スクエアプッシャーの復活作がメディアにシカトされた背景


ところで昨年の電子音楽のベストアルバムにスクエアプッシャーのアルバムが選ばれなかったのはなぜだろう?

メディアはモードを優先したがるので仕方ないにしてもその権威に屈服するようではマーケットに汚染されたカモというべきではないだろうか

内容コンセプトどれを取っても正真正銘だった

あんな曲をかけるのは彼だけだ試聴でいいから聴いてみればいいRays Fire 2を聴いてみればいいできれば https://www.youtube.com/watch?v=AnS1CV3QBXc これを一聴してほしいこれを生で体感できたのは去年のライヴ体験でも貴重だった

はっきり言ってピッチフォークとかは流し読みすればよく 頼りになどならないオリジナルなアートとは異端だが最後まで残るものでそこに妥協はない

声のでかいやつのいうとうりにするようではメディアの犬 エクスペリメンタル ノイズ インダストリアルが流行する最中だが皆似たような忘れ去られてしまうようなテクスチャーばかり 外人だけでなく日本人も然りコンプかければいいと思っててみんなインターネットが大好きになっている その手の音楽とピュアなオリジナルを判断できる耳がない 自主でやっているとどこかでアマチュアリズムが生じてしまうものだがスクエアプッシャーは http://ampmusic.jp/6217/ のインタビューで「

今のエレクトロニックミュージックは悲惨な状況だ。今のミュージシャンには選択肢が大きく分けて2つある。テクノロジーを司るか、テクノロジーに支配されるかのどちらかだ。今の多くのミュージシャンは音楽を作っているのではなく、メーカーが作った機材をデモンストレーションしているだけだ。音楽機材メーカーたちの業界に根付いている「常に新しい機材を売らなければいけない」という商業主義システムに、ミュージシャンが囚われの身になってしまっているんだ。そうしたミュージシャンは何かを発信しているんじゃなく、ソフトや機材に組み込まれた音を鳴らしているだけだ。

自分はそうしたことや、そういうミュージシャンの音楽には興味が無い。サウンドの裏にある生身のミュージシャンが訴えているものに興味があるんだ。そのためには生楽器だろうと電子楽器だろうと関係ない。ミュージシャン自身が何を発しているのかが伝わる音楽を聴きたい。そしえ、そうした音楽を作るには扱うテクノロジーをマスターしないといけないんだ。でも残念ながら、今のエレクトロニックミュージックを聴いても、ほとんどメーカーの作った音しか聴こえてこない。」と語っている私が興味深く感じ尊敬する処 マスターしなければならないという点だ 何もかくいう私だってギターも弾けないしウインドシンセも循環呼吸できない半端者だが 「努力は影を裏切らないという」また違うアーティストだがBOSS THE MCの発言 これに近いものを感じた そしてそれはまたコンセプトだけが大事ではないという処にもつながる企画倒れという言葉を忘れてはいけない胸に秘め続けて行こうと思う

言葉もそうだみんな現代的キーワードが大好きで傷つきやすい大森靖子のパチモンシンガーには烙印を押したい

もうお前らの心の傾きだとか恋のよろめき それをやくしまるえつこ風に語られても・・

美術もタブーを破ることを教えているだけでその快楽に従っているだけぬるい湯 社交現場 マニアックなアナルファックまあそういうもんだと思いますけど 魂が不健康でそれをキャンバスに好きな色で塗るそれが病んだ今 個を象徴する美術なのだろうか 目にしか魂にしか灯せない灯篭でただ描くそこに病理性もジャパニメーションも必要ない抵抗する世界にもがくそれ自体が病みだっていいじゃないか それだけで感性の鋭い人間は勉強なんかしなくたっていい絵は個人的な努力で描けるそれがある意味現代の美術おいての「タブー」じゃないのだろうか?

努力の過程でしか幸福は存在しないという名言もある

ツイッターが死にかけているが個人的にせっかくフォロワーも900人突破して少しは宣伝告知の場になっていたのに残念に思う

ヴェイパーウエイブのことを言っているのですが

インターネット文化を前面に押し出す人らは文化やSNSないしはそこでの交流が 今すぐおやめなさいとは言えない立場とはいえ

科学の発達が理性を超えてあわやかな感受性を殺してやがては文明を滅ぼすことに対する迎合であってまた安易に「目」を商品化するのはやめたほうがいい 私の好きなブランドがフリーメイソンパーカー出してておやめなさいと言いたい別にハイブランドではないし「勝手にしやがれ!」ってことなのだろうが・・

異文化交流とよく言うが初対面で上っ面以外のことを堂々と話せる場は少ない なかなかない貴重な場なんだろうなあと思う

それが今SNSになっていて手軽だしマクドナルドのポテトみたく濃口の過激な政治理念の罵倒も盛んに行われる

商業主義について

AKB48の商法も商業文化の進化系であって別に驚くべきところはもうない

アイドルはそれでいい 後で後悔して批判を口にする当事者にならなければ 思いに金を落とすということにかけては何ら問題ないのだと思う

自分が売れないからってAKBないしは商業主義を強く妬むアーティストは愚かだ そんな妬みからは良いエネルギーは生まれない

考えに考えぬいて悩み抜こう それでも本能や第六感 感性には勝てない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?