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世間って、

7/1~3までの3日間、zoomで話そうっていう唐突な企画(?)に参加してくれた皆さんありがとうございました。noteをいつも読んでいますという声が多くて本当に嬉しかったです。そんなわけないけど、誰一人も自分の文章を読んでいないかもと思いながら書く時もあるので。笑

ということで今日のnoteは、3日間で感じたことだったり、そういうことを。



なんなんだこいつは

みんなの話を聞きながら、一番面白かったことがあって、それが最初は私が派手すぎてちょっとびびってたということ。

これって、対面だからこそ言えることなのかなと思ったりする。多分文面だったら、失礼かな?とか思ってみんな言えないのだろうと思う。だから、こういう自分の第一印象的なことを聞けるのが本当に面白くて感動した。

「最初はなんなんだこの赤髪の人はって思ってたんですけど、」
「派手な人に最初は偏見があったんですけど、」
「なんかめちゃくちゃでかいスマホケースを使ってて、何者?って思ってたんですけど、」


と、言ってくれた方はみんな、

「でも、他の投稿を見れば見るほど、まあやさんの思考や言葉が気になって」
「気がついたら、全部見てフォローしてました」

なんて伝えてくれたりした。

私はそういう言葉に対して、「嬉しいです、ありがとうございます」というありきたりな言葉しか返すことができなかったが、心の中ではサンバを踊っているくらい嬉しかった。


いつも言ってることなのだが、昔から私は自分に対して”派手”であるという認識が本当になくて、服や持ち物とかも、こういう色が好き、こういう柄が好きというこだわりも逆にないというか、今の自分が好きなものを感覚的に選んでいるだけだったりする。

だから、ファッションの歴史とか、色の組み合わせがどうとか、今はこれが流行っているとかそういうものは一つも知らない。

けれど、こんな感じで生きていたら、自然と周りが「派手だね」と言ってきたし、「なんかすごい格好だね」と勝手に引かれて、「自分を貫いててかっこいい」って憧れられることもあった。


私はずっと、それが本当は嫌で、だって、こういう見た目はただの私のアイデンティティの一つでしかなくて、夢や目標でもなければ、別に誰かに負けたくないこだわりでもなくて。

だから、こういう部分もある”まあや”として受け入れてもらえないことが、辛い時期もあったりした。

でも今は、別に説明しなくてもいいじゃん、勝手にこうやって表現していけば。と思っている。それが今のSNSに繋がっていて、服が好きです!と表現したことはないし、ただ”まあやである”ことって、日々、その時の自分の好きな見た目をしているってことで、そのまま動画を撮っていたら、こうやって説明していない部分も魅力的に思ってくれる人がいる。


それが本当に嬉しい。
どんな印象を持っていた人も、見た目から興味を持った人も、中身から知ってくれた人も、どういう人も、“まあや”という人間にたどり着いて出会ってくれたことが本当に嬉しいよ。


ひたむきに前向き

これまた、言われてびっくりしたことが、

「どうやったらまあやさんみたいに前向きになれるかなと思って、」
「いつもひたむきに自分と向き合ってるまあやさんすごいなと思って、」

という言葉。

ほとんどの方にこれを言われたのだが、私は自分のことを人生の中で前向きな人間だと思ったことは実は一度もない。


ポジティブかネガティブかと言われると、どちらでもないというのが理想だけれど、多分ネガティブ思考の方が多いと思うし、

いつも前向きであるかと言われると、前を向いて未来のことを考えると、人間を辞職したくなるほどに極端な思考になることもある。


これは別に、私、みんなが思うほど前向きなできた人間じゃないよと否定したいわけではなくて、”そう見える”ということが面白いってこと。

でも、私たちはきっと全員、こんなふうに自分が思う自分とは違う印象を他者に与えているのだと思うし、そして他者を、本人の解釈とは違う自分なりのイメージで見ているのだろうと思う。

ここをさ、自然に捉えることが楽に生きるコツなのかもしれないと、みんなと対話をしながら気づいた。

私から見たら“こう見える”、これは自分と他者を比較する材料になるし、私は相手から”こう見られている”というのは、自分以外の誰かを気にするきっかけになったりする。


だから、自然と、そう見られてるんだ、と受け止められることこそが、実は大事だったりするのかなと。

私はみんなから見るとすごく前向きな人間に写っている、でもそれがすごく面白い。自分では、前向きな人間ではないと思っているれど、自分の”何か”がそう思わせている、それが楽しい。


ただ、それだけだってこと。
だからみんなも、そう思われているということを知ったとき、別にそれに向かって頑張り始めなくても良いってこと。


あり得ないようなそんな感情

本当に有難いことにnoteを読んでくださっている方がたくさんいて、私はなんだか、これから先100年くらいnoteを書いていくようなそんな覚悟を貰った気がした。


「誰にも言えなかった心の中のことをまあやさんが書いていて、」
「こんなこと言っちゃいけないって思ってたことが書かれていて、」

うんうん、まあやも自分でこんなこと書いている人世の中にいないだろうなと思いながら書いていたよ、と思いながらみんなの言葉を受け取った。


だってさ、人間死にたいだけじゃないし、生きたいだけじゃないんだよ。

“それ以外”の感情が数えきれないほどあって、それらと向き合っている最中に時間はどんどん過ぎていく。その時間の早さの中で、なかなか変われない自分に嫌気が刺したりして。

理屈とか、道理では説明できないことばかりの中で、私たちは、何を信じたら良いのかわからなくなっていく。

でもさ、自分は何を考えて生きてきたの?自分は何を見て、何を感じて、何に感情が踊らされて生きてきたのだろう。

それって、自分だけは忘れないでいたいと、私は思うんだ。

もうnoteは4〜5年くらい書いているので、昔のものを見返すと、やっぱ自分わかってるなあ、と同じ気持ちでいられる時もあるし、未熟さを直視することが恥ずかしくなる時ももちろんある。


だけど、その変化って当たり前で、”成長”という言い方で受け止めることができなくとも、日々の思考や、自分の変わっていく姿を、生きる上での醍醐味だと思えば良い。


noteの中のこの文章が好きで、と、事前にメモしてくれているものを読んでくれた方もいた。

涙を流しながら、一生懸命読んでくれるその姿に、胸が締め付けられた。

同じ時間に、同じ場所で、抱きしめ合って、つらいねと慰め合うことはできないけれど、こうして自分の言葉が時を超え、みんなの元へと姿を現していることがこの上なく嬉しい。


ありがとう、これからも自分の言葉を一人一人の元へと届けられますように。


見えていなかった世界

これはタイトルにも繋がる一番大切な感情だったりする。

みんなと話して私が、一番感じたことというのは、私今まで、こんな世界が存在しているなんて思ってもいなかったということ。

自分の中では、数字じゃない、コメント数じゃない、見えているものだけが全てではないと思っているつもりだったけれど、だからと言って、必ず見てくれている人がいると真っ直ぐに信じられているわけでもなかった。

それでもなんだかんだずっと、SNSでの投稿を続けているわけだけれど、今回初めて、みんなと一対一で話すという経験をして、私はこういう世界を見過ごしていたと痛感した。

こうやって見てくれている人がいる。

それを、全くわかっていなかったな、と。

noteの長い文章をちゃんと読んでくれている人がいるなんて思っていなかったし、
自分が紹介した本を買って読んでくれている人がいたり、
ストーリーで呟く言葉に勇気を貰っている人や、
サブチャンネルまで見てくれて一緒に思考を深めてくれている人がいるなんて、

本当に思ってもみなかった。

そして、私はよく来るアンチコメントを”世間”だと思っていたんだと、気付かされた。

でも、世間ってそんな、見えない世界のことじゃない。
そう思った。

そして、みんなと話しながら、みんなの物語を聞きながら、メディアやSNSで語られるような世間じゃなくて、こうやって一人一人から紡がれる言葉から、世間というものが作られていってほしいと、漠然と思った。



「まあやさんみたいに、一緒に考えようっていうスタイルで動画を出している人って本当に少なくて、」

「まあやさんの言い方だと安心できて、」

「断定するんじゃなくて、こういうこともあるよねっていうまあやさんの言い方が好きで、」


あー、私、SNSをやっていて良かったなと、心の底から思えたよ。

自分の居場所なんてこの世にないと思って生きてきて、
世界と繋がれるなんて言われるSNSでだって自分が共感できるコンテンツは一つもなくて、

どうせ、あなたたち、こういう感覚もわかんないんでしょ?って気持ちで自己表現を始めた。

そんな始まりから、今に至るまで、こんなにたくさんの人に自分が見られて、何かしらの想いを持ってもらえるなんて本当に思っていなかった。




“伝わる”という経験をさせてくれて、みんな本当にありがとうね。


最後に

まず、このzoomを始めたきっかけにとても感謝しています。日常生活の中で、急に前触れもなくやってみよう!と思ったわけではなく、実はきっかけがありました。きっかけをくださった方へ、本当にありがとうございますと伝えたいです。

そして、いつも見てくれているみなさん、今回話してくれたみなさん、ありがとうございます。

今回、悩んで申し込めなかったよという方もまた機会があれば話しましょうね。


最初にも書きましたが、私はこうやって発信しているくせに、自分の言葉は誰にも見られていない、必要とされていないかもしれないという可能性を考えてしまったりします。

このzoomも、募集した時は5人くらいしかこないだろうなと思っていました。実際はその6倍以上もの方とお話しさせて頂きました...!もはや最初の自分の勘違いが失礼すぎる。


今回、noteに書いたような気づきなどもそうですが、こうやって見てくださっている方々を忘れずに、また頑張りたいなと思います。


いつもありがとうございます!


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