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Maa2のダンス遍歴(54)~hook up~

【一行でわかるあらすじ】
パルキア「アアアアアアアア!!」

帰国してからも割と真面目に(?)練習を続けていた。

というか修行を始めてから絶対に毎日練習をしていたが、バンクーバーの空路が長すぎて結果的に日付変更線を超えてしまったことにより、毎日練習するぞ!!!!の記録が途絶えたことに後から気づき、かなり萎えたが次なるイベントを目指して頑張っていた。

次なるイベントは大阪のhook upというイベントであった。
金曜深夜にやっているこのイベントは「若手を引っ張り上げよう!」というコンセプトで始まったらしい。が、このときはすでに大きなイベントとなっており、若手を引っ張りあげるという機能はほぼなかったように見えた。

このイベントに出て、一次予選Aサークルで落ちる。即心斎橋の飲み屋で自分の動画を1万回ほど見ながら始発までコナイくんと酒を飲んだ。

この日は上がらなかったことに一切納得がいかず、怒りの飲酒であった。
納得いかな過ぎて、SNSにも割と怒りを書き込むレベルであった。

炎上させてやろうという意図はないが、誰かに共感してもらいたかったのだろう。
令和5年にやっていたら炎上しそうである。が、まあ当時もスクショとか撮影されてたかもしれない。

結局自分のサークルに限らず、まさに王道!な踊り方の人たちが上がり、SNSへのコメントも「この曲は●●●だから、●●●な感じで踊るのが正しいと思う!」みたいなコメントが結構来ていた。

この予選落ちを体験して、そしてついたコメント達を見て、非常に萎えた。

「結局個人のダンスがどうとかそういうところを見ているんじゃなくて、なんとなく正解が決まっていてそれに合ってる人が勝つ」と当時の自分には映った。

当時日本のバトルはだいたいジャッジも同じメンツがやっていたので、こんなん続くならもう二度と出んでええな…。とも思った。

その後思い直して結局他のバトルにも出るのだが。

話は当日に戻り、そのくらいキレかけながらイベント会場を即出たのになぜかコナイ君は一晩酒に付き合ってくれて、おごってくれたが、帰りの新幹線あたりまで火山の噴火は収まらなかった。

まあ、今振り返ればなかなかへたくそだったのは間違いなかったので、自分がジャッジだったとしても落とした可能性も高い。

何にこんな怒ってたのか、よくわからない部分もあるが、たぶん「正解っぽいやつが選ばれた」が自分の中できつかったんだと思われる。

いろんな国に行ったり、いろんな地域に行ったり、北海道で習ったことだったりと。

いろんなものの良さを見つけよう!なスタンスで練習を続けていたので、「お前のはwaackじゃないよ」と昔言われたことと相まって数年越しの答え合わせみたいになったのが気に食わなかったのかもしれない。

錦糸町の時(以下参照)とはまた別のベクトルだが、このイベントもまた分岐点だったかもしれない。

サスケ再来

そしてこの後、Soos札幌、discoronaといろいろなバトルに出るのだが、全部予選落ちだった。

Soosに至っては17人中、唯一best16入らないという奇跡を叩き出した。
という感じで激萎えし、国内の大きなバトルは大概"正解"が勝つのでは?と思い、バトルに出るのはやめようと思った。

この時がおそらくwaackを初めて丸2年たった頃。とりあえず上達してやろう!と改めて思い直した。

次回「福岡」

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