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海の見える旅館で2泊3日の貸切結婚式を挙げた話⑤

また、旅館「桐のかほり 咲楽」で会える日まで。

「白濱神社」での挙式を終え、最後の写真撮影も終わろうかというタイミングで雨が降り出した。

この時間のためだけに、どうにか神様が頑張ってくれたとしか思えない。


雨脚が強まってきたこと、更にはなんと翌日の天気予報が晴れマークに変わったことを受けて洋装のロケーションフォトは翌日に繰り越していただけることになった。

咲楽に戻った後は、挙式の余韻に浸りながら各自のんびりとした時間を楽しみ、夕食はいよいよ楽しみにしていたお祝い膳である。

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パーテーションで仕切ってもらった会場に、それぞれが選んだ浴衣で集まり、最上級の料理を味わいながら和やかな会食が始まった。


浴衣は到着時にかなりの色柄の種類の中からそれぞれ好きな物を選んだのに、偶然にも両家の両親が全く同じ組み合わせの浴衣を着ていて、なんだか嬉しい驚きだった。


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私たちが釣ったアマダイとキダイも上品な昆布締めと炙りになってお祝い膳を彩る。

自分が釣った魚が特別な日特別なひと皿になるなんて、今まで味わったことのない感動だった。


お祝いのシャンパンに続き、それぞれが持ち寄った岩手と福岡の地酒が振る舞われると、会食の場がいっそう賑やかになる。

日本酒好きという共通点を得たことで両家の父同士はひたすら日本酒の知識を喋り続け、母同士は私たちが小さい頃に飼わざるを得なかった虫の世話がいかに嫌だったかという話で意気投合していた。


デザートを食べ終え、咲楽のみなさんからの素敵なスライドショーの贈り物の後、Tさんから私に一通の手紙が手渡された。

私が両親に宛てて書いた、いわゆる「花嫁の手紙」である。

その場で読んでもいいし、手渡すだけでもいいと言われていたその手紙を、私はその席で読むことを選んだ。

便箋2枚。
そう長くもない、だけど今の気持ちをありのまま書いた手紙。

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もしも私が、いわゆる「普通」の結婚式をしていたとしたら。

私はおそらく、この手紙は読まなかった。

私は強がりで、意地っ張りで、見栄っ張りだから。

親しい友人や職場の仲間が顔を揃える披露宴で、この手紙はきっと読めなかった。

そういう結婚式で読むなら、もっとよそ行きで、華やかで、感動的にしなきゃとこねくり回した、ゲストのための「花嫁の手紙」になっていたと思う。

「家族挙式」だから書けた手紙。
「咲楽」だから読めた手紙。

あの時、本物の「花嫁の手紙」が読めたことを、心から幸せに思う。

どんな素晴らしい時間にも、お開きの時はやってくる。

せっかくだから夫の妹さんと3人、部屋で飲み直そうと約束をし、ひとまず私たち夫婦は翌日の打ち合わせをするからと呼ばれた別室へと向かったのだが。

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そう。
やったらやり返されるのが世の常である。

呼び出された部屋に用意されていたのはそれぞれの両親からの手紙だった。

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どんな思いで私を産み育て、どんな思いで今日という日を迎えたのか。

実に両親らしい文面の手紙に思わず笑顔と感謝と、熱いものが込み上げてきた。

今回、結婚式だけでなく、咲楽で過ごす2泊3日の温泉旅行をプレゼントできたことが、せめてもの恩返しになれば嬉しい。

咲楽滞在、最終日の朝。

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天候は、前日の雨が嘘のような快晴!

最高の気分で洋装の支度を終え、一足先に咲楽を後にする家族のお見送りに。

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「またお会いできるのが楽しみです」

別れを惜しむそれぞれの家族に、またしても咲楽からの贈り物があった。

素敵なフォトフレームに入った、白濱神社での集合写真。

挙式の日の想いがそのまま切り取られたようなその写真は今、我が家の玄関に飾られている。

見る度に胸の奥からふわっとあの日の幸せが蘇ってくるのが嬉しい。

「本当によかったよ」
「ありがとう」

家族が口々に言ってくれた言葉が私たちにとって何よりのお土産になった。

私たち夫婦にとっても最後のイベントとなった今井浜海岸でのロケーションフォト撮影。

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眩しい太陽と、海と、空。

諦めかけていた憧れのシチュエーション。


カメラマンのHさんは汗だくになりながらも、

「最後のカット行きます!」
「やっぱりもう1カット行きます!」

と、最後の1枚まで妥協せずに私たちの姿を最高の写真に残してくれた。

後日受け取った1000枚超えの写真データ1枚1枚にHさんのお気持ちを感じて、毎日見返しては楽しんでいる。

旅館スタッフとカメラマンの兼任、慣れないお仕事で大変な中、お魚の写真をたくさん撮ってくれたOカメラマンも本当にありがとう。



「備忘録」という言葉がある。

漢字の意味そのまま、「忘れてしまったときに備えた記録」という意味の言葉だ。

だから私が書き残したこの長い長い文章は、決して「備忘録」ではない

こんな素晴らしい時間のことを忘れてしまうなんて、何があっても絶対にできないから。

じゃあこの文章は何なのかといえば、このコロナ禍で「結婚式」のあり方に悩んでいる誰かに、幸せのバトンを何とかして手渡したくて書いた「祈り」のようなものだ。


2日目の夜、「咲楽での時間が終わってしまうのが寂しい」と言った私たちに、プランナーのTさんがきっぱりと言ってくれた言葉がある。

「お気持ちは嬉しいけれど、お二人は誤解してます。結婚式はゴールじゃなく、これからの僕たちの関係が始まるスタートラインです。
これから先も何かの記念日には咲楽に泊まって、ヘアメイクして、もう一度写真を撮りましょう。僕も必ず会いに来ます」

そうだ。
私たちが結婚式を挙げたのは「写真館が経営する旅館」なのだ。

そう再認識させてくれる言葉だった。

私たちはきっと咲楽でまた会える。

人生の節目節目に、何度でも。


こんな素晴らしい経験を独り占めしておけなくて、この文章を書いた。

もしも今、これを読んでくれているあなたがコロナ禍で「結婚式」の形に悩んでいたり、かつての私たちと同じように「家族婚“で”いい」という諦めの決断をしようとしているのなら、私たち夫婦がこの伊豆の旅館で手にした幸せのバトンをどうか受け取ってもらえないだろうか。

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旅館「桐のかほり 咲楽」で結婚式を挙げたのは、私たちがまだ2組目だ。

今回記念に付けさせてもらったプレートにはNO.0002の刻印がある。

いつかこの文章を読んでくれた誰かの名前が、私たちの名前の横に並んでくれる日を夢見ている。


最後に、旅館「桐のかほり 咲楽」、フォトスタジオ「アンシャンテ伊豆」の皆様に、心からの、ありったけの、感謝と賛辞を贈ります。

私たちを幸せにしてくれて、本当にありがとうございました。

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