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ピンクとグレーの公開が始まりましたよ!

2016年1月9日
ついに加藤シゲアキ原作『ピンクとグレー』の映画公開が始まりました!
おめでとうございます!!
さっさく私も観に行って参りました。

映画の内容に関しては、ネタバレもあるので伏せておきたいところではありますが、とりあえず原作と行定監督の解釈についての感想を書きたいと思います。

まず行定監督のインタビュー記事に載っていた『主人公のふたりは、どちらも加藤シゲアキだ』についてです。

ここから少し、ピンクとグレーのさわりをお話しします。

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ピンクとグレーの主人公は、ごっちとリバちゃんという二人の男の子です。

二人は小学生の頃から同じ団地に住んでおり、そこにはサリーという女の子ともう1人男の子を含め、幼馴染4人はスタンドバイミーの子供たちのようだと、言われます。

幼い頃はなんの疑いもなく、行動を共にしていましたが、やがて親の転勤などで引越しを余儀なくされ、4人はバラバラの生活を始めるのですが、ごっちとリバちゃんは高校生になっても大人になっても一緒にいました。

何でも話せる親友だった二人に壁が生まれたのは、同じ職種を選んだ事からです。高校生の頃、読者モデルにスカウトされた事をキッカケに芸能界へ足を踏み入れます。

時が経つにつれ、二人の成功は明暗を分けていきます。
一方は輝きを放ち始め、一方は燻り続ける…お互いを思いやるからこそ、言葉がすれ違い、心の距離は離れていくジレンマに陥ります。そして、、、
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原作を読んだ時、リバちゃんとごっち、二人は表裏一体で、二人の言葉の掛け合いも、行動も、お互いに思う感情も、すべて加藤シゲアキが加藤シゲアキに向けて放つ言葉たちだと私は思いました。

『どちらも加藤シゲアキ』
行定監督が言っていた、このフレーズはこの映画のキーポイントです。

また、主題歌でもあるASIAN KUNF-FU GENERASIONの『Right now』。
こちらのPVの監督も行定監督がされたそうです。ここにも『どちらも加藤シゲアキ』が含まれてると、監督はお話ししていました。

そして後半、監督は原作に対して解釈とよりリアルな現実を、突きつけたように思いました。

代わりなんてない、代わりになんてなれない、自分が努力して掴まない現実はない。
ピンクとグレーに対する、行定監督の解釈で警告かと思いました。

さらに付与されたごっちの死の理由。
憧れと葛藤に含まれた、行定監督が感じたごっちの心の闇は果たして正解なのでしょうか?

リバちゃんに生を与えた加藤シゲアキは、なぜリバちゃんを生かしたのか?
『どちらも加藤シゲアキ』説であれば、1番見せたくないはずの不甲斐なさを露呈させ、最初に光輝いたごっちを消しました。
これまでに築き上げた自分自身を全てリセットし、何もなくなったリバちゃんとして生きることを決意したようにも取れました。

けれど映画では、ごっち自身の心の闇をリセットする流れになっていました。

これは一体どういうことなのでしょう?
今現在のシゲの活躍振りを見て、全てをリセットすることはなく、自分を形成した過去も現在も全てを受け入ていこうよ、というメッセージなのでしょうか?

シゲ先生は「ピンクとグレーは、原作者から離れてしまったので、もう好きに遊んで下さい!」と言ってることもあり、行定監督の解釈には何も言わないかと思います。

ぼんやりとした結末に、私は私なりの解釈ができるまで、とりあえずは映画館に通うつもりですよー

#NEWS #ピンクとグレー #映画 #ジャニーズ

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