先日研修で岡山へ。丸2日,家を空けていました。
5歳3歳の子供たちの保育園のお迎えは,義父母にお願いして,夜8時頃,夫が仕事帰り実家に迎えに行く2日。
2日目の研修が終わり,帰りの電車の中から義母にお礼と帰宅中の旨を連絡したら、その数分後に夫からLINEが。
あ、2人分って、夫と私の夕食です。
帰宅しても夕食の準備はないだろう,と義母が夫と私の食事を用意してくれているという,この有り難さ。沁みました。
夫に仕事帰りに駅で拾ってもらい,子どもたちの待つ夫の実家へ喜んで食べに行きました。
義母は神なのです。こういうことがしょっちゅうある。
痒いところに手が届くとかではありません。甘えたい時に,甘えざるを得ない環境を先に用意してくれます。
義母は,いちいち「愛」があります。
義母は嫁を愛して止みません。
嫁は甘やかされまくりです。
おかげで嫁は、母でも妻でも嫁でもない「私」を持てていると思います。
愛する夫の母は、もはや義母ではなく、私にとっても「おかん」で、おかんは神なのです。
私にとっても「おかん」。嫁姑関係のおよそは,多分ココがミソと思います。
自分の親に接するように,義母にも接する。
かく言う私も最初っからこんな関係だったかというと,そうではなく,嫁入りの時の敬語が,敬語崩れになり,敬語を使わなくなり,甘える,ねだる,グチをこぼす,文句を垂れる,そんな諸々のことができるようになって義母との関係は年々,深く良好なものになっていると思います。
もちろん義母の懐の広さによるものは大きいですが。
私も将来の嫁に,おかんが私にしてくれたのと同じようにペイフォワード出来るよう,これからも存分に受け取っておこうと改めて思った研修終わりの夜でした。
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