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【育児日記】 「すみません」よりも「ありがとう」と言いあいたい

こんにちは。第二子産休中の痲-ma-です。

先日2人目娘が爆誕し、てんやわんやながらもなんとか日常生活のルーティンが定着し始めた我が家。上の娘もすこしずつ今の生活に慣れてきて良い意味でわがままも言えるようになってきました。

一時期は夜泣きもすごくて、母の私を泣きながらひたすら呼ぶ日々が続いていたけどそれも落ち着いて通常運転になってきました(良かった)。

一方で、そんな母ファーストの娘の様子を見ていて若干自信喪失した者が1名。それがわが夫。第二子出産以降育児に関してだんだんと自信がなくなってきたようで、すみませんが口癖になってしまいました。(一応、半分冗談半分本気のノリではあるものの、である)


家事に加えて育児もやろうと疲弊

産後の入院期間、そして退院後の産褥期は私も体調が万全ではないため、なかなか普段通りに動く事は出来ませんでした。というか、多少体調が良好でも意識的に休むようにしていた。今無理をすると後に響く…と思っているので。

1人目の出産の時は夫は東京で私のみさとがしての出産でした。なので、家事を全て母にお願いして自分の体力回復と新生児のお世話に集中していました。そのおかげで、メンタルなどやられることもなく、体力も回復し、無事産後の生活を軌道にのせることが出来ました。

今回は上の娘がいるから夫も育休をとって私の実家に滞在してくれています。前回よりも人手があるので、私としては前回のように母の協力も得ながら家事、育児(1歳児)、育児(新生児)を分担すればちょうどいいと思っていました。

が、しかし、夫は私の母に対する申し訳無さがあるようで、我々の家事と1歳児の世話を一手に引き受けようとしてしまってました。その上で、私の夜勤(新生児の授乳)も協力しなきゃと無理して起きようとしていた。そんなことをしたら身体がいくつあっても持たない持たない。

自分では不十分と思いこみ、「すみません」が口癖に

そんな状況の中、夫にはさらなる悲劇が。夫の甲斐甲斐しい世話もむなしく、娘が「母じゃないと嫌だ」状態になってしまったのです。まぁ、いきなり妹が爆誕してしまったので、そりゃあ不安になるよね、という話ではあるんですが。

泣いたときに呼び求めるのはまずは母親、そして祖母。最後に父親である夫です。自分の優先順位が娘の中で低いこと賀地味にショックな夫。そして、それを日に何度も思い知らされるので、ジワジワとハートを削られていく…。


「ありがとう」よりも「すみません」が出る理由

私は大学生のころ、社会言語学のクラスをとっていた事があるのですが、その時に学んだことで印象に残っていることが一つある。

それは、英語と日本語の「すみません」と"sorry"の言葉の使い方の違いで、「日本語の『すみません』はありがとうの意味としても使われている」というもの。それを聞いて、たしかにそうだなと腹落ちしたので、未だに覚えてる。

例えば、電車やバスで席を譲ってもらった時に「ありがとう」 とも言うけれど、日本では「すみません」と言う人も結構いるかと思う。それはどちらかというと、ごめん、よりかはありがとうという意味に近い。きっとちょっとしたニュアンスの違いで、「お手を煩わせてすみません」「お気遣いさせてしまってすみません」という意味と、行為自体に対するありがとうを同事に表せるのが「すみません」なのだろうなと思う。

で、この「すみません」という言葉は本当に便利なので、何かと多用してしまいがち。

これはきっと、他人に迷惑をかけてはいけないという価値観が根底にあるからではないかなと思うのだけど、私なんかは「そんなの気にすることない。こっちはやりたくてやってるんだからすみませんはいらないし、恐縮されるより喜ばれたほうが嬉しいぞ」と思ってしまう。

「ありがとう」と言ってほしいし、言い合いたい

なので、今回すいません人間になってしまった夫に対しても、言うならありがとうにしてくれや!!と半ばキレ気味に言った私なのでした。(しょんぼり落ち込んでる夫に対して半ギレはどうなんだ…というのは置いておいて。)

そもそも、自分がやらなきゃ、完璧にやらなきゃという気持ちは自分を苦しめる。育児において完璧主義は封印したほうがいいと私は思ってる。なので、夫には「新生児と1歳児がいて全てを一人で完璧にやろうとすることは無理ゲー」「何よりもまず自分が元気でいることが一番大事」「手を抜いてもオッケー」「人に頼ってもオッケー」ということを何度も言葉で伝えて、申し訳なく思う必要は全くない事を強調しまくりました。

思い返せば、1人目の時は割と私一人で育児を回せてしまっていたので、夫は毎日のルーティンをこなす系の家事に従事していました。だから育児ならではの突発的な対応も、どうにもこうにもままならない経験も、自分の無力感も、実感として経験してなかったのが原因の一つかと思います。(そういう意味では育休の早めの段階でこの葛藤を経験できたのは良いことな気がします。)

私の訴えが通じたのか、夫が自分の中で一人で考えを改めたのかは分からないけれど、ひとまず「すみません」連呼はなくなり、ありがとうに切り替わってきました。そして少しずつ、げんきも取り戻し通常運転になりつつある夫。ひとまずは良かった良かった。

まとめ

たった一言の違いなのだけど、家族の会話にすみませんが溢れるかありがとうが溢れるかによって、家の中の空気が一変してしまう。その空気で私も気を使ったり心配になるし、子どもには確実に伝播する。

それだったら多少出来ない部分に目をつぶってでも、まぁいっか、と思うようにして、自分にも他人にも期待しすぎないで、やってもらった時は素直に「 ありがとう」が私は好きだなぁと思うのです。ありがたいって、有り難い、つまり、なかなか無いことだよって事でもある。だから、やってくれたことを嬉しいサプライズとして受け取って、喜ぶ…そレだけでなんとなく自分も相手もハッピーになれるような気がします。

たった一言の違いだけど、とっても大きな違いだよね、という話でした。

おしまい。

▽マシュマロはじめました


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