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いただきます ごちそうさま

コメント欄で〝お袋の味〟の話になりました

川中さんの奥さまは川中さんの健康のために
薄味にしたり玄米食にしたりと愛情を込められて
川中さんはそれを〝美味しい!〟と
受けとめられている

私の主人も私のいくつかの料理を〝うーん!〟と
大喜びで食べてくれています

それを私は〝お袋の味を越えた〟と思っていますが
実際のところはどうなんだろう?とも思っています


よくある〝もしも話〟の質問で
『人生最後の食べ物を選べるなら何が食べたい?』
というものがありますよね

今まで食べた中で一番美味しいと思ったもの
今まで高価だったりして食べられなかったもの
とかいろいろ言われています
私もいろんな食べ物を思い浮かべてきました

その中で根強く心の中に現れるのが
〝母が素手で握ってくれたおむすび〟です
具はなんでも良いかな
無くても良いかな
塩っけがしっかりついていて
美味しい海苔が巻かれていれば最高かも…

今どきの人なら〝素手で〟の段階でアウトですか?
美味しかったですよ
ミクロのバイ菌入りですね
ご飯の熱さでほんのりピンク色に染まった手の平に
塩をつけてご飯をのせてにぎにぎ…
なんであんな熱そうなものを
手にのせて握れるんだろう…と思ったものです

母の晩年そのおむすびの握りがあまく
ホロホロとすぐに崩れてしまった時
ものすごく寂しさを感じました



〝おむすび〟と言えばこの記事


そんな〝お袋の味〟を〝越える〟事なんて
できるのかなって思います
主人はどう思っているのかなって思います
知らなくて良いかなって思います


私は子どもたちに
自分の母がしてくれたような事までは
してやれなかった
もちろん時代のせいもあります…言い訳だけれど…
ちゃんと素材から出汁をとらなくても
顆粒のものが売られているし
合わせ調味料の豊富なこと!

だいたいのものがチャッチャとできてしまいます
ケーキやパンを手作りしたかったけれど
気持ちの余裕が全くなかった

そんなこんなの手抜き料理ばかりだけれど
彼らにとってはそれが
〝お袋の味〟となるんでしょうか
強いて言えば
将来の彼らのパートナーに対して
ハードルを下げてあげたという事でどうでしょう?


結局のところ食事って…
小太郎が退路を気にしながら食べているのを見て
哀しくなるように
やっぱり食べる時の情景でしょうか

たとえ1人での食事でも
美味しいと思えるものを
安心して食べられる環境がある事が
幸せなのかも知れない

もちろん
1人より2人
2人より…だけれど

お袋の味も
おやじの手料理も
パートナーが作ってくれる料理も
近所の定食屋のおじさんが作ってくれる料理も
みんなそれぞれ別の次元
みんな美味しいご馳走

〝美味しい!〟って
言いながら思いながら
口から食べられる幸せが『幸せ』って
ちゃんとわかっている事が大事

そう思います


いただきます

ごちそうさま

今日も無事に終わります

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