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居場所は見つけるものなのか、それとも居場所は作るものなのか問題

居心地が良くて、そこに集まる人とは気が合って、ずっとその環境にいたいと思える場所。
それが居場所でしょうか。

居場所といっても、さまざまな特性がありそうです。

心地良さを満たすのが居場所でもなく、
刺激を与え合う場所や、学び合う場所など、叱咤激励も含めた環境も、居場所といえそうですね。

そうした居場所が複数あることが人生の幸福度と相関しているという研究もあるように、
私にとって居場所だと感じられる場所があるのは日々の生活を満たしてくれると思っています。

さて、そんな居場所はどこにあるんでしょうか。

見つけて入るもの?
自分でつくるもの?

絶対的な解はないにしても、考えてみたくなりました。

これまでにオンラインコミュニティに入ったり、さまざまなグループ活動をやってみたり、人との関わり合いは多かったと自負していますが、居場所だと感じられた環境を振り返ってみます。

私の経験から見えてきた、居場所は見つけるのか作るのか問題の解をまとめてみました。


・人が作った環境(居場所)を見つけても、自分の居場所にしていくのは結果的には難しい

・既存の環境を自分なりに関わり方を更新して居場所としてつくっていく努力が必要

・自身が主体的に動いて人が集まる環境は私の居場所だといえる

・100%居心地が良くて居場所だといえる環境はそもそもなさそう

・居場所は生き物のように形や価値観が時間とともに変わっていく

・人が創り出す、事象が創り出す、社会の流れが創り出す、さまざまな価値観が居場所に影響を与えていく

・永続的に居場所といえる環境は、受け身な在り方では見つからないし、つくれないかも

・居場所の代名詞の「家族」や「夫婦」関係も同じことがいえそう

・関わり合うときには双方の距離感の調整をしつつ心地良さを見極めていく


まだまだ書けそうですが、一旦発散はやめます。笑

書いてみてわかってきたのですが、
調整、調律、距離感、といった双方向性な関係性が居場所にも必要だとわかってきました。

今日はこの辺りで。



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