言葉を受け取れる準備が整うこと
異口同音に投げかけられる声。
頭では理解していても、腹落ちまでは至らないこと、は多い。
最近の僕にあてはめて言えばそれは、「コーチングを手放そう」、である。
1.言葉を受け取れない
アドバイスをもらったとき、素直に受け取って行動できるときと、何度言われても実行に至らない場合がある。
「意味が分からない」こともあれば、「意味が分かってもなお動けない」こともある。
「お客さんはコーチングが欲しいわけじゃない」
「コーチングに拘ることから離れてみよう」
「コーチングを手放したまーさんを見たい」
「コーチングを受けたいわけじゃないの、まーさんと話したいの」
この数週間、これらの言葉を投げかけて頂いて、これに向き合おうとしてきたし、これについて考えようとしてきたけれど、気付けばコーチングの話ばかりをしている自分に気付く。
独立してから値段をつけたものが「コーチング」であり、それを買ってもらえていたから、ということではあるのだけれど、それは「この言葉」が持っている意味合いにおんぶにだっこだったに過ぎない。
そんな想いがあるからか、「コーチングの意味合い」や「機能」についての掘り下げや探求に没頭していく。「こんなことをすること」「こんな風に役立つこと」。
「言葉、だけでは足りなかった」
ということだと認識した僕は、「言葉が指すこと」を説明することを追いかけ始めたのだと思う。
語れる言葉が増えた。
自分の理解が深まり、コーチングを受ける側としても上達した。もちろん自分のセッションにも役立つことが増えた。
それでも、「売れる」ことには繋がらなかった。
「いいものだった」と言ってもらえているから、「どんなものか」伝わればいいはず。どんなものかを伝え足りないんだきっと。
そう思い込んで、ますます「コーチング」に拘っていく。
「コーチングを手放す」という言葉を、
受け取れる状態からどんどん、遠ざかっていった。
コーチング=自分のアイデンティテイ
いつしかそんな風に「同化」している自分になっていた。単なる手段から、ポジショントークになり、自分そのものになっていった。
その結果何が起きたのか。
Academyが売れた。
いつしか僕は、「コーチング」の素晴らしさを広め、「コーチングを学べる場」の販売代理人になっていた。
妻 「ここがドラクエの世界なら、まーが一生懸命やってるのは武器のアピールなの。そりゃみんな、まーを仲間にいれるんじゃなくて武器屋に行くよね。欲しいのはまーじゃなくて、その武器なんだもん。」
向き合った相手が行きたい場所に辿り着くために必要なのは、僕ではなく、武器だった。
その状況を創り出していたのは、まぎれもなく、僕だった。
2.セッションで見た心象風景
日曜日に、この3か月を共にして頂いたコーチの5度目のセッションを受けた。
投げかけてもらっている言葉を「受け取りたい」と考えた僕は、このことをテーマに選んだ。
「ビジョン構文に立ち返ってみましょう」
私は、人生を大切にすることを決めたあなたの物語を一緒に彫り出し、その実現を加速させる、一人目のファンです
この構文を改めて口にしてみて、「一人目のファンです」という部分がしっくりこなくなってきている自分に気付く。
なんだか他人事というか、受け身な気がするのだ。
「まーさんが掲げているのがコーチング屋さん、という看板だとしたら、まーさんは何をしていますか?」
店番をしているイメージが浮かんだ。
単発で受けて下さった方、継続セッションを受けて下さってる方、「コーチングはいらない。まーさんと話すことにお金を払いたい」と伝えて下さった方。
これまで関わって下さった方との、関わり方を思い浮かべてみて、そこからイメージを探ってみた。
外に出て行って活動をしている様子が浮かんだ。
店番をしているのはLIVEであり、収録であり、noteであり、Twitterだった。自分がやっている活動、発信を続けて、「お店にきてくれる人」を、待つ時間だった。
外に出ていくのは、他の人のLIVE空間であり、誰かと一緒にやるLIVEであり、勉強会だった。直接かかわる相手を、知っていく時間だった。
こんな話をしながら浮かんできたのは、「つくりかけの家」のイメージだった。「自分の力で家を建てよう」として、実際に建て始めたのだけれど、途中で行き詰っている人。
僕はその現場に足を運んで、様子を見て、気付いたことを伝える。柱を増やしてみるとか、材質を変えてみるとか。木材を一緒に運ぶこともするし、設計図を一緒に見直すこともする。
現場で「やれること」「やりたいこと」を見つけて、実際に自分も汗をかきながら、やる。そこには決まった「サービスメニュー」なんてものはなくて、「この人の家を建てるのを手伝いたい」から手伝う、というフラットな関係性だ。
そうやって一緒に家を建てていくイメージが浮かんできた。
「コーチングに拘っていることは、イメージの中でどんな姿に見えますか?」
設計図を描く場面が浮かんだ。
「設計図を書き直したくなったらお店に来てね」と伝えて、店にこもって悶々としている自分の姿が浮かんできた。
店番をしながら待っているのが苦痛で、現場で役に立ちたくて悶々としている僕。家を建てる途中で躓いて、そこを乗り越えたくて現場で途方に暮れている人。
そうして、当事者みんなが不幸になっている絵が浮かんだのだった。
「あぁぁああああああああ・・・」
と声が漏れた。
「コーチングを手放せない僕」は、「設計図を描くことしか手伝わないよ」と宣言して店にこもっている奴だった。それでいて悶々としている奴だった。
自分で家を建てたい人は、改築まで視野にいれて、設計図を上手に書ける自分になる道を選んでいった。
「この言葉を受け取れる自分になった」、瞬間だった。
イラスト:あめだまほっぺさん
3.受け取れる自分に変わってから繋がり始める言葉たち
自分の状況を、「家を建てる」イメージで見た。
ぐぅの音もでないほど、納得した。
僕に価値を見出してくれた方は、「自分が家を建てている現場を見て、一緒に考え、手を動かす僕」を見て下さっているのだと思う。
「顧客マニアになりましょう」
この、こうちゃんの言葉の意味が、ようやくわかった。
「コーチングとかよくわからないし、テーマなんてよくわからないけど、いい時間にするためにまーにできる準備をして欲しかった」
自分の為に、事前準備をする時間もデザインして欲しいと言ってもらっていた。
「コーチングが必要かはわからないけれど、まーさんに相談に乗って欲しいんです」
手法はなんでもいいけれど、話を聴きたい、と求めてもらっていた。
「コーチングにお金を払いたいんじゃないの。まーさんと話すことにお金を払いたいの。」
自分の頭の中の何にフォーカスをあてたらいいかわからないから、とにかく話を聴いて、僕の感性で構造化をすることや、解決できる方法を一緒に考えることを求めて貰っている。
「出し惜しみをしないで、全部だしてくれたらいい」
「コーチングはアドバイスをしない。」そこに拘泥するあまり、「コーチではない自分」を全て封印していた。帽子をかえればいいだけなのに。
「今の自分に何が必要なのかから、一緒にみて、一緒に考えて欲しい」
去年の2月に、おはなし屋なおとさんが「ストレングスファインダーの結果を分析します!」という企画をされていて、こんな言葉をもらったことを思い出しました。
「デパートの入り口のインフォメーションさんLv100」
(1.最上志向、2.収集心、3.適応性、4.学習欲、5.内省)
4.手放せない拘りの背後にあったもの
Academyの生徒さん同士で交換セッションをする機会があって、クライアント役をやらせて頂いた。
「大切だとわかっているはずの行動をなかなかできない」というテーマでお話をした。
「受け取れる状態」になっていた僕は、このセッションを通じて打ちのめされることになる。
「コーチング」という概念を隠れ蓑にして、「相手の人生を変えることに足を踏み入れる手前」で線引きをしていた自分に気付いて。
「いいものだ」と思っているはずなのに、自信を持って売ることができない。
「よかった!」と言ってもらえるのに、自信を持って売ることができない。
「自分から声をかける」ことに、悍ましいほどの抵抗感がある。
その背後にあるのは、恐れだった。
あるいは、「役に立てないかもしれない」「成果を出さなければならない」という、気負いだった。
なぜか。
「相手以上に、この相手なら目標を叶えられる」と信じることが、対人支援の大前提にある。
信じられるだけの関係性を、自分からも創る、ということが見えていなかったのだろう。
店番しながらイジけている自分が恥ずかしくて仕方ない。
5.自信の無さから生まれていた盲点
先日のLIVEで、MIAさんが投げかけてくれた「顧客として感じたモヤモヤ」というテーマ。
お恥ずかしながら随分ヒートアップした。
セッションを自己のアイデンティティと同一視してしまっていた僕の中で起こっていたのは、「自己防衛反応の発露」だったのだろう。
テーマは「ゴール設定と到達設計」だった。
しばらく話が平行線だったのだけれど、途中で気付いた。
僕はずっと「提供者視点」で見ていて、「受益者視点」でみることができていなかったのだと。
基本的には「継続セッション前提」でお客さんと出会うことがほとんどない。
「どんなものかわからない」し、「相性を確かめたい」以上、最初から何十万も払う前に、単発でその確認をしたいと思うのが当然だ。
その結果、僕の仕事は「単発セッション」が量産されていく。
「継続前提」でない以上、「一期一会かもしれない」この時間に「何か価値を出さなければ」という気負いが生じる。
この1時間で何か持ち帰ってもらわなきゃ!という気負いが。
持ち込まれるテーマは千差万別だ。
悩みのサイズも、色々ある。
でも、顧客視点にたったとき、頭の中にあるのは「この問題を解決したい」ということであるはずだ。
どれだけの時間がかかるかもわからない、問題の全体像もおぼろげだ、という中で、必ずしも「この1時間の間に解決できる」と思っていることばかりではないだろう。
どれくらいの大きさの問題なのか。中に何が詰まっているのか。その中身をどう整理したらいいのか。整理したうえで、どう組み立てていけば解決に繋がるのか。
「欲しいのは道筋。知りたいのはゴールに至る見立て」
だから「顧客としては」、最初のセッションでそこを明らかにする「設計を一緒にして欲しい」のだと、教えて頂いた。
「この1回しかない」と思っている僕は、それを無意識に頭から排除していた。
「設計したい」というテーマ設定をしてもらえたら、そう関われはするけれど、「この一時間ののちにどうなっていたいか?」を合意して始めている以上、「設計からやりましょう」というのは「提供者としては」エゴのようにも感じた。
でも、そうではないのだろう。
お医者様にかかったとき、長くかかる闘病になるのなら、どんなプロセスを経るのかを知りたい、と思う。
途中で先行きが見えなくなる、あるいはまだ見えてこない部分があったとしても、「ここまで進んだらみえてくる」という展望をもって治療に向き合っていきたい、と思う。
だから、「問題解決をする」ことに焦点をあてるのであれば、そういう「関わり方の設計」をする必要があるのだ、ということに気付いた。
「やりたいことがわからない」「ビジョンを描きたい」「なんだかよくわからないけど行動できない」という、「自分の心や意識の課題だ」という自覚が最初からあるならコーチングから受けてもらえばいい。
他方で、「挑戦したいけど全体像が見えなくて途方にくれている」のであれば、まずは気になることを全部テーブルに並べるところから一緒に始めればいい。
もしくは、「考える為に具体的なエピソードや、金額設定、やってきたことを知りたい」のであれば、僕のやってきたことを語る時間にしてもいいだろう。
解決に至るまでの道筋を知りたいのなら、一緒にロードマップや行動計画をつくればいい。「いい目標」を建てる為に、言葉にこだわって検証をする手伝いもできるだろう。
コーチングに拘ることをやめれば、こんなにも「手伝える」やり方がある。
「人生を変える挑戦」をする人の、その人生を変えるために一緒に関わる覚悟とともに向き合うのなら、僕にできることは山ほどあるのだ。
だから必要なことはシンプルに、あなたのことを、僕が知ること、なのだ。
知った中で、できることを提案すればいい。
そういうシンプルな話だ。
建てたい家の話をきき、建てている最中の家をみて、できることや気付いたことを伝えながら、一緒に建てていけばいい。
それが僕の、やりたい仕事の本質だった。
言葉を受け取れる準備が整ったら、視界が一気に晴れて、肩が軽くなった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?