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第4章 ネズミ講とクリティカル・シンキング | なぜあなたは騙されてしまうのか

・大半の日本人が知らない東欧の小国「アルバニア」

 
 競技クイズには、頻繁に出題される問題、いわゆる「ベタ問」という概念が存在します。例えば、第2章で述べたフランシス・ベーコンの「4つのイドラ」に関するクイズもベタ問と認識されることが多い問題です。この時、大抵はフランシス・ベーコンが『ノヴム・オルガヌム』で述べた順に「フランシス・ベーコンが唱えた4つのイドラとは、種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラと、あと1つは何でしょう?」と問われます。この問題文が半ば定型文と化しているため、クイズプレイヤーの中には、先の問題の解答である「劇場のイドラ」しか覚えていないという方も見受けられます。

 他にも、ベタ問として国旗に関する問題もいくつか挙げられることがあります。世界で唯一五角形の国旗をもつのはネパール、表と裏でデザインが異なるのはパラグアイの国旗、エジプトの国旗に描かれているのは「サラディンの鷲」、などがその例です。

 さて、最後に挙げたサラディンの鷲ですが、同じくベタ問とされることの多い問題に、アルバニアの国旗に描かれている「スカンデルベグの鷲」というものも存在し、クイズで出題される際には二者がしばしば混同されます。スカンデルベグというのは中世アルバニアの君主で、オスマン帝国(現在のトルコ)から独立を保ったことからアルバニアでは民族的英雄として崇められています。……と説明したところで、日本ではスカンデルベグはおろか、アルバニア自体の知名度が低いでしょう。しかし、かつてこの東ヨーロッパの小国・アルバニアは、かつて類を見ない原因で経済危機を起こしたのです。
 

・アルバニア:共産主義とネズミ講

 
 まず、経済危機について説明する前に、アルバニアという国について概説しておくことにします。アルバニアはバルカン半島に位置しており、南ではギリシャ、北ではモンテネグロと隣接しています。また、国土は四国の1.5倍ほどであり、人口も約284万人と茨城県の人口と同程度です[1][2]。

 歴史的には、アルバニアは15世紀ごろ、先に述べたスカンデルベグという英雄によってオスマン帝国の支配を退けていましたが、彼の死後にその支配下に置かれてしまいます。オスマン帝国はイスラム教国であったため、元々キリスト教徒が多数を占めていたアルバニア人は、積極的にイスラム教に改宗することで幅広く自治権を保持しました。そのため、現在でもアルバニアの宗教は統計上イスラム教が多数派を占めています。

 19世紀になるとオスマン帝国は弱体化し、1877年のロシア・トルコ戦争でオスマン帝国が敗北すると、アルバニア人の居住地域が分割される危機に陥ります。これを機にアルバニア人の中で民族主義の運動が始まり、1912年にはアルバニア独立に至ります。しかし1939年、アルバニアはイタリアにより武力をもって併合されてしまい、第二次世界大戦中にはドイツの支配下に移されます。これに際しアルバニアでは再び民族運動の機運が高まり、1944年には共産党系の「反ファシズム民族解放軍」がアルバニア全土を解放しました[3]。ここで解放したのが共産党系の組織であったこともあり、戦後のアルバニアでは共産党系の政権が樹立されます。

 1980年代になると、ソビエト連邦はアフガニスタン戦争で敗北し、それを遠因として周辺の共産主義国に対する影響力が弱まっていきました[4]。そして、1989年にはチェコスロバキアのビロード革命やドイツのベルリンの壁崩壊、ルーマニア革命など、共産主義国における民主化革命、いわゆる「東欧革命」が次々に起こりました。この時期、アルバニアは鎖国政策をとっていたこともあり国内に反体制運動が存在したか否かは不明ですが、1990年になると食料や燃料の不足を原因とする暴動が起こっているという情報が周辺諸国を経て伝えられるようになりました。そして、1991年に複数政党制による選挙が行われ、翌年には民主党政権が樹立されたことでアルバニアの完全な民主化が達成されたのです[3]。

 さて、多くの旧共産主義国と同様、民主化前後のアルバニアの経済水準は非常に低いものでした。例えば、1人当たりの名目GDP(アメリカドル換算)を確認すると、1990年は617.2ドル、1991年は336.6ドル、1992年には200.9ドルを記録しています(ただし、2020年には5246.3ドルまで成長している)。他国における1991年のデータを見てみると、日本は28915ドル、アメリカは24342ドル、ソビエト連邦解体直前のロシアでも3490.5ドルであり、その差は歴然です。また、1991年におけるアルバニアの失業率は30.0パーセントであり、この数字からも当時のアルバニアの困窮した経済状況がうかがえます[5]。

 このように貧困にあえぐアルバニアでは、窮状をしのぐために大きく2つの非公式経済(統計に表れず、課税対象とならない経済部門)の形態が登場しました。そのうち、1つ目は露天商です。日本で露天商というと、祭事などに際して出店される屋台などを想像されるかもしれませんが、ここでいう露天商とは、タバコやバナナといった一般的な商品を販売する者から、密輸入品や麻薬といった違法な商品を販売する者まで多岐にわたります。このような露天商は首都のティラナで2万~3万も存在したと言われており、それらの収益が非課税であると考えると、国家の損失は計り知れないものになります[6]。ただ、露天商の増加はアルバニアの経済危機を招いた直接的な原因ではないと考えられています。その直接的な原因と考えられているのが、2つ目の非公式経済の形態である「ネズミ講」です。

 ネズミ講とは、ある組織の会員が新しい会員を加入させることにより出資金を超える配当金が得られるというシステムで、ネズミ算式に勧誘が行われることが特徴です[7]。また、このシステムは後続の会員が必ず損をする構造になっており、「無限連鎖講の防止に関する法律」で開講や加入、勧誘が禁止されています[8]。ちなみに、しばしばネズミ講と混同される「マルチ商法」の場合、商品を販売することや会員の販売力によっては先に加入した会員より高い配当金を得ることができるなどの違いがあり、規制は存在するもののマルチ商法自体は禁止されていません。

 さて、アルバニアでネズミ講が流行した背景には、共産主義から資本主義への移行期で、法律やシステムが十分に整備されていなかったという点が挙げられます。まず、法律の面では、非公式経済の監視に関する法律が整備されていなかったという問題が存在しました。また、主要な銀行は不良債権の増加により中央銀行から厳しい貸付制限を設けられ、結果として貸し渋りが発生しました。

 こうした状況で成長したのが、銀行よりも融資のハードルが低い非公認の金融機関です。このような金融機関が登場した当初、銀行が貸し渋っていたこともあり、多くのアルバニア人からは重要かつ良心的な機関であると認識されていたようです。しかし、そのような金融機関がやがて高配当をうたったネズミ講へと変化していったのです。

 ただ、後続の投資者からの出資金を先行の投資者の配当金に充てるという一般的なネズミ講のシステムと異なり、アルバニアの一部のネズミ講では別の資金源が存在しました。それというのも、アルバニアでネズミ講が流行した1990年代前半、同じくバルカン半島に位置するユーゴスラビアが紛争を理由に国連から経済制裁を受けており、アルバニアの一部のネズミ講はユーゴスラビアに武器などを密輸することで莫大な資金を得ていたと考えられているのです。このような資金を背景にネズミ講は勢いを増し、1995年末にユーゴスラビアに対する経済制裁がネズミ講の資金源となるような物品を除いて解除されると、ネズミ講は配当金を次第に吊り上げるようになりました。さらに、ネズミ講事業に新規参入する企業が現れ、それらの企業が力を伸ばし始めると、既存の企業も負けじと配当金を増やしていったのです。こうしたネズミ講同士の配当金競争により、アルバニア国内ではネズミ講に対する熱量が高まっていき、最終的に国民の3分の2がネズミ講に出資したとまで言われています。

 しかし、ネズミ講のシステムは、遅かれ早かれ限界を迎えるものです。1996年10月、ネズミ講企業の古参であったスード(Sude)が債務不履行、すなわち配当金を支払えない事態に陥ります。これを機に、国民の間にネズミ講に対する不信感が募り始め、翌年1月からスードをはじめとするネズミ講企業の破綻が続出します。これに伴い、配当金を得られなくなった国民の一部が暴徒化し、警官や軍隊の逃走や兵器の略奪などが起こるようになり、当時のアルバニア大統領であったサラ・ベリシャが退陣を迫られる事態に発展しました。結果として、暴動により約2000人が殺害され、通貨の暴落や貿易の停止など、アルバニアの経済も崩壊に陥ってしまったのです[9]。


・アルバニアのネズミ講から学ぶべき教訓


 以上のアルバニアの例から、我々が得られる教訓は何なのでしょうか。確かに、ネズミ講を禁止する法律が制定されていなかったことや、市場を監視する制度が整備されていなかったことなども挙げられるでしょう。しかし、これらの反省点は立法や行政の問題であり、ほとんど我々がどうにもできない領域です。ここで、我々の生活に直結するような教訓は、大きく2つが考えられます。

 1つ目は、実体をよく知らないまま金銭や労力などを投資しないことです。アルバニアの例においては、戦後長きにわたり続いた共産主義から資本主義への移行期であり、国民が資本主義経済について知識が不足していたことが考えられます。そのため、共産主義の下では勃興しにくいネズミ講というシステムについて、多くの国民が成立するものと思い込み、結果としてネズミ講に投資してしまった可能性があります。

 一方、現代の日本は資本主義経済が十分に浸透しており、経済活動に関する法律も整備されているため、アルバニアと同様の事象はまず起こらないでしょう。しかし、悪質な手合いは、法律や制度の隙間を縫うようにしてやってきます。例えば、近年みられるものとしては、起業を誘い文句にして金銭を搾取する集団です。まず、集団の構成員はコンパや路上などで多数の人物に声をかけ、連絡先を交換します。その後、構成員はその者たちを食事やパーティーなどに誘い、現在の仕事に不満を抱いているなど、現状に変化を求めていないかを探ります。そこで、その者が変化を求めていると分かると構成員は集団への入会を促し、入会した者は起業セミナーなどへ参加させられる傍ら、新たな構成員として勧誘等の活動を強いられます。そして、集団に染まると、起業家の師匠が販売する高額の商品を、自己投資と称して半ばお布施のような形で購入させられるのです。

 当該集団においては、このように金銭や労力を多く注入しても、残念ながら起業できずに脱会していく者も多いというのが実情のようです。この集団の手口も、「お布施目的」という実体が見えないままセミナーへの参加や勧誘活動などの労力を強いられるという点で、アルバニアの例と共通していると言えるでしょう。このように、注ぎ込んだ資金や時間が水の泡になった、という事態に陥らないためにも、自身が携わろうとしている存在が何者であるかを念入りに調べておく必要があるのです。

 2つ目は、ネズミ講の高配当のように、都合の良い話に安易に乗らないことです。当たり前のことのように感じる方も多いとは思いますが、油断は禁物です。警察庁の調査によると、金融商品詐欺(外貨や有価証券、架空の未公開株などの高額商品を購入させる詐欺)の被害額が2021年は2億円に上り、2012年から2014年に至っては、それぞれ年間の被害額が100億円を超えていたほどです[10]。

 また、近年問題となっているネットワークビジネスにおいては、勧誘の場面で「楽に稼げる」「副業として続けられる」「自由な時間が増える」などの文句が用いられることも多いようです。しかし、現実にはネットワークビジネスに関わったことで借金を抱える者もおり、何かしらの損害を受けている者が少なくないようです。

 以上の2つ以外にも、このような都合の良い話は我々の周囲にいくつも転がっており、そのうちのどれかに引っかかってしまうことも十分にあり得るのです。第3章で正常性バイアスにより詐欺に遭いやすくなるという説明をしましたが、都合の良い話についても「私が当事者になることはない」と決して思い込まず、話が舞い込んできた場合にはまず疑ってかかり、甘い言葉の裏に隠された意図を汲み取ろうとする姿勢が重要です。


・「クリティカル・シンキング」が身を助ける


 さて、以上の教訓の根底には共通して、疑うことの重要性が存在します。「疑う」という単語を聞いた時、マイナスなイメージを抱く方も多いかと思います。実際、親族や友人を疑うことは望ましくないという風潮もあり、疑うことを簡単には肯定できないかもしれません。

 しかし、親族や友人を安易に疑うのはまだしも、疑うこと自体は悪いことではなく、むしろ「騙されない」という目的においては推奨される行為です。理由は単純で、疑わないことは情報を鵜吞みにすることとほとんど同義だからです。繰り返し述べていることですが、社会は誤情報に満ちており、事実と誤情報をない交ぜにして騙そうとする手合いも存在します。したがって、情報を受け身で捉えると誤情報まで取り込んでしまい、結果的に騙されてしまうのです。よって、「疑う」という行為は騙されないために必要不可欠であると言えるのです。そうとはいえ、ただ闇雲に疑えばいいというわけではありません。適切な部分に対し、適切な方法で疑いの目を向けることで、我々は真理に近づくことができるのです。そこで有用なのが、「クリティカル・シンキング」という概念です。

 クリティカル・シンキングの定義は学者により意見が分かれていますが、教育心理学者の満田泰司は「見かけに惑わされず、多面的にとらえて、本質を見抜くこと」と説明しています[11]。クリティカル・シンキングは日本語で「批判的思考」と直訳的に呼ばれることもありますが、この概念は物事を様々な視点から眺め、論理的・合理的に判断を下す考え方を指し、「批判的」という語から想像される攻撃的なものではありません。実際、道田はクリティカル・シンキングに際して相手のことを理解するために好意的な態度をもって臨む「共感的理解」が重要であると説いています[12]。

 そのため、スマートニュース メディア研究所長の山脇岳志はクリティカル・シンキングに「吟味思考」という訳語を当てましたが、先述の定義や共感的理解の重要性を踏まえると、比較的ポジティブで念入りな調査のニュアンスを含意している「吟味」は非常に自然であると言えるでしょう[13]。そして、吟味の出発点こそが、与えられた情報を疑うことなのです。

 クリティカル・シンキングにおいては、疑うことから出発した後、どのような流れで考えていくのでしょうか。戦略コンサルタントのピーター・ファーチョーネによると、まず、クリティカル・シンキングにおいて核となるスキルは解釈、分析、評価、推論、説明、自己調整の6つであるといいます。それぞれの語義を確認しておくと、解釈は「様々な経験やデータ、出来事、慣例、批判などの意味や重要性を理解・表現すること」、分析は「推論の中の関係性から、意見や質問、概念、説明などが正しいものか、それとも意図に沿って曲げられたものかを見分けること」、評価は「ある個人の考えに基づく意見や表現が信用に値するかを論理的に査定すること」、推論は「妥当な結論を導くのに必要な要素を見分け、保証すること」、説明は「理由づけに関する結論を、説得力があり筋の通った方法で提示すること」、自己調整は「特に分析スキルや自らが推論により導き出した判断を評価することにより、自身の認知行動やどんな要素を用いて認知を行ったか、どんな結論が出たかを自身で監視すること」とされています[14]。

 続いては思考の流れについてですが、まず、相手から与えられた情報を疑った際、情報を解釈することが必要です。この時、解釈すべき事項は「相手が何を主張しているのか」「相手が用いている言葉の意味は何か」「現状として何が起こっているのか」の3点です。我々が情報を与えられた際、主張を明確化することで、相手(情報を与える側)が本題から逸れた論を展開したり、主張自体が変わったりした場合に指摘・修正することができます。逆に言えば、主張がずれた場合や主張自体が誤っている場合に気付かなければ、議論が誤った方向のまま進み、破綻した結論が出てしまう可能性すらあります。

 また、相手が用いている言葉の意味を確認することも非常に重要です。例えば、第3章で「波動」という単語は物理学とスピリチュアルで意味が異なるという話をしましたが、このように多義的な単語の意味を混同したまま議論すると、相手がその単語を都合よく用いることで相手の意図するままに議論が進行・決着してしまうことが考えられます。そして、「現状として何が起こっているか」というのは、その場の状況を把握するということです。例えば、未来の日本の課題というテーマで議論が行われているとして、その場が医療関係の有識者会議であるにもかかわらず「東京近郊における空き家の増加が問題となっている」という話をすればひどく場違いでしょう。つまり、議論など情報のやりとりが起こる場においては、そこでやり取りされるべき情報は何なのか、ということを念頭に置いておく必要があるのです[14]。

 こうした解釈を基に、続いては分析を行っていきます。この時、分析すべき事項は「結論は何か」「理由は何か」「何が前提とされているのか」の3点です。これを聞いて、結論は話を聞いていれば分かるだろう、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、長い議論や文章においては構造が思いのほか複雑になり、どこが結論なのか判別できなくなったり、時には結論が複数存在したりもするのです。こうした場合には、何を言いたいのか分からないまま議論などが終了し、雰囲気に流されるままに賛同してしまった、ということすらあり得るのです。したがって、議論や文章読解などに際し、普段から結論を意識することが重要であると言えます。

 また、「理由は何か」というのは、結論やそこに至る推論を裏付けているもの、すなわちデータなどの証拠が存在するか否かという点に注目することです。この点については今まで繰り返し述べてきたことですが、正当な証拠でない限り裏付けにはならず、結論は受け入れられなくなります。したがって、理由として挙げられている事柄は妥当なのか、証拠がデータであれば出典は何か、データに疑義がもたれていないか、などを考慮する必要もあるでしょう。

 さらに、議論の前提となっているものが誤っている場合も議論が成立しなくなります。第3章の冒頭で述べた「ナイラ証言」の話においては、イラク軍の兵士により多くの新生児が殺されたという虚言が湾岸戦争の開戦に至ったわけですが、その際に行われたパパブッシュのスピーチは新生児の殺害が事実であるという前提のもとに進められたのです。このように、誤った前提をもとに議論が進んでいる場合、誤った場所に議論が帰着することも考えられるのです。また、相手が明示していない前提(一般常識や社会通念のほか、常識とは言えないが相手が常識と捉えている事象)が存在している場合もあり、こうした前提のもとに主張が展開されていないかにも注意する必要があります。

 最初に述べた3点については以上のとおりですが、これらに加え、なぜ相手がそのような主張をする必要があるのか、相手にとって議論をするとどのようなメリットがあるのか、という点についても注意することが推奨されます[15]。

 続いては、分析した事柄を評価していきます。評価すべき事項は、「理由は受け入れられるものか」「推論(それまでに述べられたこと)は結論を裏付けるものか」「他の検討事項によって論拠の強さが変化しないか」「全体を通して印象はどうか」の4点です。

 まず、「理由は受け入れられるものか」というのは、結論に至るまでの推論で用いられているもの、具体的には引用された事実およびそこから導かれた主張が妥当か、言葉が定義に則って適切に用いられているか、主張者の価値判断は(その時代の)価値基準に沿っているか、といったことを鑑みて、理由の正当性を評価するプロセスです。このプロセスにおいては、主張者が引用した事実などの情報源が信頼に値するか、ということも評価の対象となります。

 その上で、「推論は結論を裏付けるものか」についても評価する必要があります。ある理由を基にして推論が成り立ち、その推論から結論が導かれるので、いくら理由が妥当であっても、結論との結びつきが弱ければ何の役にも立ちません。逆に言えば、推論と結論の結びつきが強ければ強いほど、推論は結論を強く裏付けるものとも考えられます。

 以上の二点は意識すれば簡単にできるものと思われますが、「他の検討事項によって論拠の強さが変化しないか」という点については、他に何を検討すべきか考えなければいけないため難易度がやや高めです。ただ、裏を返せば、この点がうまく処理できることがより鋭いクリティカル・シンキングにつながっていくとも言えます。それというのも、「他の検討事項」というのは議論の相手から提示されていない情報を探るということなので、提示すべき情報の漏れや推論に関する周辺事項(別の意見が存在しないか等)などを想像力豊かに、洞察力を研ぎ澄ませて考えることが必要になります[15]。そうして覚えた違和感が思いもよらない欠陥を発見する契機にもなり得るため、難しいからという理由でないがしろにできない部分なのです。そして、以上の3点を考慮した上で、全体を通して論が受け入れられるものか否かを最後に評価することも重要です。

 この時、評価と並行して自身で推論も行いましょう。それというのも、相手が挙げた理由や前提を基にして推論すると、相手とは異なる結論が導き出される可能性があるからです。これまでの説明を整理すると「前提→理由→推論→結論」という思考のステップがみえてきますが、この矢印部分、すなわち議論を発展させる部分で相手とのズレが生じます。このズレを補正するためには、「前提を無視、あるいは受け入れた場合で議論の方向性はどう変化するか」「他に推論できることや追加で考えるべきことはないか」「別の結論を導くことができないか」ということを尋ね、互いの意見をすり合わせることが有効です[14]。この際、自分の推論が誤っていそうだという場合には、勇気をもってその推論を捨てていただきたいと思います。

 ここまでの4つは主に議論の最中に行うものでしたが、残る2つ、説明と自己調整は議論の前後に行います。

 まず、説明(定義:理由づけに関する結論を、説得力があり筋の通った方法で提示すること)についてですが、これは要するに自らの思考過程を相手に示す行為です。ただ、相手に自身の脳内で起こっていることを説明するということは、自分自身が自身の脳内のイベントを整理できていなければなりません。つまり、説明というのは、相手に思考過程を示す能力であると同時に、自身に思考過程を示す能力でもあるのです。この能力を鍛えるためには、自分の考えを書き起こすことが有効だと思われます。

 まずは、主張を念頭に置き、「前提→理由→推論→結論」という順番で思考を整理してみましょう。その上で、解釈・分析・評価・再推論を用い、自らの思考に対してもクリティカル・シンキングを行っても良いかもしれません。これを繰り返し、頭の中で思考が整理できるように心がけましょう。

 そして、最後の自己調整ですが、これがクリティカル・シンキングの方法において最も重要なスキルです。このスキルは、一言で表せば「考え方を改善する能力」のことです。考え方を改善するにあたって必要となるのが、自身がどのように物事を捉えているかを客観的に評価すること、いわゆる「メタ認知」です。

 本書では認知バイアスをはじめ、我々が物事を認識する際にあらゆる事象が働いているという話をしてきましたが、そういった事象について理解することもメタ認知の好例と言えます。そして本書では、そのような事象を知ることで誤った情報に騙されることを防止できるかもしれない、という説明をしてきましたが、このように自身の振る舞いを改善することこそが自己調整なのです。

 それではなぜ、自己調整はクリティカル・シンキングにおいて重要なのでしょうか。自分自身がどのように物事を認知しているかを把握すると、バイアスや興味の影響を受けているか否かに敏感になり、他者の話を自分の考えを抜きにして聞き入れているかをチェックしたり、自身の判断について別のアプローチから再考したりできるようになります。これにより、理解の正確性や判断の妥当性を上げることができるようになります。このことこそが、本質を見抜くことを目的とするクリティカル・シンキングにおいて自己調整が重要たるゆえんなのです[14]。

・実例で学ぶクリティカル・シンキング


 それではここで、ネズミ講と思しき事例について、クリティカル・シンキングを用いて考えていきましょう。以下の事例は、実際に国民生活センターに寄せられた相談内容です[16]。

マッチングアプリで知り合った20代男性に、100億円の資産家で、芸能界にいたというリーダーを紹介された。リーダーは有名人にメンタル強化を教えていたと言い、「皆で金持ちになれる」とプライベートコミュニティーへ誘われた。メンバーは120人くらいで、毎月レストランで勉強会と称する集まりがある。リーダーは20代半ばで、魅力的で話を聞けば聞くほど洗脳状態になってしまった。「入会金は80万円だが、人を紹介すると30万円がもらえる。2人紹介して60万円を手にした人もいる。ビジネスをやるべきだ」と言われ、ATMで80万円を下ろし、50万円はリーダーに手渡し、30万円も紹介者に渡したが、契約書や領収書はもらっていない。しかし、株のデータが無秩序に入ったアプリケーションを自分で読み込めと言われただけで、勉強会も初回以外は皆でだらだら話している。儲からないので返金してほしい。

 まず解釈については、主張は「入会金は80万円だが、人を紹介すると30万円がもらえる。2人紹介して60万円を手にした人もいる。ビジネスをやるべきだ」の部分で、現状はビジネスへの勧誘です。意味を確認すべき言葉としては、「有名人(具体的に誰か)」「メンタル強化(どんな内容か)」「ビジネス(どんな業態か)」あたりが挙げられるでしょう。続いて、分析は以下のように整理できます。


前提:リーダーは100億円の資産を有する富豪であり、かつて芸能活動をしており、有名人にメンタル強化法を教えていた。プライベートコミュニティーには120人ほどのメンバーが在籍している。他の人をコミュニティーに紹介すると30万円がもらえる。
理由: 優秀な資産家がビジネスの指導をしてくれる。また、入会金が80万円だが、2人紹介して60万円を手にした者もいる。
推論:コミュニティーに入れば金持ちになれる。入会金も、誰かを紹介して相殺できる。
結論:相談者もコミュニティーに加入すべきである。



 これを基に評価を行うわけですが、まず、理由の信憑性が低いという問題点が挙げられます。リーダーは本当に100億円の資産を保有しているのか、有名人にメンタル強化を教えていたというのは事実かといった疑問が浮かび(というより非常に怪しい)、2人紹介して60万円を手にした者に関しては入会金の80万円に達してすらいません。100億円の資産を保有するレベルの富豪ですと、恐らくインターネットで記事が見つかるので、もしインターネットで検索しても出てこないようであれば嘘に近いと言って良いでしょう。

 また、推論が正しいと仮定すれば今回の結論は受け入れられますが、推論に至る理由が破綻しているため結論も受け入れられません。さらに、リーダーに犯罪の前科はないか、コミュニティーの中で実際に成功した者はいるか、リーダーが本当に資産家だとしたら100億円もの資産をどのようにして築いたのか、などが検討事項として挙げられます。これらを総合し、全体の印象はどうでしょうか。大半の方が、提案者の主張を受け入れられないでしょう。

 評価と説明、自己調整については個人の思考プロセスの問題なので、各人のトレーニングに委ねますが、例を通してクリティカル・シンキングの方法を少しでも掴めていただけたら幸いです。クリティカル・シンキングは新聞のコラムやニュース番組のコメントなど、あらゆる文章でトレーニングすることができます。また、本書ではクリティカル・シンキングの方法について大枠程度の解説にとどめているため、より深く理解するためにクリティカル・シンキングの専門書を読んでいただくことをお勧めします。

 余談ではありますが、クリティカル・シンキングを用いても詐欺の被害に遭うということも考えられます。それは、加害者の圧力に負けてしまう場合です。第2章で取り上げた豊田商事事件では、国家賠償請求訴訟において国民生活センターの加藤敬は以下のように陳述しています[17]。

まず、性格として言いますならば、一口に言うと温厚な性格の人ですね。で相手から勧誘されて、これを断るにしても相手の感情を損ねないようにと、殊更気を遣って婉曲的な断り方をする。相手から強く迫られて、それに対抗してそれだけの力で突っ張り返すということがとてもできずに、へこまされたまんまで言うなりになってしまうようなタイプ。(中略)まあ人間性善説を信じているというか、人を見たら泥棒と思えと、そんな考えで生活していくとやりきれない。豊田(商事)に結果として騙されても、ああ騙されることがあっても自分は他人を騙す側にはなりたくないというような、非常に善意の人が多いと、ほとんどだと思います。

 温厚な性格というのは、基本的には好印象を持たれるものですが、この証言を真に受けるのであれば騙されやすいというデメリットが存在することになります。いくら疑うことができても、断る勇気がなければ騙されてしまうということです。少し悲しい気もしますが、人間は時と場合に応じて冷淡にならなければならないのかもしれません。


・科学の中に紛れ込むニセモノ


 さて、ここまで疑うことの重要性と適切な疑い方について解説してきましたが、我々はなぜあらゆる物事を疑う必要があるのでしょうか。当然、騙されないためでもありますが、もっと根本的なことを言えば、何を信じるべきかを見抜くために疑うのではないでしょうか。疑うという行為は、信じてよいものと信じるべきでないものを選り分けるための手段であり、疑った先に残るものは信じてよいものである、と私は考えます。科学にしても、歴史にしても、そうした選別作業の後に残された信憑性の高い情報を基に構築されています。ただ、選別を経てもなお、信憑性が高いと判断された事象の中に「ニセモノ」が紛れ込んでいることがあります。

 私が身を置いている医学の分野をはじめ、化学や物理学、工学など、科学は基本的に学術論文をベースに成り立っています。また、学術論文で成り立っているのは文系学問でも同様で、言語学や心理学、経済学などが例として挙げられるでしょう。しかし、そんな研究論文が全くのデタラメであった、ということがしばしば発覚します。

 撤回された論文を監視するウェブサイト「Retraction Watch」では、これまでに撤回した論文、すなわち捏造した論文の数が多い研究者の上位三〇人を確認することができます。2022年4月現在、最も撤回論文数が多いのが、藤井善隆という麻酔科医で、その数は183本にも上ります[18]。いったい彼は、膨大な数の学術論文を、どのようにして捏造したのでしょうか。


・183本の捏造論文が生まれるまで


 事の発端は2011年7月、藤井善隆が在籍していた東邦大学あてに、とある海外ジャーナルから論文捏造の調査依頼が届きます。そもそも、彼の論文は2000年にも麻酔科医のピーター・クランケらによって疑義を呈されていたのですが、藤井が疑義に反論したことで長年にわたり問題が沈静化していたのです。しかし、調査依頼により問題が再燃し、東邦大学が調査を開始することとなります。また、海外のジャーナルも藤井の論文に関する調査を行い、複数の麻酔科関連ジャーナルから被験者のデータが平均的な分布と大きくかけ離れていることを指摘する発表がなされました。

 翌年3月に調査特別委員会が設置されると、同委員会は2回にわたり藤井との面談を行いました。1回目の面談では、捏造を完全に否定し、イヌを被験体とした実験では1頭のイヌを1つの実験にのみ用いたと供述しました。しかし、2回目の面談では1頭のイヌを5、6回使用したこともあると供述内容が変わり、実験上の不手際を共著者の責任にする、データとして使用した症例を水増ししたか否かについて「わからない」と回答するなど、不審な供述がみられるようになりました。

 これらの供述について調査を進めていくと、藤井が実際に担当した症例数と比べ論文上の症例数が明らかに多く、論文で記されていたような研究が実行不可能であったことが発覚します。また、共著者についても捏造に関与した者はおらず、中には勝手に名義を使用された者もいたといいます。これらの調査結果から、藤井が1993年から2011年にかけて著した論文、計171本が捏造と認定されたのです[19]。

 調査報告書を読み進めると、彼がいかに巧妙に捏造を行っていたかが理解できます。彼は論文が受領されるために「ランダム化比較試験二重盲検法」というエビデンスレベルの高い研究方法を、膨大な症例数を(捏造して)用いて実施したと論文に記し続け、一流の論文雑誌に掲載され続けたのです。その際、膨大な症例数を捏造していることが発覚しないよう、研究施設や研究期間を明記せず、あたかも以前の勤務先やアルバイト先の病院で受け持った症例のようにふるまっていたのです。

 さらに共著者についても、勤務先以外の施設に在籍する研究者を採用することで、研究が複数の施設にまたがって行われていることを装うという念の入れようです。加えて、共著論文の体をとることによって、先述のように責任を転嫁するほか、複数人による研究で捏造が行われるはずがないという理由付けも可能だったのです[19]。藤井はいったい、これほどまでに虚偽を重ね、何を欲していたのでしょうか。

 調査報告書によれば、学術論文の実績は東邦大学の准教授など、大学での職を得るために必須の業績であったようです。また、企業主催のセミナーで2度にわたり講師を務め謝礼を受け取ったほか、日本麻酔科学会学会賞に五度応募する(いずれも選外)など、藤井は捏造論文による業績を多方面で活用しようとしていたのです。また、藤井が共著者として名前を利用していた研究者の中に、お互いの業績を増やすために論文に名前を入れあうという約束を結んでいた者も存在します(この研究者の論文も一部に捏造が強く疑われており、2022年4月現在、世界の論文撤回数で9位にランクインしています)[18][19][20]。結局のところ、自らの業績やそれによって得られる地位や報酬に目が眩み、彼らは悪魔の手ほどきを受けてしまったのです。

 多くの方は普段の生活で学術論文に接する機会がないものと思われますが、学術論文は確実に我々の生活を基礎の部分で支えています。しかし、これまで述べたように、その基礎はごく一部の研究者の私利私欲によって揺らぎうるものなのです。

 それでは、我々はその基礎の揺らぎを発見することができるのでしょうか。ほとんどの場合、答えはノーです。専門家であれば論文の捏造などを発見できるかもしれませんが、最初に疑問をもたれてから11年も捏造が発覚しなかった藤井の例のように、専門家でも見抜きにくい嘘も存在します。それを専門家でない者が発見するというのは極めて難しく、まず無理と言ってよいでしょう。そうは言っても、ひとたび嘘を知ってしまうと、何でも疑ってしまうのが人間の性です。ただ、専門外のことまでむやみに疑っているとキリがありません。

 その一方で、COVID-19のデマや悪徳商法のように、疑ってかからなければ我々に直接損害を与える嘘も存在します。我々はいったい、何を疑えばよいのでしょうか。この疑問に対するヒントは、哲学の歴史に隠されています。続いては、哲学の歴史を紐解き、疑うべき事柄について考えていくことにします。


・参考文献

[1] 外務省「アルバニア共和国 基礎データ」、2021年11月12日更新分、2022年4月6日閲覧
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/albania/data.html#section1
[2] 茨城県「茨城県の人口と世帯(推計)-令和4年(2022年)1月1日現在-」、2022年4月6日閲覧
https://www.pref.ibaraki.jp/kikaku/tokei/fukyu/tokei/betsu/jinko/getsu/jinko2201.html
[3] 井浦伊知郎 著、『アルバニアインターナショナル 鎖国・無神論・ネズミ講だけじゃなかった国を知るための45カ国』、社会評論社、2009、p.13-21
[4] ヴィクター・セベスチェン 著、三浦元博、山崎博康 訳、『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』、白水社、2009、p.13-14
[5] 世界銀行データバンク「World Development Indicator」、2022年4月8日閲覧
[6] Klarita Gërxhani, “Politico - Economic Institutions and the Informal Sector in Albania”, Published in In Bezemer, D.J. (ed.) On eagle's wings. Ten years of market reform in
Albania, NovaScience Publishers, 2009, Chapter 6, pp. 81-95
[7] 林弘正、「消費者問題への刑事法的アプローチ : ヤミ金融および経済刑法から見た消費者保護(長引く不況と消費者問題)」、法政論叢、2004 年 41 巻 1 号、p.195-208
[8] デジタル庁 e-Gov 法令検索「昭和五十三年法律第百一号 無限連鎖講の防止に関する法律」、2022年4月8日閲覧
[9] Christopher Jarvis, “The Rise and Fall of Albania's Pyramid Schemes”, Finance & Development, March 2000, Volume 37, Number 1
[10] 警察庁 発表資料「令和4年2月の特殊詐欺認知・検挙状況等について」
[11] 道田泰司、「批判的思考の諸概念 : 人はそれを何だと考えているか?」、『琉球大学教育学部紀要』、59号、2001、p.109-127
[12] 道田泰司、「批判的思考におけるsoft heartの重要性」、『琉球大学教育学部紀要』、60号、2002、p.161-170
[13] 朝日新聞 GLOBE+「「批判的思考」という訳語では伝わらない クリティカルシンキングの本質は「吟味」だ」、2022年2月12日、2022年4月10日閲覧
[14] Peter A. Facione, “Critical Thinking: What It Is and Why It Counts”, Measured Reasons LLC, 2015
[15] アレク・フィッシャー 著、岩崎豪人、品川哲彦、浜岡剛、伊藤均、山田健二、久米暁 訳、『クリティカル・シンキング入門』、ナカニシヤ出版、2005、p.71-74
[16] 独立行政法人国民生活センター 報道発表資料「友だちから誘われても断れますか?若者に広がる「モノなしマルチ商法」に注意!」、2019年7月25日
[17] 全国豊田商事被害者弁護団連絡会議 編、『虚構と真実 ―豊田商事事件の記録』、1992、p.847-848
[18] Retraction Watch, “The Retraction Watch Leaderboard”, Retrieved April 12, 2022
https://retractionwatch.com/the-retraction-watch-leaderboard/
[19] 公益社団法人日本麻酔科学会「藤井善隆氏論文に関する調査特別委員会報告書」、2012年10月19日付
[20] 公益社団法人日本麻酔科学会「元会員の論文捏造に関する理事会声明」、2017年5月9日

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