無題

note投稿150日チャレンジ、143日目。


今日は、あるメールを見て、めちゃくちゃ不快になった。
(仕事や身近な友人関係の話ではない)

詳細は書けないのだけど、この日に感じた自分の気持ちを残しておきたい。そして、10年後、20年後、私は君のこと大切に思っていたと確かめるために残しておきたい。


思っている以上に、人は冷酷で残虐だという事象がまた起きた。

それは、相手を傷つけるという目的よりかは、
自分の立場を守ることであったり、組織を守る、組織内の人を守るといった保守的な立場から、非人道的な事を伝えてくるということだった。

共感性のかけらもない文面。
一方的な主張だけだった。
相談したかったのだが、私の話を聴いていない返答で驚いた。こうした大人対応が信じられず、何回も文面を読み返して、私のとらえ方がおかしいのかと思ったくらいだ。社会的に地位があるような人物でも、この対応なのかと驚いた。
憤りすぎて、仲間に意見を求めた。
私以上に怒ってくれた。その文面を見て私は泣いた。つくづく私は、感情の反応が反射的に遅いと思った。

私の中では、悲しみや怒り、勝手に期待して裏切られたような喪失感、端的な言葉の中で想像する書き手の人間性に幻滅した。

しかし、これは全て、私が勝手に抱いた妄想だ。
ただ、この妄想を感じたのは事実だ。
この妄想に対して、書いた感情が起きたのは事実なのだ。

こうしてまた、人を信じられなくなるような事が起きると、
私はつくづくお人好しで、人を良くも悪くも信用するご機嫌なヤツだなぁと思って落胆する。

こうして、私を悪気なく「落とそう」とする人物が表れることで、
私が大切にしたい事があぶり出される。

私が大切にしたいことを、苦肉の策で、自分ができることをやろうと思って行動したら、批判的で、懐疑的で、協力的にではない態度に強く憤りを感じた。
その仕組みや、その人を変えようなんて、全く思わないが、
ここまで心がない対応と差別的(に感じた)な対応が、まかりとおる社会なのだろうか、この国は、この業界は。

返答のそうした原因はある程度推測はできて、相手も相手で大変なんだろうなと夜、サウナに入りながら思った。(サウナよ、ありがとう)

でも、つらい。ほんとクソ。

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