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「普通」とは「No ○(ノーマル)」である

子供の頃に描いていた夢は「普通の人になる」事。

どうも、マヤマ山本です。
脚本を投稿した事はありますが、この手の記事は初めてです。
お手柔らかに。

さて、今回のお題は「#思い込みが変わったこと」。

私、長らく思っていたんです。
「普通の人になりたい」と。
もっと言えば「普通の人にならなければならない」と。

何というか、昔から「浮いている」と言いますか
「曲げられない、譲れないポイントが周囲の人とズレている」と言いますか。
それがコンプレックスでして。
だからなりたかったんです、普通の人。

特に思春期真っ盛りな中学時代なんかは
いかに目立たず、印象を残さず、痕跡を残さず、個を消して集団に紛れるか
と言う事に取り組んでいた気がします。
……と言いつつ、冬でも教室内で一人だけ学ラン脱いでワイシャツ姿だったりした訳ですがw
そういう所だぞ、とw

それを反省した高校時代は、冬は学ランを着て過ごすようになりますが
部活動はハンドボールというスポーツを選び
身長161cmなのにゴールキーパーというポジションに立候補するんだから
やっぱり、どこかズレている訳でw

そんな「普通になりたい」男が「普通になれない」まま
大学に進学した所で
「普通にならなければならない」という思い込みが変わる事になります。
よし、上手いことお題に戻ってきたぞ。

何故なら、高校まではテストで良い点さえ獲っていれば何とかなりますが
大学は「教授の印象に残る」事が、割と大事だったりします。

そんな中、入学早々の授業にて
チームでプレゼンする機会がありまして。
私的に「普通」のプレゼンをしたら、まぁまぁウケたと言いますか。
予想外に好印象だったんですね。
逆に、他の人のプレゼン聞いてると「普通だな~」って思ったり。

その時に思ったわけです。
「私って、変な人なんだな」と。
でも
 A:普通な人 → 印象に残らない → 評価されにくい
 B:変な人 → 印象に残る → 評価されやすい
という図式があるとするならば
「変な人、いいじゃんw」と。

それ以来、私は思った通りの事(=変な事)をやり続け
四年時には教授から「マヤマ君らしいプレゼンでしたね」
なんて評価を受けるくらいにはなりました。

おかげで今では、「変な人」を自称し
「もっと変な人間でありたい」とさえ願うようになり
その結果、世の中にいる変人たちを見る度に
「私、そんなに変じゃないかも……」と自信を失くす日々ですが
それはまた、別のお話。

よーするに、私が言いたい事は
今「自分が普通じゃない」事に悩んでいる子供達よ。
「変な人」は「悪い人」ではないし
「多数派」は「正義」ではない。
そして何より
「『普通の人』は、そもそも『普通の人になりたい』なんて思わないよ」とw

では、今日はこの辺で。
一旦、さようなら。

#思い込みが変わったこと


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