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パクチーが食べれるようになった瞬間
柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』を読んでいる。柴崎さんはさんざん試したものの今もパクチーが食べれないと記していて、パクチーが食べれるようになった時のことを思い出した。そもそもぼくもパクチーが食べれなかった。食べてもカメムシ臭いと例えられるあのニオイが耐えられなくて、いつも避けていた。
香港を旅行した時に知り合い宅を訪ねたとき、手料理をご馳走になってその中に粥があった。そこにはどっさり山盛りのパクチーがのっていた。どっさりという表現が適切かはわからないけどぼくにとってはそうだった。苦手だと伝えるも香港マダムにゴリ押しされて、しかたなく我慢して食べることにした。
パクチーの被害を和らげるために粥に混ぜ込んで口に運んだ。するといつもより嫌なニオイが少なかった。それだけではなく微かにいい香りを感じた。熱い粥でパクチーに半茹でになったからかもしれない。その場ではカメムシといい香りの両方が入り混じるのを受け止めなが食事を終えた。
帰国後パクチーを食べ続けてみると徐々に食べれるようになって、いつしかカメムシ臭は全く感じなくなった。いまでは薬味としての香りしか感じない。山盛りのパクチーも問題ない。
パクチーは同じ匂いを発しているだろうに、ある臭いを感じなくなって、ある匂いを感じるようになるのは不思議におもう。
自分では熱いお粥に浸して半煮えになったときに何かが変わったのだと思っている。パクチー自体も状態が変わったのだろうし、嗅覚や味覚も感度が乱れたり誤作動を起こしたのかもしれない。納豆だって臭さを越えて美味しさにたどり着く。たぶんいちど美味しさにに辿り着けば美味しさしか感じなくなる。初めての場所に辿り着けるまでは不安だけれど、一度訪れたら意外と短く感じたりその道中も安心なのと似ているかもしれない。
誰にとっても辿り着けない場所はあるのだから柴崎さんはじめパクチー嫌いの人たちにこの方法が有効かはわからないけど。
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