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パフォーマンス・音楽・アートの扉_culture

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身体という物質性、知覚の直接性に興味があります。 目と耳、そして皮膚感覚。 それら刺激に満ちた世界。
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#コンテンポラリーダンス

【ダンス評】 モノクロームサーカス『TROPE』、『P_O_O_L』他

京都のダンスカンパニー、モノクロームサーカス(MonochromeCircus)。2013年の公演なのだが、『TROPE』を不意に思い出すことがある。それは、日常の道具の意味について。道具はそれ自体としてあるのではなく、わたしたち使用者との関係で予め意味が付与されており……たとえば椅子は腰掛けるための道具、ハンマーは打ちつけるための道具……わたしたちの存在なくして、道具に意味はない。それは道具に限ったことではないだろう。近代(そして現代)の人間中心主義の世界においては、人間と

【ダンス評】 ケンジルビエン(KEN汁ビエン)Kenjiru Bien〜異能の身体〜

(写真=山形ビエンナーレ2020より。ケンジルビエン×東野祥子) 京都市左京区鹿ケ谷法然院西町にあるライブハウス「外 soto」 スリーピースバンド『空間現代』(野口順哉(guiter/vocal)、古谷野慶輔(bass)、山田英晶(drums))の運営するライブハウス&スタジオなのだが、数年前からわたしの気になるライブハウスのひとつとなっている。「外 soto」が発する文化は京都や日本というローカルの止まらず、世界へと向けた複数性・多様性として、これからも発信を止めること

【パフォーマンス評】 マルセロ・エヴェリオン/デモリッションInc『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』

演ずるとは、ある種のペルソナを自身が纏うということだ。 ペルソナを纏うことにより、それを見る者に、何らかの誘引作用を引き起こす作業のことである。 ところが、演ずる者がペルソナを欠く(あるいは封印した)としたら、事態はどのようになるのか。それは、「見るとは何か」、という問いを、わたしたちに投げかけることでもある。 京都芸術センターで開催されたマルセロ・エヴェリオン/デモリッションInc『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』KYOTO EXPERIMENT 2013(原題: