Maa2のダンス遍歴(63)~コロナ禍のダンス事情~

【一行でわかるあらすじ】
コロナ始まってしまう。


世の中を騒がせた、いわゆる「コロナ禍」の時期に突入する。

このころ、高田馬場で「null waack」というイベントを開こうとしていた。

前回いろいろと書いた部分をなんとか他のイベントとは違う形でまとめようといろいろ準備を進めていたところ、直前に緊急事態宣言が発出され、イベントはあえなく中止になってしまった。残念。

そんなこんなで世の中からはイベントや練習会がなくなり、これを機に(?)ダンスをやめた人も増えたことだろう。

これを受けて自分もやめそうだったが、わずかな抵抗で筋トレだけ頑張った。

他の時間は任天堂スイッチを買ってスマブラの新作を一生プレイしていた。
このゲームはなかなかエグいゲームで、一生懸命勝とうとすると、上達するのに結構な時間を要するものだった。

が、ちょうど世の状況も相まって、ネットでテクニックやらなんやらを調べまくってなんやかんや上達した。
ダンスもこんくらい頑張れ本当に。

そんなこんなでオンラインワックバトルというものが少しだけ流行(?)した。

200人くらいの参加者がいるバトルにも何度か出て、結局優勝はできなかったが、ワールドなんちゃらバトルで2位になったらめちゃくちゃ海外の知り合いが増えた。
まぁ、オンラインでやるバトルなんてリアルじゃないよ、という人が自分の周りには多かった気はするけど、こういうのも悪くないと思う。

スマブラをしつつ、知識の大切さを知り、ダンスについてもいろいろと調べつつ、

(特に練習は全然できていなかったが)勉強期間だと思って仕事も趣味も頑張っていた。

そんなこんなで2,3年が経ち、コロナが少しだけ収束した?ころには千葉に引っ越して引き続き仕事をしていた。

このころは職場の都合でジェネラリスト育成が云々、デジタル庁が云々という都合で人事配置がえらいところに配置されてしまった。

初めての分野で一人の部署を任され、あまりの激務と責任と抱えるタスクの多さに毎日アワアワしていた。

3か月ほどで睡眠も食事もとれなくなり、職場の別部署の先輩に相談したその日に面談を受けたところ、適応障害の診断を受けて翌日には休職することになった。

最後の日には自分ひとりだけが出席している打ち合わせをしながら、

メールで別件の企画案件や調整案件をとりあえず延々と送信しまくり、打ち合わせの内容なんて一切聞いている暇がないので後日メモ送らせて後から把握してた。

働き方があほすぎる。

今その部署は7人ほどいるらしい。
自分は1人でした。というか2人いましたが、もう1人は胃潰瘍なのか、なんなのかわかりませんが病気療養とのことで退職しました。

まあもっとうまくやれよという意見もあるのかもしれないが、そこまでのキャパは自分にはなく。

呼吸もうまくできず、腹が減っているのに食えず、数日間眠っても夜に目が覚めるし、風景を見てたり、人込みと焦点が合わせられなかったり声がうまく聴き取れなくなったりとどうなることかと思ったが、しばらく休んでいると日を、週を、月を経るごとに少しずつ元気は出てきて毎朝ジムに行って練習して、と繰り返していくと楽になった。

3か月ほど経ったときに思い立って、人にwaack教えてみようかな、と思いレッスンの告知をしてみた。

次回「千葉でのダンス生活」

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