山、事始め。

初めまして。東京在住のたまると申します。

山が好きで、休日は高尾、奥多摩、丹沢エリアをよく歩いています。

夏のシーズンにはアルプスにも行きます。テント派です。


以下ざっくり自己紹介=山歴紹介を。


山は見るもの。生活の背景

出身は東北南部の盆地です。生まれた時から里山に囲まれて暮らしていました。

とはいえ、子どもの頃の山の記憶と言えば小学校の蔵王登山、夏休みに家族で行った蔵王お釜観光くらい。蔵王ばっかりですが、ほんとその程度。里山はあくまで生活の背景で、わざわざ登ることなどありませんでした。

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高校は蔵王の麓の町に通いましたが、これも成り行き。(というか単に地元の学校に通うのが嫌だったからです)

どーんと校舎の向こうに聳える蔵王を見れば、さすがにおおっ!となりましたが、夏に山小屋合宿行かされたり(そう、山小屋を持っていたのですよ)、『蔵王下ろしのすさぶ里』と校歌の歌詞にもある通り冬の寒さが半端なかったり…。正直えらいところに来たもんだと思いました。

場所が場所だけに山好き、登山好きゆえ長年居座ってる先生もいて、週末になるとチェックの山シャツ、ゲートル(今時見ないですね)姿で校内うろうろしてたりして、何が楽しいんだかという気持ちで眺めてました。

そう、山には多少ご縁のある環境だったのですが、全くありがたみを感じてなかった。

山へのアプローチは意外なほうから来ました。

「山」と出会う

青春て大概馬鹿馬鹿しいような、恥ずかしいものだと思うのだけど、
その根源は単純、感化されやすい。てことだと思う。

多感な時期、好きな先生の一言一句は影響力がハンパない。

今時分は知りませんが、80年代の田舎のセンセイというのは
まだまだ大きな存在でした。良くも悪くも。
(実際いい先生たくさんいました)

初心な田舎娘はころころ掌上で転がされまくり、その先生のおススメという理由で、当時はずいぶん本を読みました。

で。ここで、後の自分に繋がる貴重な出会いをしました。

北杜夫さん。

ドクトルまんぼうシリーズにはまり、そこからズブズブ長編小説にのめり込み、受験勉強の合間、手に入る限りの本を読み漁りました。
特に強く引き付けられたのは、しばしば現れた『ヤマ』。
私が知ってる近所山とは違う、何かただならぬものを感じた。

それが何かは、具体的にはわかりませんでしたが、
将来に悩んだ宗吉青年が一人秋の穂高へ向かう...そんな描写を読んで『山には何か人を惹きつけるものがあるらしい』と漠然と、強く思いました。

(山に行けば何かが変わるわけではなく、山に至るまでの生活、思いの積み重ねがあればこそなのだと今は思いますが)

ホタカ カミコウチ チョウガタケ  等々…

そういった馴染みのない名前が、田舎娘には外国と同じように未知で、手の届かない遠い世界のもののように響きました。
でも『私も<いつか>、その山というものに登って、凄いような景色を眺めたい』、と初めて思ったんですよね。初めての山との出会いはこれだったのだと思う。

提出期限のない宿題を抱え込んだ感じでしょうか。

実際、その<いつか>が実現するのはずっとずっと後でしたから。








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