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自分の死期なんて決めることはできないのですが、これは夫の希望でして…

結婚して間もない頃、夫とこんな話をしたことがあります。

どっちが先に死ぬと思う?

私は「宏平さん(夫)を残して死ねない」と言いました。

夫は「まなみ(私)に先に死んで欲しい」と言いました。

どちらも、自分が後から追いかけるという意味なのですが、言い方が全く違った。
なんなら私は、夫のその言い方に少し寂しさを覚えました。「先に死んで欲しいって……」って感じです。

夫は続けて言いました。
「なんか嫌なんよね。見ず知らずの人がまなみの最後を終いするんやろ。ぞんざいに扱われたらめっちゃ嫌やろ。ちゃんと見届けんと。じゃないにしても、まなみの終いは俺がしたいんよね」

あぁ、そっち……

私には全くない考えでした。
上手く表現できませんが、最初に感じた寂しさは一瞬にしてなくなり、ただ「この人といれば私はこれから安心して生きていられるし、安心して死ねるな」と、温かさみたいなものを感じました。

決してセレモニーホールや火葬場の方が、流れ作業でしてるとかそういう意味ではありません。多分に漏れず、そういった方に私もお世話になるんだろうなと思います。その時に夫がいても、いなくても。

ただ、そういう風に思ってくれている人がいるだけで、とっても心強い。それだけです。心から頼れる人を持つことができた人は強いと思います。

人は1人では生きていけない

耳にたこが出来るくらい、よく聞く言葉ですが、本当にその通りだと思います。でも個人的には

人は1人で乗り越えることが出来なくなった時、人を頼っていい

と伝えたいです。

いつでも頼っていいという受け皿が用意されていることを示す方が、よっぽど希望があると思うのです。

「ずっと1人で頑張ってきた」とか「1人でここまでやり遂げた」という自負がある人が行き詰った時に、「人は1人ではいきていけないから云々……」と言ったとて、その人の心に届くのかという疑問があります。
頭では分かっていても、心がそれを許せるかはまた別の問題ではないかと。

特に、子供の場合「自分1人でできた!」が嬉しい時期でもあります。普通に生きていたら、1人でできることはどんどん増えていく時期でもあるので、それが当然と思いがちなんじゃないかなと。だからこそ「上手くいかない時には頼っていいのよ」と伝えたいのです。
誰かを頼りながら、次のステージへ自分を進めて欲しいし、乗り越える力を持ってほしいと思います。

心から頼れる人。
私にとって、それは夫です。
今の子どもたちにとっては、おそらく私と夫。それができるだけ長く続くといいなと思います。
でもそれは子どもが決めることなので、こちらはその受け皿の用意があるということを見せつつ、子供たちがステージステージで信頼する人や、選ぶ道を信じる力を持ちたいと、そう思っています。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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