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お医者さまには逆らえない。

つくづく思った。それがとても残念だった。そんな話をしたい。

発端はXに投稿されたエッセイマンガだった。作者ご本人のパニック症体験記のような内容だ。ざっとあらすじをまとめると、こう。
パニック症になってメンクリを受診したら頓服を処方された。頓服をお守りにして電車に乗ったりスクワットしたりパートにチャレンジしたりするうちに改善してきた。
という感じ。
作者が最終的に寛解に至ったかどうかまでは描かれていなかったが、最近の様子を綴ったらしいマンガを眺めてみると症状に悩んでいる描写などはない。そもそも闘病記がテーマのエッセイではなさそうで、過去の一エピソードとして投稿されたもののようだった。

普通に分かる分かるーみたいな気持ちで読んだ。それはいい。目に留まったのは、その投稿に対するとある精神科医の引用ポストだった。

ある精神科医が、ご立腹の引用ポストを投稿していた。内容はこう。
「パニック障害は初期にガチっと治療しないと慢性化して近距離電車しか乗れないとか固定してしまうことがある。こんな中途半端な治療はダメ。パニック障害は脳の火災報知器の誤作動。脳の病気。十分な薬物療法が必要」

はて、と思った。このマンガそういう話だっただろうか。私は「頓服をお守りにして行動療法をしたら改善した」話と読んだ。どの辺りが中途半端だったのだろう。脳の病気だから薬物療法が必要? その順接は成り立たない。薬物療法と同等の効果がある精神療法(認知行動療法)もまた扁桃体の過活動を抑制するとされるのだ。はてさて。

色々とよく分からなかったので、つい引ポスしてしまった。「お薬を飲まなくても治るケースがあるのはたしか」だと。だってそもそもそういうマンガだったじゃないか。意図的かどうかは分からないが精神療法的なアプローチが奏功した良例だ。そして私自身もそういうケースだ。
しかしそれが精神科医氏の怒りをかってしまった。さらに引ポスされた。

「そうだよ、だから何。インフルエンサーがいう薬なしで治るみたいな甘ちゃんなことを信じたせいで慢性化して治るものが治らなくなる人がたくさん出る危険性に警鐘を鳴らしてるんだよ」
おお、ケンカ腰だ。ひー。どういうことなんだ。信じるもヘチマもそういうマンガだったろう。というか頓服だけでよいと判断したのは医師だし、それで結局飲まずに改善しただけの話だし、それを信じて治るものが治らないうんぬんとインフルエンサーうんぬんはどっから出てきたのだろう。甘ちゃん? どの辺りが? 行動療法やるってところが? や、そもそも慢性化したら薬でもどうにもならんの? その辺は知らんけども。

ますます混乱して、とりあえずこの精神科医氏が何をこんなに怒っているのか色々考えてみた。何かが根本的にすれ違っているのかもしれない。で、ふと思った。精神科医氏はこのマンガをまったく違うふうに解釈したのではないか。例えば「抗うつ薬の内服を自己判断で中断したけど運良く軽快した」話とか。それなら立腹の意味は分かる。でもマンガに出てきた医師は、できれば薬は飲みたくないと言う作者に対して「無理に飲まなくていいよ、これはお守りだから。不安で苦しい時『この薬があるから大丈夫』って安心できるんだよ」と言っていた。飲まなくていいと言うからにはおそらく内服でなく頓服だろう。つまり抗うつ薬ではなく抗不安薬を処方されたわけだ。普通に読めばそう解釈できる。私も同じ処方をされたし。

だけど、精神科医氏は誤解した。また読者の誤解を懸念した。それほどにこの「抗不安薬を頓服として処方するのみ」のやり方が今の時代ありえないことなのかもしれない。たしかに今は抗うつ薬の内服が主流のようだ。それでも、抗うつ薬が普及し始めたのはたかだかここ10年ぐらいだろう。マンガの作者や私が遭遇した類の薬物療法がむしろ一般的だった時代があろうことは想像できるはずだ、精神科医なら。あ、きっとあれだ、このマンガを現在進行形の話と読んだのかもだ。今の時代まだこんな治療をやっている医師がいるのかけしからん、ということか。それが最初の引リプの文脈に一番近い。なるほど。勝手に納得。

で、自分なりに納得したのでリプライをした。よせばいいのにね。私そういうところがある。「頓服だけ出すならSSRIでがっつり内服治療しろという話でしたか。だとしたら頓服だけで治ると判断したのは医師なのでインフルエンサーではない気がしますけども」的な。そしたらリプがついた。それがちょっとひどかった。こうだ。
「むちゃくちゃやってるヤブ医者が悪いのであって、それを拡散するインフルエンサーは悪くないということですね。よくわかりました。ワイとは考え方が違うのでここまでにします」

最後の最後でどん引いた。ひどくないですか、これ。文脈失いすぎでは。そんな話誰がした。てか一人称ワイて。ねらーか。や、私もよく使う(ねらーではない)が、こういうシリアスめな対人やりとりで使ったことないぞ。なんか失礼だろ。まあでも「むちゃくちゃやってるヤブ医者」と言う辺り、私の考察はわりと正しかったようだ。今どきベンゾ系頓服で治療してんじゃねーぞヤブ医者め、ということなのだ。うむ。それならそれで、むちゃくちゃやってるヤブ医者は悪いし、それで運良く改善した人が改善したよーというのは悪くないだろうとは思う。だって今どきありえない処方だとか普通患者は知らんだろう。「私は運良く治ったけど実はめちゃくちゃな処方らしいから、こういう医師に遭遇したらただちに逃げてねー」とはならんだろう。

ただここで改めて思うのだ。マンガの例は本当に「運良く」改善したのだろうか。私自身が回復したのもまた、運が良かっただけなのだろうか、と。

マンガの話に戻る。作者は頓服を処方された。それを心の支えにして電車に乗ったりスクワットをしたりパートの仕事にトライしたりした。客観的に見てそれらは行動療法と言えるだろう。電車に乗る辺りでは予期不安をグッと耐えている描写もあった。無自覚的なエクスポージャーもあったかもしれない。頓服薬をお守りにするのは安全行動になりうるだろうから、その点ちょっと気になるが、ともあれ作者は薬物療法をやらないかわりに精神療法をやったことになる。それこそが医師の意図するところだったのかもしれない。

それから、作者が母親に「うつは甘えだと思うわよ」と言われて傷つく描写があった。その傷つきを医師に吐露して泣いた。対して医師はこう言った。「誰でもなる病気なんだよ、甘えとか弱いとか全然関係ないからね。重症化すると治療も長引くから、むしろすぐ来てくれてよかったよ。頑張って来てくれてありがとう。」じっくり傾聴からの尊厳の尊重からの安心を与えるトリプルコンボ。さらには自身の携帯番号を渡し「なるべく出れるようにするからね。一緒にゆっくり治療していこう」とまで。さすがにこれは依存を招きかねない気がする。そこまでするのはどうだろうと私でさえ思った。まあでもやり方はどうあれ、おかげで非常に支持的な関係性を築けたように見える。

これを「運が良かった」とするのか。中途半端な治療なのか。甘ちゃんなのか。そうは思わない。この作者にとって「回復に必要な条件が揃った」だけだ。素直に見ればそういうことだろう。

こういった治療の在り方が現実的かどうかは知らない。5分の診察で薬を出されておしまいという話をよく聞くが、実際はそれが一般的なのだろう。医療システム的にそうするしかない現状もおそらくある。精神療法だってそうだ。精神療法は薬物療法と同等の効果があって、併用するとさらに効果が高まると言われている。しかしいざ心理士による本格的なセッションを受けようと思ったら、保険が効かないからお金がかかる。どうしたって抗うつ薬での内服治療が現実的なのだ、今のところは。

だからといって、患者がいつも現実に甘んじなければいけないわけではないはずだ。正直そんなシステムの事情なんて知ったこっちゃない。患者はただ自分にとって適切な治療法を知りたいのだ。受けたいのだ。そして回復したいのだ。元気になって思うままにお出かけしたり、お風呂に入ったり、パーマをかけたり、まつパもかけちゃったり、外食したり、フルタイムで働いたり、なんなら泊まりがけで出張したり、スポーツで汗を流したりしたいのだ。副作用、依存症、離脱症状、禁忌など、薬物療法にも問題はたくさんある。QOLは下がる。自己肯定感も下がりがちだ。その中で薬を使わない回復例があるなら、何が奏功したのか、これを現状に取り入れられないか、取り入れるとしたらどういう形か、もっと積極的に検討されるべきじゃないか。それを「これはダメ、十分な薬物療法が必要」などと一蹴して議論にのせようともしないのは、やっぱり変だ。いろんな方向から変だ。

ちなみにマンガの場合は、頓服と行動療法のコンボなので併用療法の一例とも捉えられる。参考にできることは少なくないだろう。私もまた認知行動療法で寛解した当事者として、共感できることはとても多い。また、マンガに出てきた医師のケア的な対応も参考になりうる。ちょうど今読んでいる「ケアする対話」(横道誠ほか/金剛出版)にこうあった。『人間の尊厳、自由や権利を尊重していくことで結果的に回復が起こる』(69ページより本文引用)と。まさにそんな感じじゃないか。それを現状として医師にやる余裕がないとしても、他でどう補えるかなどは論点になりうるだろう。

だけど今回の件でつくづく思った。お医者さまがあの調子では今後もなかなか選択肢は増えなかろう。患者はお医者さまには逆らえない。とてもとても脱力感を覚える一件だった。(おわり)

ご参考まで(件のマンガエッセイ)

https://x.com/waiko084/status/1767119116295721219?s=46&t=5r3oy7Au67MCs0OhE065Tw

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