黒江真由はハッピーエンドを愛しすぎている
「響け!ユーフォニアム」関連の記事が恐らくこれが最後になると思います。以下目次です。
もし気になる方は過去2つの記事も読んでみて下さい。
最初に
私は原作を先に読んでからアニメ3期を観ました。
原作勢の方は、皆さん同じ感想だったのではないでしょうか。
真由の描写が原作と違う!!!!
正直、最初は困惑しました。
なるほど!原作の真由とアニメの真由は別人なんだと思うことで、この動揺する気持ちをなんとか諫め、最終回まで視聴しました。
SNSでの様々な意見も読みました。
私と同じアニメの真由は原作とは別人だとする意見も多くありました。
しかし原作者の武田綾乃先生は全て納得の上での脚本であるとハッキリ断言されていました。
私は、真由のこの描写を武田先生は"良し"としているということは原作では描き切れなかった真由の内面がアニメで描かれているのでは?と思い直し、今回筆を取りました。
私なりの黒江真由の解釈を読みたいという酔狂な方は
どうぞスクロールダウンしてみてください。
この先は「響け!ユーフォニアム」の原作とアニメ両方のネタバレを大いに含むためネタバレ勘弁して!って方はブラウザバックを推奨します。
1.原作とアニメでキャラが違う理由
ここでは冒頭でも話した通り、原作とアニメの黒江真由は同一人物であるという仮定のもと、両者の描かれ方の違いとその理由について私なりの解釈を語ろうと思う。
原作
久美子が真由を恐れている描写がアニメに比べ多く、久美子は真由と2人きりになるのを避けているように見えた。最後のオーディション前にやっと久美子は「いい加減本音で話そう!真由ちゃんだってソリ吹きたいでしょ!」と真由との対話を試みるが「久美子ちゃんがソリを吹けるよう応援したいというのが私の本音なんだけどそれは無視されちゃうの?」という言葉に何も言い返すことができず、没交渉。久美子は今までのやり方が通じない。敗北を悟った。と対話を諦めてしまう。奏も精神構造が宇宙人と匙を投げた。
一貫して黒江真由は北宇治をかき乱す存在として描かれて、最後まで得体のしれない存在として描かれている。
私が特に怖いと思ったのは合宿のオーディション後の久美子が滝先生に疑念を抱き始めた時、真由と目が合った後の描写。
真由怖すぎんだろ!!!
アニメ
久美子が真由を恐れている描写は原作と大きく変わらない。
だが、3期7話で久美子は自分から真由をプールに誘う。(原作では麗奈に促されて誘う)
そして自ら真由の隣に座り、彼女の内面を探ろうと質問を投げかける。
そこで久美子は黒江真由は主体性のない自身の中学時代を思い出させる存在だということに気付く。多分ここが原作ルートからアニメルートへの分岐点。
その後も原作程ではないが黒江真由は悪意を持って久美子を陥れようとしているのではないかという視聴者のミスリードを誘う描写が多い。
そしてそれを覆した3期12話、真由はみんなが幸せなら私自身はどうでもいい、私はただみんなと楽しく吹きたい。
それが99%の本音。(残り1%は後に説明する)
原作ではここで久美子の心がポッキリ折れるはずだが
アニメの久美子は一味違う。更に切り込む。
コンクールメンバーになれなくてもみんなと楽しく吹ければいい
あれだけ自身を”執着”がない人間と言ってた彼女にも譲れないものがあった。
久美子は原作で明かされなかった真由の”執着”を見事看破した。
私の解釈ではあるが、アニメの久美子が真由の心にここまで踏み込めたのは、真由と自身が似ていると早い段階で気付けたからなのではないかと思う。そこからの真由にも自身と同じような過去のトラウマがあったのではないかという考察が突破口になり、彼女への解像度が一気に上がった。
原作の久美子は真由に対し、受動的であり最後の対話も結局、自身の考えを押し付けるばかりで彼女を真に知ろうという気持ちが足りていなかった。
アニメの久美子の方が真由を知ろうと能動的に動き、最後まで彼女と向き合うことを諦めなかった。
これが分かると先ほど紹介した原作の文にも一応の説明が付きそうである。
これは、一貫して久美子の主観で描かれている。
これは久美子が真由を恐れるあまり生み出した認知の歪みなのではないか?
認知の歪みの代表的な例として、感情的になり、根拠のない決めつけによりネガティブな結論に至るというものがある。
度重なる真由のソリ辞退の申し出、そして滝先生のオーディション選考基準への疑問。麗奈とソリを吹けなくなるかもしれない…その恐怖が、真由の言動や行動に負のバイアスがかけてしまったのではないか?
私はそう解釈すれば原作の真由に対する悪意ある描かれ方にも納得がいくなと思った。
2.黒江真由はハッピーエンドを愛しすぎている
某漫画のタイトルを思わせるこの記事のタイトル。
黒江真由を一言で現すのであればこの一言に尽きると私は思う。
なぜこの考えに至ったのか順を追って説明していく。
まず、真由はなぜあそこまで久美子にソリを譲ろうと頑なだったのか?
それは自身がソリを吹くことが、北宇治のハッピーエンドではないから。
アニメ3期12話
真由には過去に仲の良かった友達がいた。
親友と呼べる人だったのかもしれない。
しかし、演奏技術は真由の方が上。毎回その友人がオーディションに落ちて真由が受かるという結果が続き、友人はついに音楽を辞めてしまった。
その子は、表面上では気にしていないと言いつつ、本音ではずっと苦しさを抱えており真由がいる限り自身はコンクールメンバーになれないのだと悟り辞めてしまったのかもしれない。
真由はその友人に久美子を重ねており、久美子も表面上では気にしていないと言いつつも実は心の中ではソリを吹きたいと苦しんでいるのでないか?
その苦しみから解放してあげたい。真由には何も悪気がなかった。
しかし、悉く久美子はそれを拒んだ。麗奈と会って変わったから。
"上手い人が吹くべき"だという3年間信じ続けてきたことを裏切りたくないから。
しかし、真由はそんな久美子を否定した。
その言葉には、こんなに苦しんでまでソリを吹きたいと思ってる久美子ちゃんが吹くべきだ、3年間部のために頑張ってきた久美子ちゃんが吹くべきだ。北宇治吹奏楽部に必要なのは自分ではなく久美子ちゃんだという真由の揺るがない意思があるように思えた。
なぜなのか。なぜ、そこまで過剰なほど他者をおもんばかるのか。
そのヒントは真由の趣味である”カメラ”にある。
3期6話で真由は自身が写真に写ることを好きではないと明かした。
フィルムカメラを持っていることから、撮ることには並々ならぬ拘りを持っているのにも関わらずだ。
原作のプールでの真由の発言「いい思い出になるよ」
そう言いながら真由の姿はフィルムには残っていなかった。
アニメ3期7話では、わざわざ自身が写った写真だけ現像失敗しちゃったと嘘をついてまで学校に持ってこなかった真由。
これは真由がみんなとの思い出の中に自分の居場所はない。だって私は当事者じゃなくて傍観者だから。楽しんでるみんなを見てるだけで私は幸せ。
それはまるで物語を読んでいる読者のようではないか?
この考えに至ったのは
「響け!ユーフォニアム 北宇治吹奏楽部のみんなの話」
アニメ完結後に発売された短編集を読んだからだ。
もしかしたら真由は転校先の学校での生活を一冊の本として区切っていて、そこでの出来事や思い出を物語を捉えているのかもしれない。
彼女が写真をたくさん撮るのは一つの本(アルバム)を作る行為と捉えることもできる。
幾度も転校を繰り返してきた真由ならではの感覚。
清良では清良の物語があった。北宇治には北宇治の物語がある。
しかし、そこに自分の姿はない。
真由はどこまで言ってもその本の読者で、気にするのはその本の結末がハッピーエンドか否か。ただそれだけ。
そのためには自分という存在を消してでも登場人物が幸せな結末を迎えられるように尽くす。
黒江真由はハッピーエンドを愛しすぎている。
3年間北宇治で頑張ってきた久美子がソリに選ばれた方が、みんなが納得して本番に挑める。これが北宇治という物語のハッピーエンド。
それで自身がソリが吹けなくなっても、みんなと合奏できればそれでいい。
全国金賞かどうかなんてどうでもいい。
3.黒江真由の"変わりたい"という気持ち
では真由にそんな自分を変えたいという気持ちはあったのか?
私は自信を持って"ある"と答えたい。
1.原作とアニメでキャラが違う理由の項でも説明したが
原作での真由は最後まで執着のない自分を貫き通したが、アニメでは久美子にその裏にある内面を暴かれてしまった。演奏に嘘が付けない自分を。
思えば、矛盾はあった。
コンクールメンバーに選ばれなくてもみんなと合奏できれば後はどうでもいい。そう言いながら強豪校である北宇治を選んだのはなぜなのか?
本当に北宇治のハッピーエンドを願うのなら、久美子に何も言わずに勝手にオーディションを辞退すればいい。周りに嫌われない言い訳ならいくらでも考え付くだろう。
真由はずっとサインを出していたのだ。
吹けば消えてしまいそうな小さな炎、闘志。プライド。
絶対に譲れないもの。私だって勝ちたい。
3期7話のプールサイドでの久美子と真由の会話。
真由は「リズと青い鳥」のリズは青い鳥に固執しすぎた
もっといろんな動物と仲良くすればいいのにと持論を展開した。
この考えは前項で話したハッピーエンドを愛しすぎてる真由の思考に影響されたものである。
一方で、真由はそうゆう執着がない人のことを本気で好きになることはない、だって私がそうだからとも口にしている。
これは主体性のない自分が誰からも好かれるわけがないという自分自身への攻撃であり、真由もそんな自分が嫌いであると思っているから出た言葉ではないのか。
これは原作にもない台詞で、私は実はこの言葉が作中、最も真由の本音に近い言葉ではないかと思った。
私だって今の自分のままがいいだなんて思っていない!
ここでもまた出していた小さなサイン。
自分の中の99%は北宇治のハッピーエンドを望んでる。
でも1%だけは自分の演奏を全国大会で響かせたい。ソリを吹きたい。
アニメではそんな本音を久美子に見抜かれたような気がした。
真由はそこで今まで見たことのない表情を見せた。
怒り、悔しさ、羞恥にも取れる複雑な表情。
少なくともこれは真由の闘志に火をつけた。
短編集みんなの話で、真由がハッピーエンドを愛しすぎていて、いつだって未来しか見ていない、今を生きている久美子とは相容れないわけだと奏が納得し口走った台詞
「私たちにとってのはハッピーエンドは黒江先輩が闘志に目覚めることでしょうか」
原作のルートでは叶わなかったが
アニメで久美子が真由の”執着”を暴いたことで
真由の闘志に火が付き、それが演奏にハッキリと現れたことでオーディションの結果までもが原作と変わってしまった。
原作では久美子に敗北した真由が
アニメではユーフォのソリを務めることとなった。
それは”負けたくない”という1%の本音に従った真由には嬉しい結果だが
しかし、それと同時に自身の99%の本音(理想)でもある
久美子ちゃんがソリを吹くという北宇治のハッピーエンドを裏切ったことになる。
案の定ざわつく部員、真由は下を向く。
しかし、そこで久美子が叫ぶ。
一番ショックであるはずの敗者にここまで言われてしまえば、誰もこの結果に口を挟む事はできない。
久美子は、「北宇治は実力主義」という理想を最後まで守った。
真由に本気を出させたのも
”本当に上手い人がソリを吹く”という理想のため
真由はまんまと久美子の理想通りの結果を掴まされたのだ。
勿論久美子自身が勝利する完璧な形ではないが…
前項でも言ったが、真由は自身を物語の登場人物だと思っていない。
自身はいつも物語の外でハッピーエンドを眺めて喜ぶ読者。
だが、久美子は
「これはお前の物語でもあるんだよ!!!」
と引っ張ってきたのが3期7話の最後の集合写真だったのではないか?
しかし、真由は一度これを否定した。
それが後日、学校で現像上手くできなくて…と嘘をついて写真を持ってこなかった真由の行動からも分かる。
しかし、二度目は否定せず受け止めた。
それがこの涙。
真由はこの時、久美子の理想「北宇治は実力主義」を認めることで初めて北宇治を外から見ている傍観者ではなく当事者になれたのではないか?
なぜなら、「北宇治は実力主義」を認めるということは真由含めた全ての北宇治部員に平等にコンクールメンバーになるチャンスが与えられているということであり、全員が当事者であることを認めることだから。
久美子のオーディション前の言葉が、真由の主体性のない自分から”変わりたい”という闘志を呼び起こさせ、オーディション後の久美子の言葉が本気で演奏してソリを勝ち取った真由を肯定してくれた、北宇治の一員として私はここにいていいんだと思わせてくれた。
最後に余談だが、久美子はオーディション前に自身の理想をワガママと言った。
これは自身の理想(ワガママ)をぶつけ合う戦いだと。
久美子の理想は”上手い人がソリを吹くべきだ”
真由の理想は”久美子ちゃんにソリを吹いて欲しい”
ソリストを決める試合に久美子は負けたかもしれないが、
最後まで理想を貫き通した久美子は勝負に勝ったと言える。
原作の展開を想うと、どっちがソリでも結局全国大会は金賞取れるんだから…と思ってしまうけど、私は久美子が最後まで理想のために奔走し、それを実現したアニメの展開の方が好きだ。アニメを視聴した上で超絶残酷なことを言うと、原作は真由の実力が100%発揮されなかったから久美子がソリに選ばれたと解釈できてしまうから…それは久美子の本意ではないだろうなと。
最後に
ここまで私の駄文にお付き合い下さりありがとうございます。
アニオリ否定派の方には受け入れがたいかもしれませんが、これが私の全編を通しての黒江真由に対する解釈になります。途中飛躍した考察もあったかもしれませんが、まぁこんな意見もあるんだなぁくらいで楽しんで頂ければ幸いです。
ではまたいつかお会いできるのを楽しみにしております。
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