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コミュニケーションで大切にしたいのは正しさより自然さ

note投稿60日チャレンジ、49日目。

月イチで友人2人とZOOMで雑談していて、
私を含めた3人の鼎談の模様を、音声コンテンツとして配信してもらっている。

コミュニケーションについて1時間近く話した内容を全4回に分けて、配信中。今日は3回目が公開された。
改めて聞き直しても、いい話が出来たなぁと思うので、よかったら聞いてみて欲しい。

問いと対話で繋がるラジオ/しゃび
第3回 「コミュニケーションのために大切なものは?正しさ?それとも…」(約10分)


コミュニケーションで大切なのは正しさより自然さ

私がさまざまな表現において大切にしているのは「自然体」だ。

力まず、無理せず、自然で居ることが、
結果的に、最大のパフォーマンスを発揮すると信じている。

それは、コミュニケーションにおいても同じだと思っている。

相手との関係にもよるけど、「正しさ」を前面に出すようなコミュニケーションは、緊張を生み出してしまう。本来の自分らしさが出ていない。
そうした自身の状態を、仮に相手に受け入れられたとしても、
それは私の本意ではないし、誠実なコミュニケーションとも言いきれないと思う。

正しさよりも、自然なコミュニケーションが大切だとは分かっていても
言うは易く行うは難し、か。

なかなか出来ないというその背景には、やはり「不安」という感情が根深くあるのではないかと思う。

相手から嫌われたくない。相手に好かれたい。
本心を言わない方が安全だという気持ちで、通じ合っているコミュニケーションって、つらいなぁ。

強引に演劇と結びつけてしまって恐縮だけど、、、
その課題は、演劇体験で解決できることもあると、私は信じている。

演劇では、自分以外の役になることで普段言えないような事をセリフを通して言葉や感情で表現する事ができる。

そのセリフや感情を相手役にぶつけても
物語の中では何かが起きるが、日常生活で困ることはない。

こうした演劇体験を繰り返していくと、
日常で出しづらいような想いを伝える練習も兼ねている事に気づくようだ。

この演劇の疑似コミュニケーションに慣れる事で、
次第に「正しさのコミュニケーション」から、
言いたいことや感情が伝えられる「自然なコミュニケーション」に変わっていくことがある。

役の中では傷ついたり、傷つけたとしても、
演劇の時間が終われば、何事も変わらず、むしろ同じ時間と物語を共有したことで仲良くなっていて「安心感」を得られる。

私は何を言っても、何を表現しても許される、受け止めてもらえる。
そういった感覚を受け取れる。

演劇は日常のコミュニケーションの練習として活用できるものでもあるし、自身のコミュニケーションで感じている恐れや不安とも向き合えるものだと思っている。


【今日の #まートレ
ピンチャ1分


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