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新婚旅行記 三日目

フィンランド旅行の目的のひとつはオーロラを見ることであった。多くの人がオーロラに憧れるように、我々もまた神秘的自然発光現象を一目見ることを求めたのであった。

フィンランドを選んだのはオーロラ以外の魅力が多くあったからだ。なにもオーロラを見るためだけにフィンランドに行ったわけでは無い。

オーロラ観賞には野外観賞が一般的であるが、我々寒い中何時間も待つのは嫌であるから暖かい室内からぬくぬくと観賞する方法を探した。
フィンランドのホテルにはガラスイグルーと呼ばれる宿がある。イグルーとは小屋の様なもので、宿泊者はそれぞれひとつの小屋を与えられ、その天井がガラスで出来ているからガラスイグルーと呼ばれる。ここでは、あたたかい部屋で、ベッドに寝転びながらオーロラの発現を待つことができる。

フィンランドでも北のラップランドと呼ばれる北極圏地域にそのホテルがいくつかあり、観光名所でもあるロヴァニエミに宿を決めたのである。そのロヴァニエミに何があるのか、何がいるのかというと、サンタさんがいるのである。
ロヴァニエミ空港の近くにサンタクロース村があり、その中にはサンタさんが働くオフィスがある。そんなサンタクロース村のすぐ近く、少し坂を登った森の中に私たちの泊まったガラスイグルーがある。

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比較的新しいホテルのようで、レセプションとレストランがある建物は黒い木の板で外壁が覆われたスタイリッシュなデザインだった。サンタさんの帽子をイメージしてあるのか、とんがった形の建物で、とんがり部分はレストランの高い天井となっていた。

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イグルーの部屋はガラスの天井がまるでSF映画に出てくる宇宙船のコクピットみたいな形をしていて男心をくすぐられた。部屋の中央にはベッドがあり、それが部屋の大半を覆い、あとは冷蔵庫の入った棚とテレビなどが置いてあった。

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全体的にとてもシンプルであり、内装はグレーを中心とした北欧デザインが取り入れられて、おしゃれであった。毛皮もあった。

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他に部屋はなく、トイレと洗面台とシャワーのついたバスルームがあるだけだ。

イグルー内部はあたたかかった。外は氷点下である。どのような暖房システムを取り入れているのかわからないが、玄関も寝室もトイレも大体22℃に保たれていた。

寝室にはエアコンがついていたが、どうやらこのエアコンは暖房システムの補助的役割のようで、ある一定の温度範囲でしか作動しないようであった。つまり、温度が設定範囲以下になれば作動し、設定範囲を超えたら止まるというエアコンであった。それはそれでいいのだが、この止まる時と動く時にいちいち作動音がピピっと鳴る。これには閉口させられた。なにせ寝ている間にもこの音が鳴ったり止んだりするのである。2晩もすればいい加減慣れたが、なかなかにうるさいものであった。宿への不満はそれぐらいしかなく、ベッドの寝心地もよく、おおむね快適なものであった。

チェックインした晩はコンビニで買っておいたサンドイッチを食べて、寝た。翌一日目の今朝はレストランが営業していないとのことなので、ホテルが朝食用にパンやらサラダやらヨーグルトやらジュースやらをイグルーまで木箱に入れて届けてくれた。

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これがなかなかの量であり、その日の朝は半分も食べられなかった。その中にあったブルーベリージュースはとても美味しくて、私のお気に入りになった。ブルーベリーの酸っぱさとほどよく調整された甘味がすっきりとしており、口当たりが良いジュースで、おそらく日本では味わうことのできないものであろうから、ありがたくいただいた。

ロヴァニエミ市内へ


今日はロヴァニエミ市内を観光して回ることになっていた。ホテルから市内へはバスが運行されている。初めて行く海外の土地ではバスに乗るのも一苦労である。

まず、バスのルートと時刻を調べる必要があるし、前から乗るのか後ろから乗るのか、料金は前払いか後払いか、それすらわからない。幸いにもネットで調べればだいたいのことはわかるのであるが、それでも不安なものは不安だし、心配なものは心配なのである。さらに会話は英語になるからそれも不自由な状態では大変な仕事である。

実際にはバス停もすぐにわかり、英語も片言で十分通じたし、クレジットカードさえあれば支払いはどうにでもなるということがわかった。むしろ、クレジットカードの支払いは日本よりも便利である。なにせ、カードのタッチだけで支払いができるのである。いちいち暗証番号の入力だの、サインだのが無くてよいのは楽である。

朝早い時間に歩いてバス停まで向かったわけだが、近くにハスキーパークというところがあり、そこにいるハスキー達の鳴き声が辺り一帯に響き渡っていた。なかなかの迫力である。イグルー内にいた時は全く聞こえなかったことから、防音性能はかなり高いらしい。つまり密閉性が高いから、イグルー内も暖かく快適であったということだろう。

サンタクロース村近くのバス亭からバスに乗ると、最初乗客は私達2人だけであった。市街地へ向かうにつれてぽつりぽつりと乗客が増えていった。特にアナウンスなどは無いので、私はどこで降りればよいのかよくわからず、そわそわしていた。

途中、ベビーカーを持った女性がバスに乗ってきた。その人は乗車料を払っていなかった。フィンランドではベビーカーを持っていれば公共交通機関が無料ということは後から知った。


どうも何人か市街地でバスを降り出したので、もうこのへんで降りてしまおうとなった。それから第一の目的地であったアルクティム博物館へ向かった。降りたバス停から歩いて数分のところにその建物がある。

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季節は秋の終わり。寒さは日本本州の冬くらい。天気は曇り時々雨。空は斑な灰色である。
ロヴァニエミは田舎であるから、歩く人も少ない。沿道の木々は黄葉していて雨に濡れて緩やかな光の反射を見せる。日本とは違う景色だ。小さいが整った街並みが美しかった。それもアアルトのデザインのおかげなのだろうか。そんなことを感じながら街中を歩く。

それほど遠くない昔、戦争がロヴァニエミの街を一度焼き尽くした。街を再建するためにデザインをしたのがアアルトという建築家だ。その名残がそこここにあるのだろう。

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この地域の歴史を紐解いてゆくと、なかなか心が締め付けられる。それでも、今この街は美しい景観があり、日本人旅行者の心を潤しているのは、不思議なものである。


妻が発見したことだが、マンションのようなアパートのような建物にはどの部屋にもガラス張りの部屋が出っ張って設置されている。おそらく短い日照時間にもしっかり日を浴びてビタミンDを体内で生成するためだろう。こういう地域に住んでいると、ますます太陽のありがたみを感じるものなのだろうか。
日が昇って沈むのに合わせた生態システムが出来上がっているから、一年の間にその変動が多いと身体的精神的負担も多いと思われる。なんといっても、明暗リズムは人間にとって無視することのできない自然のメトロノームである。

雨の多い日本の北陸地方にもサンルームという部屋があるが、それはほとんどの場合洗濯物を干すだけのスペースだけである。一方でフィンランドのサンルームのような場所はくつろげる空間となっている。ガラス張りなので内装が丸見えであるからよく観察させてもらうと、お洒落な椅子やテーブルが確認された。日本人とのセンスの差を思い知らされるものである。


アルクティム博物館とピルケサイエンスセンター

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散策しているうちに、アルクティム博物館に着いた。現地時間の朝9時過ぎである。Googleで調べると、博物館は10時からの営業でまだ入れない。

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博物館のとなりにはピルケサイエンスセンターがある。ここは、いうなれば森の科学館である。フィンランドの森と森林にまつわる生活および産業について、インタラクティブに学び楽しむことができる施設だ。こちらは9時から開いているので、先に見て回ることにした。

4階ほどある建物で階段を降りた1階が科学館で、上階はなにやらオフィスのようであった。最上階までは大きく吹き抜けており、なかなか開放的な場所であった。

受付でアルクティム博物館とセットの入場券を買うことができた。半分くらいしか聞き取れない英語で説明を受けた。どうやらロッカーとコート掛けがあるらしい。フィンランドの施設にはどこであろうとコート掛けが用意されていることをこの旅で学んだ。土地柄にあった良い風習である。北海道なんかもこれを真似したほうが良い。
というわけで、バックやカバンをロッカーに預け、コート掛けにコートをかけて、さっそく中を見て回った。


フィンランド人が森林とどのような関係で暮らしているのか、少しだけわかった気がする。自然と共に生きる、という言葉はこの地域では違和感なく当てはまる。
林業で木を切るが、その木とは切っても切り離せない国であり、家には必ず木を取り入れていると言ってもいい。なによりも、ご存知の通りサウナは木でできている。
木を伐採するにしても、その土地が禿げ上がらないように工夫しているし、自然の恵みを、例えばキノコやベリーを摘んで食べることを皆大事にしているようであった。

森林浴がもたらす精神安定作用はどこでも持ち上がる話であるし、実感するものでもある。フィンランド人は森林浴が人生に自動的に組み込まれているから、精神安定作用を最大限に教授している国民であり、こういう所が幸福度の高さに貢献しているのかもしれない。


実際、フィンランドの森は美しかった。湖もあり、手入れされた森は木々の群生密度がちょうどよく、心地の良いものだと思った。日本の森のように繫々しておらず、また平地が多いから森の中が歩きやすいのも良い。
一方で森は危険も伴う。迷子になってしまったら大変だから、子供の絵本には迷子になった恐怖を教え込むための恐ろしい絵本があるらしい。そうして、フィンランド人は森への畏敬の念と、森と共生する生き方を学んでいくのだろう。


他にも、森林産業を支える最先端技術の展示もあった。木を伐採し、積み込み運ぶ、それを一つの重機でやってのけるデカい機械をフィンランドが有しているのだ。

思うに国が保有する技術力とは、必要性から生まれるのではないかと思う。必要性があるから、努力をして実現しようとする、その努力の蓄積が技術となる。それは一国の産業を支えるほどの技術になりうるのだ。

日本に多くあって、フィンランドに少ないもののひとつがトンネルである。日本はやたらとトンネルが多い、そしてトンネルを掘る技術も高いものと思われる。それは、山が溢れる日本で交通網、流通を発達させるにはトンネルを掘る必要性があったからだ。多くの犠牲もあっただろう、しかしそれでも必要性に背を押されて、努力を重ね、技術として実ったのだろう。

それにしても、自然と一体になるという思想は日本と通じるところもありそうだ。寺田寅彦の言った自然を身体の延長とする自然観はフィンランドにも少しあるような気がする。森は彼らにとって安らぎと静寂の場なのだ。
ただ、積極的に自然から癒しを得ようとしている点は、日本と少し異なるかもしれない。日本の場合、自然は求めるものではなく、そこに在るものといった感じだ。これは微妙な違いでしかないのかもしれないが、やはり日本人とフィンランド人を分ける要素のひとつだろう。

ピルケサイエンスセンターは遊べる要素万歳であったし、クイズ形式の展示や、射撃ゲーム(これはトナカイを銃で撃つ体験)、玉を転がすバランスゲームがあって楽しく遊ぶことができた。平日金曜日の朝一だったので、人もほとんどいなく(休日に混んでいるのかは知らないが)快適に過ごすことができた。

満足した私達はアルクティム博物館へ向かった。

こちらの受付では日本語のパンフレットももらうことができた。ピルケでもそうだったが、腕に紙製のリングをつけられた。これが入館できる者の証である。

外の正面入り口から入るとそこまで大きな博物館には見えないのだが、内部は奥まで縦長に伸びており、かなり広い。

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メインのエントランスからガラスの天井がずっと先まで続いている。そのメインストリートを挟むように展示室が左右それぞれ1階と2階にある。右側の1階部分にはロヴァニエミの暦史、二階部分には自然環境を紹介するところがあった。左側にはラップランドを紹介するムービーシアターと、1階2階をまたいで北極圏の文化や生物を紹介する展示があった。

ラップランドを紹介するムービーはよくできていた。切り取られた自然と人間が調和する様子をうまく映像にまとめ、まさに自然の中に生きるということの素晴らしさを説明していた。私の故郷の北海道で感じた自然から受けた感覚と重なるところもあった。それは、静かに確かに自然とつながる感覚。暗闇の中に舞い落ちる雪をじっと見上げた時のあの寒さと暖かさが入り混じった浮遊感のある不思議な感覚を想起させられたのであった。人は自然と切り離しては生きられないのだと、そう感じた。

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できるなら、普段の生活も自然と共にありたいものだ。もっと彼らの声を聴いて、喜びを共にしたいものだ。

オーロラを天井に映し、寝転がりながら見ることができるシアターもあった。そこで学んだことは、オーロラが狐火とされている伝承に加え、精霊の玉蹴りという伝承もあるということだ。昔の人はこの自然現象にたいそう恐怖したものと思われる。どちらかというと悪い知らせと受け取られていたようだ。やはり人間と言うものは未知のものに対して畏れを抱くものであるのだな。今となっては科学的に原理が説明され、観光客を呼び込むものになっているのも人類の進歩を示す一例となるだろう。進歩とは恐怖や不安をひとつずつ消していくことなのだ。

なにより一番心惹かれた展示は、気温と湿度を自分で設定して、その時できる雪の結晶の形をシミュレーションするゲームである。
これは中谷宇吉郎の研究そのものではないか。先生の功績はこのフィンランドのロヴァニエミで活かされている!そのことが私には嬉しくてたまらなかった。

それにしても雪国というのは雪があるだけでそもそも美しい。雪の美しさ暖かさを知ることができるのは雪国育ちの特権であろうか。 

市内を散歩

この博物館にたいへん満足し、さてお昼を食べに行こうとなった。近くにマクドナルドがあったのでそこへ行くことにした。日本のマクドナルドと海外のマクドナルドを食べ比べるというのは海外旅行でやるべきことのひとつという認識があったので、それに取り組むことにしたのだ。

メニューの一押しはキムチバーガーである。どうやら、フィンランドでは空前のキムチブームが到来しているようであった。キムチをハンバーガーにというのは正直想像できなくもないが、あまり旨そうには見えなかったので、ビックマックを注文した。

セットメニューの頼み方がよくわからなかったが、店員さんの懸命なコミュニケーションも手伝って、なんとか要望通りのものを頼み切ることができた。ソフトドリンクの種類がよくわからなかったので、とりあえずコーラを頼んだ。コーラは世界共通である。

私達がハンバーガーを食べている近くでは、どうやらバイトの面接が行われていたようで、かなり深刻な雰囲気であった。英語が聞き取れない部分もあったが、あまり良い雰囲気ではなさそうだった。私達が帰るころにはもう1人大学生くらいの子が面接を受けに来ていたので、働きたいという人は多そうに思われる。人手不足という感じも特になさそうである。

その後は、市内のショッピングセンターを見て回って、駅からバスに乗ってホテルへ帰ろうということになった。
市内の道路はいくつかの通りが工事中で、通行止めになっている場所が多くあったものの、車の数がそれほど多くないのでおおきな問題はなさそうであった。あるいは迂回路が多くあるので大丈夫なのかもしれない。

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アアルトが残した建築物も見た。市役所や図書館がそれで、市役所は外観だけを見た。図書館は誰でも入れるようだったので、中に入ってみることができた。

駅からホテルへ

ロヴァニエミ駅は小さな駅であった。コインロッカーがいくつかある。あとはカフェ・バーのようなお店がひとつくっついている。このお店は21時ころまでやっているようだ。
日本と違うのは鉄道の駅に改札がないということだ。おかげで殺風景な感じがより強調されるのであった。

バス乗り場はわかりにくく、バスのマークがついた小さな看板のある傾いた街灯があるだけである。なぜこの街灯が傾いたのか、その謎はついにわからなかった。
夕方16時頃を回っていたと思うが、もう眠くて仕方がなくなってきた。時差ボケである。日本は夜の10時。いつもなら布団に入っていてもおかしくない時間である。

バスの運転手は若い女性であった。活き活きと仕事をしている様子で良かった。こちらのバスはだいたいラジオをつけていて、運転手が好きな番組を聴いている。乗客はそれを気にするとでもなく乗っている。多少の自由が残されているから、バスの運転手も気が楽そうであった。どうも、日本では運転手と乗客の間でかなりの距離感があるように感じるが、こちらでは友人の車にでも乗せてもらうかのような感覚があった。

夜は朝食の残りを食べた。なかにはカップ麺のようなものもあった。どちらかと言うとインスタントのパスタ入りスープと言った感じで、淡白でコクのない味がした。

天気はもう雨が降り出しており、寝転んでガラスの天井を伝う雫を眺めてぼんやりしていた。オーロラは今夜も期待できない。そして時差ボケのせいでとても眠いので、もうこの日は二人ともそのまま眠ってしまった。

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