この時代にあえて「普通」を自称するからには根拠をもちたい

働かない割に、ゴールデンウィークの10連休だけはしっかりと世間に従って都合良くハッピーな連休を満喫してきた。

昨日から資格の勉強を再開して、そろそろ仕事探しも本腰を入れていこうと言うところ。物書きも再開する。

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今日はジェンダーとか性の多様性とか、そういう話。さっき銭湯で湯船につかっていたら、降りてきた。


このテーマは私が自分の1度目の結婚に失敗したことで半ば突きつけられた不可避の命題として、かれこれこの5年ほど君臨してきた。

これについて解決なるものがそもそもあるのか甚だ疑問ではあるし、このあとほぼ確実にホルモンバランスに伴う心と身体の変化は私の人生に控えているので、迂闊なことを語れる資格はないけれど、5年も真剣に考えているとそれなりに得るものや進歩があったりする。


ところが結局、いろんな人の話を聞けば聞くほど、色々な人と関われば関わるほど、私自身に関して言えば、長らく世間で「普通」と言われてきたモノガミーモノアモリー(※)のヘテロセクシュアル(ざっくり、一人の異性とパートナーシップを築く人間)であることを確信するし、多様性に触れれば触れるだけ、かえって「女らしさ」を極めていくみたいなところがある。でもそれで私は生きやすくなっているので、どうやらこれが自然な状態らしい。むしろ20代は優等生をやりすぎて身の程を超えて女性らしさを抑圧した結果、心身共に色々な歪みを生んで1度目の結婚生活詰んだのでは、という見解を持っている。

ちなみにお言葉だけれど社会人をやっていて、自分以外にもこのケースにはまり込んでいるらしき人を結構見てきた。圧倒的に仕事ができちゃう女子に多い。まだ会社の仕組みが男脳の理屈で組み立てられているから仕方ないとはいえ、見ててしんどい。それが巡り巡って家庭や人生まで壊すとなるとつらさしかない

話が逸れた。まあでもこの多様性の時代において、一周回ってあえて「普通」を自称するからには根拠をもって言いたい、という妙な意地みたいなものもあったりする。そういうところ、結構こだわるんだよ。


そんな、いい中年で「自分探し」をする中で、ひとつの突破口となったのが、ポリアモリーの当事者の方のお話を聞く機会があったことだった。

ポリアモリー(英: polyamory[1][2]。古希: πολύ poly「多くの、複数の」、羅: amor「愛」)は、関与する全てのパートナーの同意を得て、複数のパートナーとの間で親密な関係を持つことまたは持ちたいと願うことを指す。
Wikipediaより


冒頭の「モノガミーモノアモリー(※)のヘテロセクシュアル」とは、ポリアモリーではなくて、同性愛者でもないってこと。つまり一昔前の日本で言われていた「普通」ってこと。この言葉、今あえて使ってるよ。あえてだから噛みつかないでね。


先に述べておくけれど、本記事においてポリアモリーを否定する意図は一切ない。そして、ただ1回の機会で限られたパネリスト(当事者)の断片的な話を聞くだけで分かったつもりになっているわけではない。語るにはまだ理解が足りないと思う。後述するけれどこう在れたらいいのにと思う境地まで垣間見せていただいたし、少なくとも、逆説的ではあるけれど、自分がポリアモリーではないらしいということがはっきり分かったという点で、吹っ切れるものがあった。


その時の私はというと、パートナーシップというのが根本に抱えている不安定さに結構やられていた。離婚の経験に加え、長引く婚活で価値観がバグっていた。家族が欲しいけど、そのための手段として婚活は私は向いてないし、もし今後友人なんかの相談に乗るにしても、私はあれは短期間で終わらせることを推奨すると思う。ほんと特殊すぎて正直者は人間不信になるわ。


私は家族が欲しいだけなのに、せっかく得た家族でもどちらか一方が終わりを決めたら終わってしまうってなんだよ、結婚の意味って何だよと自分の経験した離婚に憤り、婚活は婚活で、お互いよそ見をしあっていること前提で相手にコミットできるかを探るとかそんな器用なことできんと憤り・・・いやこじらせてるな、でもなんか、うん・・・そんな気持ちで。要は男性不信になっていたって事なんだけれども。


なんかもう寂しすぎて絶望しすぎて、もしかして一夫一婦制が人間には本能レベルで無理なことなんじゃ・・・結局結婚って、もう契約ごととして割り切るしかないのかな、位にまで思い詰めていた折に、たまたまウェブで「ポリアモリーウィーク」というイベントの告知に出会って、オンライン聴講のチケットを買った。何かヒントがあるんじゃないかと思って。

当日、パネルディスカッションは、ポリアモリー当事者の方が2人ずつくらい、普段の生活をどうしているかとか、ポリアモリーと括るにしてもひとそれぞれ微妙に異なるスタンスなどを話してくれていて、聴講者も当事者だったりそうでない人だったり、色々いて。


それでね。なんか、チャットで質問できる空気だったので、質問してみたんだ、パネリストの方に。「独占欲に悩まされることはないですか?」と。

結局1対1でパートナーシップを築こうとする限り、相手が異性だろうと同性だろうと、どうしたってパワーバランス的に弱いほうに置かれた者が独占欲という名の執着にさいなまれ、それが露見すると関係は破綻する(くどく書いたけど要は重いってこと)・・・的な構図って結構あるあるで、私自身もこのパターンが、立場入れ替わりながらずっと何年も色んな人と続いていたので。振ったり振られたり、もう散々。


それで、そのときにパネリストの方が答えてくれたのが、ちょっと原文ママじゃないんだけど、要旨としては「モノガミーモノアモリー(※)の人たちが、椅子取りゲームみたいにしているのが不思議。素敵な関係性にある人たちがいるなら、そこに椅子をもう一つもってきて、仲間に入れてって言えばいいと思うんだ」というような事だったと思う。さすが当事者として情報発信を続けている方だけあって、その例え話は大変わかりやすかった。なんというか、感銘を受けた。なんて平和的で、心が広いんだろう。自分がしっかりしてないと絶対できない。聖人君子の領域。繰り返すが今の私の文章力ではこれ、どう書いても変なニュアンスの可能性が排除できなくて悔しい。繰り返すが本当に他意はない、心からそう思ったし、率直に言って1対1だからこその不安定さに蝕まれている私からしたら、羨ましい。


しかしながらだ。この話を聞いて、語弊を恐れずに言えば脊髄反射的に「私には無理だそれ」と思った。私はそういう考えは、できないっていうかしない。いい悪いじゃなくて。

私の感覚では、それができるのは友人関係だ。それと異性関係とが共存するというのが、全然、理解できなかった。自分は多様性に関してはそこらの順風満帆風の人たちより入って行きやすいと自らを過信していたので、わからなさ加減にちょっとショックを受けたくらいだった。出過ぎたことを書くけど、ああ差別とか無理解ってこういう風に発生するのねというのを体感せざるを得なくてそれもショッキングだった。


そして、率直な感想を伝えてもみた。「●●さんは、精神的にも経済的にも、自立されていらっしゃるように感じます」と。これ、顔の見えないチャットだったので、ちょっと伝わり方がまずかったかもしれない。全然煽ってるわけでもなくて、私にはそれはできない、なんて成熟した考え方なんだと本当に思っていたからなんだけど、限られた時間でうまくそのニュアンスをテキストに込められた気がしない。でもパネリストの方はそれも丁寧に拾ってくれて「いえいえ、全然ですよ、むしろ生きづらいです」という感じのことを仰ってて、いやそうだよな、そもそもだからこそパネルディスカッションが開催されているわけで、制度的にも家族って一夫一婦制が前提だからどうやっても納まらないし、独占欲じゃなくて他の葛藤もきっと山ほどあるはずなんだ・・・と一人で自己解決?して画面の前でごめんってなったりなど、したけれど。


それから、これは本当に自分を恥じるべきことなんだけど、当事者の方に疑問をぶつけてみて、それに応えてもらうまで、私の中で、ポリアモリーであることと「気が多い」こととを混同していたというとんでもないことにも気がついた。パネルディスカッションの聴講後、内容を反芻している中で、その混同に気がついて本当に恥ずかしくなった。画面の向こうのパネリストの方達は、全然そうじゃない。お互いの信頼関係とか情愛は、モノガミーモノアモリー(※)のそれと変わりなく誠実なものだ。

本当に返す返すもエセ理解って怖い、と自らを省みた出来事でもあった。でも、こういう気づきは恥じてないで発信したいとも思う。



理解ある風を装ってきた私が、こんなにも受け入れがたい価値観に出会ったことで、逆に少なくとも私は一人の人と信頼を積み重ねていきたい(何度も言うけどポリアモリーの関係性に信頼がないと言いたいわけじゃない)んだということがはっきりと分かった。迷いはだいぶこれで軽くなった。


それから、元の話に戻るけれどその後も色々考えたり人の話を聞いていて、最近になってあるなと思ったのは、独占欲だの執着だのというのは、裏切られたと“感じる”(色々嫌な思いしたってまだ尚パートナーシップに真の悪人はさほど多くない説に立っている)経験があって芽生えてしまう悲しいモノだな・・・という風には思うようになってきた。パートナーが明らかによそ見をしていたらパワーバランス的に劣勢な方はそうなるし、昔のパートナーがそうであったという経験を引きずって今目の前にいる相手を信頼できないということに陥るケースもある。後者は悲劇。

逆を言うと、日々の信頼を積み重ねていくことで克服可能かもしれない、という発見もあったり。



あちこち脱線したけど、ポリアモリーウィークの聴講を経て自分が古風な言い方での「普通」であることを根拠もって確信したので、もう迷う必要ないよねって思えたという話、それから「普通」を自称するならその根拠を持ってしたい、という話でした。



※5/12修正
ポリアモリーに対する言葉としては「モノアモリー」が正確だった!モノガミーは婚姻制度における一夫一婦制の方を意味する要素が強いようで、これに対する言葉としてはポリガミーという言葉があるんだね。アマチュアでも正確な情報を確認しないとですね。反省反省。

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