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アーティスト?

今日は府中市在住のアート関係者及びアート好きの人が作るイベントの説明会に行って来た。
この冬に開催される予定で、ボクは「オープンアトリエ」を推されて参加したが、現在のように個人的に呼びかけて来ていただく「アトリエ展示会」ならともかく、府中市全般に呼びかけ、そのお知らせが全国紙に載る様な企画に乗れるのかどうか?
以前自分の企画で30名ほど自宅にいらした時に、住宅管理の事務所の方が(変な宗教の集会所になってないか?)(もしくはネズミ講か?)みたいな心配をしてピンポンした事があった。
オープンアトリエでの参加は見送りたいが、何かしら参加して盛り上げて行きたいと思う。
その会議の渦中でさかんにアートとかアーティストという名称が言われ、ボクはそれって何なんだろう?と深く考えていた。
世間的には絵や音楽や踊りなどをする人の事を指すのだろうが、内側にいるとその認識はズレていると分かる。
それは単なる「○○好き」を計るメモリでしか無く、20世紀の初頭はピカソやマティスがアーティストだったかも知れないが、アートの持つ意味合いを司る立場はどんどん移り変わって行く。
科学者の事もあるし、ファッションデザイナーや哲学者や政治家や映画監督の時もあった。
アートはその人が表現する作品だけでは計れなくて、常に時代性と抱き合わせとなる。
アートは「既存の価値観を破壊する行為」であって、忖度に達者な人にはその呼び名は向かない。
ヒール(悪役)を引き受け、バッシングをせせら笑う者である。
今だったら落合陽一やホリエモンが分かりやすいヒールで、言うだけでなくやっている人たちだ。
彼らが描く未来はスピ系の理想論をはるかに現実化している。
それが本当に良いのかどうか?人類にとって善なのか悪なのか、それは分からない。
ただ、アーティストと言う言葉を聞く度に、ボクは自分が本当のアーティストなのか問われている気持ちになる。
未来に、未知に、何が出来るのか?
未来の子供たちに、見ず知らずの人たちに、何が出来るのか?
ボクにとってのアートは、その視座を持つという事にビッタリ当てはまった人なのです。

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