の男性は自閉症の兄を持ち、母親を亡くした喪失を抱えながら兄のCarer(ケアラー)としての人生を生きている人物。二人の人生は複雑に運命的に関わっているのですが、予想のつかない伏線回収やロマンティックなラブストーリー展開よりも、それぞれの人物が、人とどんなふうに関わり、関わる中でどのように変化し、成長し、他者を受容していくか、という軸の演技や演出や展開がものすごく魅力的なドラマです。

 主人公の美男美女の俳優2人がどうやってカップルになるかという話ではなく、主人公がずっと人生を投じてケアしている自閉症の兄という存在があり、3人がそれぞれに成長してくという点がこのドラマを他の設定のドラマよりも一層深みをもたらしています。3人でどう関係を結んでいくか、が後半のテーマでしょう。

■名作映画のあのおにぎりのシーンのように

 映画「千と千尋の神隠し」で、物語の前半、主人公の千尋が迷い込んだ世界で動けなくなってしまったところに、ハクという少年がおにぎりを食べさせてあげるシーンがあります。あのシーンは、キャラメルでも菓子パンでもなくて、おにぎりというモチーフに意味があります。異界で恐怖と不安に押しつぶされそうな主人公が空腹が満たされただけではなく、口にしたその"人が人に食べてもらうことを考えながら手で握った白米の塊"から温もりを受け取り、安堵したことが伝わってきます。
 ドラマ「サイコだけど大丈夫」も食事のシーンが多く登場し、それが重要な意味を持つ理由は、このドラマが「他人から温もりを受け取ること」「誰かに温もりを与えること」が貫かれたテーマだからです。恋愛ドラマにも見えますが、もっと根源的な、人が人を必要とすること、一緒にいること、というような意味合いが強いようです。

 想像してみます。誰も信じられず、誰とも何も分かち合えないと思えるほど孤独な世界で、ふいに他人が食べ物を差し出してくる、そしてそれをとにかく食べろと言う。自分は食べることを決意する、口に運ぶ、それをなぜか相手は優しい目で見守っている。自分はどんな顔で食べるのだろう、口に含んだ瞬間のその食べ物はどんな味が舌に広がるだろうか、、、と。

そういう「人とご飯を食べる」というのは、ある種の、思い切って自分を投げ出すようなその勇気が必要です。相手から差し出される食べ物を食べるという行為それ自体が【閉じた自分を開く】そんな行為に思えます

 ドラマの中では、「うずら煮玉子」など韓国の家庭の常備菜や料理が登場し、主人公たちがそれぞれに料理で少しずつ癒えていく様子が描かれます。料理は心の傷を全快させるような大きな効果のあるものではないけれど、ささやかにも確実に、人の心の餓えを満たすことができ、満たされた人は、自分が幸せになるためにやらなければならないことに向かうことができる。そんな話。

■じれったい?過剰?気持ち悪い?いや、繊細で丁寧で緻密な心の話

ドラマには、トラウマや精神障害、自閉症、毒母、などの心の話が様々な症状という見える形になって描かれています。主演の俳優さんは美男美女なので、そのロマンティックなラブストーリーを中心に期待して見るとラブシーンは少ないし、暗く不安なシーンも多いので期待はずれになるはず

 心の傷や抑圧、母という存在の大きさや重さを実感し難い人にとっては「なぜ人に心を開くことがそんなに難しいか分からない」と思ってじれったくなってしまうかもしれません。でも、「インナーチャイルドの解放と成長」というテーマでみれば、一貫し丁寧に作られた作品であることが分かります。
※インナーチャイルド...「内なる子ども」幼少期の心理パターンや抑圧した欲求、傷ついた思い出などとともに成長せずに心の中にある感情。

日本以外のアジア各国では、「愛の不時着」よりもこの「サイコだけど大丈夫」のほうが視聴ランキングでは上位。普遍的なテーマで緻密に仕上げ、食文化を越えて(うずらの煮玉子を食べたことがなくても伝わる、見ている側がそれぞれに携えて持っている家庭の味の思い出があるから)愛されるドラマになったのか分かるような気がします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?