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予兆とやらを、信じますか?

茶柱が立つと良いことが起こる。黒猫が横切ると不吉なことが起こる。

他にもたくさんあるが、世のなかには「予兆」というものが存在する。

いい予兆があれば悪い予兆もある。それを素直に信じる人もいれば鼻で笑って信じようとしない人もいる。

僕は基本的には占いなどとおなじで積極的に信じようとはしないタイプだ。

どうしても受け手の捉え方というか、前向きに聞こうとおもえばその通りに聞こえるし、疑いの心で聞けば子ども騙しのようにも聞こえてしまう部分が大きい気がする。

−−−

さて、僕のくちびるが赤くぷくっと膨らんできた。

「発熱するまえの予兆」なのだ。

突然、上か下のどちらかのくちびるに、小豆ほどの大きさのぷくっとした腫れができる。口内炎のように口の中ではなく、それはいつも目に見える箇所にできる。

僕は実際に茶柱が立つところを見たことがある。

でもそのあとに良いことが起きたか、というとよくわからない。起きたとして、それは茶柱が引き起こしたのか、だとしたらその根拠はどこにあるのか。

はたして茶柱が立ってからどれぐらいの間の「良いこと」が有効なのか。どうしてもオカルト的な面が強いし、なにより実際にその良いことが起こったときには、茶柱が立った事実を忘れている、ということが僕が予兆を意識しない最大の理由だとおもう。

でもこのくちびるは違う。

子どものころから、この症状が出てから大体1日、遅くても2日後ぐらいには発熱につながる。

もちろん例外はあって、くちびるが膨らんでも発熱しないときもあった。でもそれは結構まれで、赤く膨らんだ僕のくちびるを見た母は、それだけでリンゴやヨーグルトなどを買い込んでくれていた程だった。

今回のぷくっと赤い腫れが現れてから、今このnoteを書いてるまでで半日以上が経っただろう。

そう考えると、「目に見える予兆」はありがたい。心の準備ができるし、他人からも教えてもらえる。

僕が「発熱の予兆」を信じるようになった理由は、というと。それは「経験」だとおもう。

当然、1回起きただけでは予兆とはいえない。過去にこういうことが何度もあった、そのひとつひとつの積み重ねがまた起こるという確信になったといえる。

まぁ、ただのビタミン不足という可能性も否定はできないが。

−−−

ふと考えると、世の中は物事の連鎖でできている。

ああするからこうする。ああなったからこれがこうなる。でも、その全てに兆しとか前触れがあるとはおもえない。

僕がnoteに毎日記事を書いて200日がすぎた。

始めた当初はこんなに続く予兆なんてまるでなかった。

実は目に見えないサインなどがあったのかもしれない。でも知らない。

予兆とかは関係なしに、どうやら自分の未来だけは変えられるらしい。

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