アレルギーでも飼い続けます

Twitterと違ってたくさん書けるので、文字数オバケな私にとってすごく使いやすいツールみたいです。
流れも忙しくないので助かるラスカル!

本当はもっと読みやすく目次みたいな機能を習得できればいいんですがまだわかってなくて…すみません。

トイレに入ると腕力でこじ開けてくるの、怖い

猫アレルギーなのですが、そもそも何故猫がいるかといいますと、完全に親の趣味(?)から始まりました!
元々私が生まれるより前に先住猫がいて、その猫が私のお姉ちゃんとなってました。

両親が特殊な自営業の為、一人っ子の私はそのお姉ちゃん猫と一日の大半を過ごしていました。
そんな私が3歳頃から小児喘息となって転機が…訪れませんでした!

『お子さんと猫と、どっちをとるの?』
  とのお医者さんの問いに
どちらもとります
とキッパリ言ってくれた母に今でも感謝しています。

猫がいなかったら私の人生、相当味気なかったでしょう。※現在アレルギーの薬を服用しています
それくらい沢山の思い出が猫と共にあります。
NO MUSIC NO LIFEならぬNO CAT NO LIFEです。
ここでたまに、犬猫との思い出を書かせてください。

お姉ちゃん猫は赤ちゃんの私が泣いていると、そばに来て慰めるように眠り。
私が笑っている時もやっぱりそばにいてスリスリ、と体をこすりつけていたそうです。
小さな私がしっぽを握りしめてしまっても、怒らずに許してくれたそうです。

お姉ちゃんとの思い出はやっぱり一人で泣いている時に慰めてくれたことですかね…
不思議と悲しさがなくなるんです。
大丈夫、そばにいるよと言ってくれていたかのようでした。
そんなお姉ちゃんは日向ぼっこが大好きでした。

※犬派とか猫派とかよくありますが、私は犬も飼っていたのでその問いはあまり好きではないです。
どちらもいい所があってどちらにも欠点がある。
人間と一緒、それでいいじゃない。

 あえて言うなら大型派でしょうか。
 大きい子はいいぞ!
 もちろん、小さい子もいいぞ!

右下には97年の文字。懐かしい…

お姉ちゃん猫と共に過ごしたのは中学3年の卒業式前日まででした。
まるで、もう大丈夫だよねと見送るようなタイミングでの死に、中学での卒業式では全く泣けませんでした。
終始笑顔でいましたよ。
もう心配はいらないよと、私なりにお姉ちゃん猫に対してのケジメでした。

父が拾った猫だったので具体的な数字は分からないのですが、分かっているだけでも享年21歳。
そりゃお姉ちゃんっ子になりますよね。

写真の犬も15歳くらいだったかな?
大型犬にしては長生きしてくれました。
私が病気になった頃にこの犬も具合が悪くなり(年のせいもあったでしょう)、夏の暑い日には居間の床に犬の手を握りながら共に突っ伏して寝ていました。

散歩もできなくなり、一緒にずっと家の床で横になっていた日々は忘れられません。
そして。
最期は私が看取りました。
今でも何の前兆もなかったように思えます。

キュウン、と一鳴きしたと思ったら小屋から出てきて私の所に駆け寄り、私の腕の中で沢山の血を吐いて亡くなりました。
それまでにも猫を看取ったり身内や知人の死を経験してきましたが、やはり死というものに慣れることはできません。
どんな生物にも死は絶対に訪れるものなのに、何故慣れることはないのでしょうね。

いけない、しんみりしてしまいました。
最後に今元気でやってくれている子のやんちゃっぷりをお見せして終わろうと思います。

襖を力ずくでこじ開けたお転婆さんに、乾杯!

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