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より心地よい居場所と成して人と関わるための方法を、FFS理論に期待した

「人は異なる」ということを、どこまで体得して世界と関わってきただろう?


FFS理論の本

今日は、この本を読み終えた。


前回のnoteで触れた本のなかで紹介されていた本だ。

佐渡島さんが、ストレングスファインダーと共に活用しているもの、として紹介されていた。



早速診断を受けてみた


本書の特典として簡易の診断を受けられて、追加課金すると詳しいレポートを見ることができる。


FFS理論は、「凝縮性」「受容性」「弁別性」「拡散性」「保全性」5つの因子で自分の「強み」を知り、他人の個性を理解し強いチームを作り上げるのに資するもの、とのこと。

凝縮性⇆受容性、拡散性⇆保全性、は特に関係性が強いもので、本書では特に「保全性×受容性」(日本人の55%を占めるそうな)の因子が特徴的な人向けに手厚く書かれている印象だ。


僕自身は「拡散性」が一番高く、次いで「受容性」が高かった。人目を気にせず好き嫌いで行動選択をし、一見脈絡のなさそうな事柄に多動。人の夢が自分の夢になるような、他者貢献意識がつよい。という感じらしい。



異質の関係性(例えば○○性上司×●●性部下、という切り口)から、自他の特徴を知る


異質(特徴的な因子が異なる関係性の人同士の関係)な関係性で生じるトラブルに焦点をあてながら、互いがどのように世界を認識し、何を重視して行動や振る舞いに表れているのか、を『宇宙兄弟』のキャラクターとエピソードを足がかりに辿っていく。


僕の過去の職場体験や妻とのやりとり、コーチとして関わってきたクライアントさんたちのことを思い返しながら読み進めていた。


特徴に応じた他者理解(自己理解)ということにも大きな価値があると思うけれど、僕自身は「人の世界の認識の仕方(や、「価値観」)はそれぞれ異なっている」ということを改めて認識したことに価値があると感じた。


ただ単に「違う」と知っているだけではなくて、どういう要素がどんなふうに違うのか、ということに意識を向けられることで、避けられる対立があるように思うからだ。


他者との対立は、「根本的に相容れない」という思想・心情からくるものばかりではなく、「相手も同じ情報に触れたら自分と同じように感じ・振る舞うはずだ」という盲信、そこからくる誤解から生じることが少なくない。


ADHD傾向のある人の生きづらさ、もこの辺りに起因するように思う。

例えば何度か同じような忘れ物をした際に、「単なる不注意」と評価・判断を下してその人をみるのか、「意識の向けどころや情報処理の仕方がそんなにビジーなら仕方ないよなぁ」と理解を示せるのかで、トラブルに対する受け止め方も随分と変わるように思う。


決断を委ねられるようなコミュニケーションの仕方(事実だけ述べて、「で、どうしたいの?」がないコミュニケーション)にイライラすることがあるのだけれど、例えば「保全性」の高い人にとっては「意思決定をするリスクをとる」ことが大きなストレスになる、ということを知っていたら、その後のコミュニケーションの取り方も変わる余地がある(僕は短気なので「どうしろって言うんだよ!」とすぐ不機嫌になる)。



自他が異なる対象を知っているということは、問えるということ。すなわち対話を通じた理解を深める余地が広がるということ。


FFS理論はストレス理論の探究から生まれたそうな。人が、どんな状況・事象に対してストレスを感じやすいのか、そんな時にどんな振る舞いとして現れるのか。逆に、ストレスが適度な際にどのように長所として現れるのか。


何か対立的な事象が生じた際に、すぐに反応的になってしまうことが増えた(キレ散らかし野郎と化している最近の僕)。それは、僕自身のキャパの無さや心身を防衛したい機序のはたらきもあるけれど、「自分だったらこう受け取り、振る舞うはずだ」という、情報処理や認知の仕方を他者に拡張してしまっているような捉え方も大きいように思う。


自分と他者は異なるのに、それを「自分の基準・やり方に照らしたら悪」のように反応的に評価・判断し不機嫌になり、そう振る舞う。そんなことが多発している節があるんじゃないかな、とも感じたのだ。



自己主導段階の壁と、相互依存段階への推移


最近、成人発達理論でいう、この二つの発達段階の揺れを感じる場面が増えてきたように思う。


自分が持つ信念に反するような他者に対する不寛容と、実は「正しいとする価値観の拠って立つ主義がそもそも異なるのだ」という可能性への気づきだったり、「自分と他者は異なり、そこに優劣はなく、ただ違いがあるということを前提とした上で自らがどうあるか」という考え方に呼ばれている感覚だったり。


『SINIC理論』に触れる中でティール組織や「自律社会」の特徴に、「全体最適」というシステムの捉え方が語られていた。


「家族における全体最適とは?」が自身のささやかな行動選択の場面で問として浮かび、これまでとは異なる選択(やることそのもの、というよりも、着手する速さや頻度の変化として観測されている)をするようになってきたことも、その表れのように思う。


自身とは異なる他者がいて、自身は自身として尊重しつつも、他者は他者として尊重し、その上で全体最適な事象(未来)を現出させていく。それが、僕が僕の心を満たすために必要なことなんじゃないかなぁ、と思うようになってきたように思う。


周囲から見て差分があるほど僕が変われているか、というとまだまだ微細すぎる変化だとは思うけれど、僕自身の意識の中では着実に質感が変わってきた実感があるんだよな。「変化させられた」というよりは、「変化できるよちを見つけられた」という感じかも。


U理論でいう、ダウンローディングな振る舞いに対して、「保留」できるシーンを見出し始められた(そこから、これまでと異なる行動として発露できた、の積み重ねは、まだまだこれからの挑戦だとは思うのだけれど)ようにも思うのだ。

(キレ散らかし、から、苛立ち、くらいのレベル感になりつつあるというか・・・)


まだまだ試練の渦中にいるような気もするし、なんだか開けた風穴に近づけているような気もする。

最近の関心事の連なりが、これまでの人生で体験してきた点を線にしてくれているような確信もある。


本書で得た仮説を、より良い暮らし(あるいはシステム)に繋げていけるといいな。繋いで行こう。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。

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