正欲は0点
今日は、朝井リョウさんの正欲の話を。これは批評ではなく、想いです。タイトルから色々と連想されると思うのですが、小説や映画を見られた方や、SNSでの紹介で本の名前だけ知っているという方も、ぜひ一緒に考えてみてください。過激なものではないのでご安心を。
多様性の象徴
この本が話題になった時、多様性の象徴かのような言い回しが飛び交っていました。というのも、この本の冒頭で、多様性に対して”おめでたさ”と表現し、言及している箇所があるからです。それって結局多様性を語っている人の中でのマジョリティ的な意見で出来上がっていて、そこでもマイノリティの人間というのは、みんなが目指している多様性の中には入っていない。そんなようなニュアンスです。
つまり、多様性というおめでたい言葉に対して、当事者的には、困るんです、そんなキラキラした感じで、あなたはあなたのままでいいよなんて言われても。私は私のままでは”絶対に”この社会では受け入れられないのだから、ということです。
私たちも、この多様性という暴力的な言葉に困ったり、怒ったりしたことってあると思います。私はというと、多様性という言葉は政治的に利用されるためにメデイアと市民の間でたらい回しにされたものだと思っています。
「今は多様性の時代だ」なんて、一体誰が言い出したんでしょうね。
実は、それは最初から、計画されていたのかもしれませんよね。
性癖
そして、本の内容に移りますが、この正欲について語られる時、性癖やフェチの問題として称されることが凄く多いんですよね。
SNSで本紹介の動画とかを見られた方は、「本当の多様性」もしくは「性癖」の話だと聞いた方は多いのではないのでしょうか。
個人的な違和感はここにあります。
色んな人が出てきて、色んな性癖を持った人がいて…というのは内容的には間違いではないですが、この作品をその軸で紹介すると結局、
「見たことも聞いたこともない性癖の人がいる」という認識で終わるわけなんですよね。つまり、冒頭のおめでたい多様性のようなジャッジの仕方です。色んな人がいるんだね、そんな人がこの世にいるなんて知らなかったよ、でもそこに言及してくれてその世界を見せてくれてありがとう、私の多様性の範囲が広がったよ、というような。
「分からない」世界
みなさんはこの、知らなかった世界を、分からない世界を見てどう感じましたか?”そういう”人もいるという社会を改めて考えなおしたかもしれません。
多様性ってこういう、誰もが想像できない世界まで受け入れることだと思ったでしょうか?
私は、正欲が色んな言葉で紹介される姿を見ながら、私たちの視点でしか語られないところに作品の結末みたいなものが見えた気がしました。
私は、明日を生きたくないと思ったことがあります。
けれど、この作品で出てくる、明日を生きたくないと永続的に感じている人とは、感じた内容は、当たり前ですが違うのだろうと想像します。
つまり、どれだけ考えても、”分からない”ままなのです。
多様性という言葉に対して、この世界で多様性という言葉が使われて被った被害に対して、そして多様性という言葉に含まれてこなかった人に対しての理解は、もしかするとこの作品を通して何か自分なりに深まったと思えた人はいるかもしれません。
ですが、私たちが最も、考えるべきことは、どれだけ考えても、分からないという部分についてだと思っています。
この作品のメッセージを真の多様性へのイメージのアップロードではなく、多様であるということは、常に分からない人や世界が混在していることだと私は受け取りました。
評価するならば0点
そして、それを踏まえて、この作品を評価してくださいと誰かに言われたならば私は迷わず0点だと伝えます。
私たちは、ずっと多様性という言葉の元、無意識にカテゴライズし、分からない世界を排除してきました。
それは人間の心理的に人はどこかに属して安心する生き物だからだと思います。けれど、どれだけの概念や名称が今後生まれたとしても、そこに”当てはまらない”ということに人はまた悩むのだとも思います。
どこかに当てはまる人間が、どこまでの距離の”当てはまらない”人間のことを想像できるのでしょうか。
当事者の気持ちが大切だとどれだけ世間で言われようとも、その場にいる全員が本当に同じ”当事者”を考えているのかなんて分からないのです。
正欲が色んな評価をされ、「多様性への言及」とか「現代の言語化」とか、そういったもので表されているからこそ、
どこにも属さないものであって欲しいという願いを込めて、0点です。
そして、本当の意味で多様性なんて分からない、どれだけ想像してもその人のことなんて分からないという、わかるものがないという意味での0点です。
最後に
わざわざ0にする必要があるのかと言われたらそうなんですが、「多様性」の問題としての評価が世の中にたくさんあるので、そこに対しての言及も兼ねてあえて外れた0をタイトルにしました。
この本を読んだ当初、結構、「まあやさんはどう感じましたか?」「私は色々考えさせられました、、どう言葉にしたらいいか分からなくて」「最後は答えがないというかなんというか、、」みたいなメッセージを頂いていました。
もちろんみなさんそれぞれ感じ方はあると思うのですが、「なんか、分からなかった」から、色々結びつけた結果が、今SNSで流れてくるような評価だと思っています。
ですから、そのようにジーンと、え、この感覚はなに?という分からなさに苛まれることって寧ろ正解というか、そうだよね、と私は思います。
そんなこんなで最後まで見てくださり、ありがとうございます。インスタのストーリーでなんとなく、これ書きたいんだ〜って載せたら反応をたくさん頂き嬉しかったです。noteの感想があればDMくださると嬉しいです🪽
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