夜を乗りこなす3

こんばんわ。
三回目の夜です。

猛暑続きで、寝苦しい夜が続いております。
でも体は意外に元気…というより、非常に気分が高揚した状態で
どんなに寝るのが遅くなった日でも翌朝6時前にはシャキーンと
眼さを覚まし、洗濯機をガンガン回し、前日の洗濯物を一気に
整理し、弁当を作り、余裕を持った時間に家を出て、運動不足解消だ
といって駅まで20分、歩いております。
こんなにくそ暑いにも関わらず。

単調、明瞭、迷いなく、かっちり日々のルーティンをこなしている
わけですが、さらにいうと次々やりたい意欲が湧いてきて、あれもこれもと予定を詰め込んでる状況だったりする。週末の登山、キャンプ、映画、イタリア語や韓国語の勉強、古文書学習、展覧会、お寺巡り、adobeの勉強もしたいし絵も描きたい。頭の中を駆け巡る日帰り旅行や一泊旅行計画をカレンダーにはめ込むと、一息つく暇もないほどのボリューム。

一見するとすこぶる充実したな日々…ですが、体力を考えるとあまり現実味がないのですが、考えてる本人は真剣、やれる気満々。熱に浮かされたような感じです。完全にハイ。これが怖い。
なぜなら、上がった分落ちるから。
上から下に行くより上から下に落ちる方がインパクトはでかい。

実際、落ちた時どうなるかというと

自己評価がた落ち。
現在の自分も過去の自分も未来の自分も否定。
疑心暗鬼になり、例えば誰かが小声で話していると自分のことを
コソコソ話してるのではないか??などと思ってしまう。
ゆえに周りの物音、特に人の話し声に過敏になり、すべてをシャットアウト
したくなる(シリコンの耳栓を着用したりしてます)
一事が万事ネガティブ思考。自分を追い詰め、引きこもり、なんとなく
周りとぎくしゃくし、孤立化(してると思い込む)。
結果、トイレに駆け込んで嗚咽をこらえる…。

ハイのときからは想像もつかないほどの落ちっぷり。

落ちては上がって、良くも悪くも楽しいおかしいと過ごした後に「世の中に自分が幸せに生きる場所なんてない」と落ち込む。そんな繰り返しの生活を、なんだかんだで15年以上は続けているんですよね。

あ。それでも、ある時期それがだいぶ解消されたと思う時期がありました。
作業療法とでもいうのかな。
週末山に行って、体を動かし存分に汗をかいて、夜は泥のように眠る…
そんなことをやっていたら、なんだか気持ちが落ち着いて、泥沼に
陥ることも過度にアクティブになることもなくなり、体もすごく楽に
なったのです。10年くらいまえかな。心療内科への通院も中断しました。
すっかり元気になったと思って。
その時思ったのは(まあ今も変わらないけど)「好き」と思えるものの存在って、大きいなとということ。辛くて墜ちそうなとき、「好き」がホールドになってくれるるんだと。墜落を防ぐ命綱になってくれる、踏ん張りを利かせてくれる。

今の状況は何なのか。
「好き」がなくなったのか。
いや、今も変わらず山には出かけているし、そのことを考えるのは非常に
楽しい、安らぎの時間であることに変わりはありません。
何が変わったのか。

思うに、やはりこの、ほぼ3年に及ぶ閉塞的な生活が少なからず影響してるとは思う。「皆同じ」「皆がそれぞれ我慢してる」「…に比べたら自分なんて」「せっかくだからこの機会に今までやれなかったことをやろう」「「できないに甘んじない、出来ることをやろう」…前向きに捉えようと試行錯誤を繰り返す日々。でも、テンション続かないですね。どこかでポロっと箍が外れたような、もう頑張れないみたいな、自分の弱さ、心の底にたまり貯まった澱のようなものが垂れ流し状態に。


※仕事もあって一応衣食住に困ってなくて、それなのにそんな弱音を吐くなんて贅沢だ我儘だ、世の中にはもっと…と思うかもしれませんが、そんなの本人が一番よく分かってます。実際書きながらあまりのヘタレっぷりに眼をそむけたくなるのですが、でもこれが真実。恥を忍んで書きます。

閉塞的な日々。
そして、たまたまのタイミングで表面化してきた世代的な問題あれこれがそこに追い打ちをかけることになった気がします。



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