読解力がどっかいく・夏

どうも、まーくんです。変な名前ですね。
暑さで頭がやられたのでしょうか。これを書いてるとき、エディターがずっと他のタブで開いてるpixivの画面しか表示してくれません。多分おま環だろうと思いつつ読み込み繰り返したら持ち直しました。
話題がスプロール現象起こすのはリアルタイムで書き進めている弊害ですね。

もうすぐ夏休みがくる
夏休みがくるとどうなる?
知らんのか
ネットで論争が起きる

夏休みに入ると大体「お前もう宿題と関係ないやろ」という年代らしき人が、日本で出される夏休みの宿題がいかにおかしなものか熱弁しています。
中でも槍玉に上げられがちなのが、読書感想文。
親の仇かってくらいみんな読書感想文大嫌い。極端な例ですが「今すぐ廃止しろ」くらいの調子で語っている人までいます。その熱意で文科省に入れたらいいね。

大体「暇やなあ」で済ますのですが、近しい友人が読書感想文について色々話していたのを見ました。
これは自分語りチャンスだと思い今緊急でnote打ってるんですけど(最近覚えた構文)。

実は小中学校の頃、教科としての国語は苦手でした。
小学校の頃なんかは読書を今の数十倍くらいしてましたが、それだって全校生徒のうちで言えば真ん中くらいの読書量。
(そもそも親に言われたから借りていただけで読むフリをしていた本も多く、特にコナン・ドイル先生には申し訳ないことをしました。)

そんなぼくが高校に入って急激に伸びた理由とは……!?とかいう話ではなく、むしろ何故あんなに苦手意識を持っていたのかから考えたいと思います。

その頃の自分がよく使ってた言い訳として「人の気持ちがわからない」があります。事実、「気持ちを答えよ」系の記述問題は比較的苦手でした。小中の問題なのでそこまで大きく落とすわけではないのですが、「なんか今ひとつ取れないなあ」「減点されてるなあ」くらい。

ただ、中学の途中からふと気づきます。
これ解答欄狭すぎるだけじゃね?と。
そうです、ぼくが苦戦していた理由は(恐らくですが)

感情をたかが二、三十文字の中にどう詰め込めばいいか分からなかったから。

この点だと考えています。

例として一つ思い当たる文章があったので要約して書きます。

主人公は女子中学生。ある日、主人公の祖母が思い出の味として語ってくれた料理を、祖母が再現して振る舞ってくれました。
しかしそれはお世辞にも美味しいとは言えず、後ろめたさを感じつつも主人公は箸を置きます。
それを見て祖母は「でもね、私にとってはこれが思い出の味でごちそうなんだよ。」と言い放ち、主人公はその言葉にはっとするわけです。
(細部は曖昧なのであえてぼかしました。多分祖母は戦争経験者で、柿の蕎麦かなにかを振る舞ってくれたシーンだったと記憶しています。有識者求ム!)

問題は「はっとする」の辺りに線が引かれて、このときの心情を答えようみたいなものでした。

ぼくなりに読解をすると、このシーンにおける主人公は、
おばあちゃんの思い出の味を美味しいと感じられず気まずくなると同時に、それを「ごちそうなんだよ」と呼んで笑顔で食べるおばあちゃんを見て、自分にも思い出を共有しようとしてくれたというある種の愛を受け取り、あるいは、おばあちゃんの優しい笑顔の裏にある過去に思いを馳せるわけです。

これ、書けるわけなくない?
どんな気持ちだったかってさ、その前後から気持ちの流れあるじゃん。
その変遷を書かなきゃ「どんな気持ちか」なんて伝わりきらないじゃん。もっとスペースちょうだいよ。
まさかここで「祖母の優しさに触れて感動する気持ち。」とか書けと?いやいや簡単すぎだしこの話である意味がない。前置き全部読まなくたって適当に書けるじゃんそんな文。
え、なに「はっとする」のここでの語義を答えさせる問題だったりする?あーもうわからん。とりあえず優しさ軸で行くか。

で、配布された解答集を見ると、「こんな簡単なわけない」と切り捨てた例文が誇らしげに偉そうに載ってるわけです。ブチギレ。

小中学校時代の苦手意識は、このように
•どの部分を求められているのか深読みしすぎ
•要約力なさすぎ(というより解答欄狭すぎ)
に集約されていたんじゃないかな、と今になって思います。

これを克服してからはご存知国語強者としてブイブイ言わせてました。盛りましたごめんなさい。

だいぶ逸れましたが読書感想文についてでしたっけ?結論言うとあれぼくも嫌いでした。
だって読書なんて強制されてやるもんじゃないし、感想を言語化するだなんて読書したい層の更に選ばれた一部がやることです。
(書き出すきっかけになった友人は選ばれた一部側でしたが、それはそれとして強制されるわ点数つけられるわでクソ!!!というスタンスでした)
読書自体は嫌いでもなかったし、文を書くのだって苦手じゃなかったけれど、ただ「強制されている」という一点において死ぬほど嫌でした。聞いてるか図書館通いさせてたクソハゲ。失礼、私怨でした。

まあでも同時に、なくすべきとまでは思っていません。あれのおかげで読書に目覚めた人、どこかしらにはいるんじゃないでしょうか。夏休みの宿題なんていうボスラッシュの中に、読書という友達がいたことで救われた人とか。もっと言えば、初めて好きなことで賞がもらえて自信になった人だって。

誰かを否定するため、苦しめるため、あるいは嫌がらせをするためという動機が根底にあるならともかく、読書感想文の制度にそんな意図は存在しないでしょう。
苦しんでいる人もいるから、と誰かの救いとなりうる場所を更地にする権利が誰にあるのかと聞けば、多分誰も手を挙げないと思います。

棲み分けとかはしてもいいと思いますけどね。自由研究と読書感想文とを選択にするとか。本気で苦手だという層へのケアは考えて然るべきだとも思います。

ということで、イヤイヤながらそれなりに読書感想文に取り組んできた人間は、こういうテンプレを返すようになるというお話でした。
読んでいただきありがとうございました。ではまた。

最近読んでる本:旅のつばくろ/沢木耕太郎

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読書感想文

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