見出し画像

自己の器の差分


含んで、超えてきた。



こんな人へ向けて書いています

・「自己の器」の変容の、具体的な物語に関心がある方

・「家族・休息・受容」といったキーワードにアンテナが立つ方

・コーチング資格(CACP試験)挑戦の過程を知りたい方

・コーチたちのアドベントカレンダーを楽しみにお待ち頂いていたあなたへ

これは、僕の人生に現れた数多の点を、繋いでいく物語だ。



こんな人が書いています

創業、妊娠・出産、移住など、「人生の大きな変化」に向き合う個人の挑戦を支えるライフコーチ。

とまりぎのような場づくりを通じて、「いきたい場所への中継地」を世界に増やす活動をしている。

群馬在住、一児の父。

コーチングに出会ってから、変化の人生を歩んできた。




本記事の建て付け

本記事は、25人のコーチたちによる物語を、7月1日から7月25日の間、毎日表現していくアドベントカレンダー企画の初日に寄せるものである。

今夏のテーマは「星座」。

あるいは、コーチたちの「点と線」である。




僕たちは生きている中で、様々なライフイベントに出会う。

挑戦したり、葛藤したり、失望したり、疲れ果てたり、充足感に満ちたりしながら。



その時々、自分の命を精一杯に使いながら、自身のいのちを生きる。




そんな、日常の暮らしの中の点を、繋いで意味を見出し、夜空に輝く星座のように、物語を描く企画だ。


今日から7月25日までの毎日、このマガジンに物語がUPされていく。


ぜひ、共にコーチたちの物語を味わって頂きたい。





ようやく完了を果たした、大きな大きな「未完了」


2023年6月27日。僕は出身スクールの認定資格を得た。

長い旅路だった。



プロコースを終えたのが2021年の10月8日。

最初に受験を申し込んだのは2022年の1月5日だった。


1年半のこの期間の間に、僕は4度の受験を申請している。


4度だ。落ちたのは一度だけれど(うち、2回は動画の再提出勧告)。




動画審査で受かるのを、半ば諦めていたのだけれど、今年の5月下旬から審査形式が変わった。

コースリードへのコーチングセッションを実技でやる、というものだ。



僕はこれに、希望を見出したのだった。




動画審査のハードル


プロコースを「3期」で受けていた僕は、審査対象動画を「15分」選び提出する必要があった(より後期の方は、カリキュラムの変化とともに「30分」になっている)。


この「15分」を選ぶのが、本当に難しかった。

ずっと、苦しかった。




「再提出」の苦しさ


最初の申請(2021年1月5日)に対して「再提出」となった僕は、途方に暮れていた。



僕は、僕が学んだことを活かして生計を立てており、そのサービスを買って下さったお客様に協力いただいて動画を撮影したのだけれど、「これはまーさんのワーク」ということだった。




「再提出」の選択肢を頂いたのは、温情だったと思う。


再受験料もかかるし。



この「ワーク」を審査いただくか、再提出するか、という選択肢を頂いた僕は、「再提出」を選んだ。


それから半年、僕は動画を撮れずにいた。




今思えば、審査をそのまま受けてフィードバックを頂いていればよかったのだと思う。


当時はメンターコーチングというものを知らなかったのもあり、「自分のセッションを客観的に評価してもらう」ことができなかった。




だから、改善しようがなかったのだ。




落ちたことから、拓けた道


すっかりCACP試験を受けることから距離を置いていた僕だったけれど、先輩合格者たちによる「座談会」に出て、心に灯が宿った。




「人の人生を扱う覚悟、ある?」その問に応えたくなったのだった。



そうしてようやく「再提出」を果たしたのだが、

2022年の6月9日、不合格通知を頂いた。


頂いたFBのごく一部を抜粋。


様々な評価項目に対して、丁寧にGood&Moreのフィードバックを頂いた。

これを書いている今日、改めて全部を読み返してみたけれど、ちょっと苦笑してしまう。


「あぁ、わかるなぁ」という感覚が、この一年で育ったからだろう。



再受験を決め、スーパーバイズを受けた。

これがめちゃめちゃ良かった。



THE COACHが求めているセッションは、「自分らしいセッション」。



この機会に、「僕のリソースってなんなのでしょう?」とお尋ねして、教えて頂いたことが、今でも宝物になっている。


めちゃめちゃセッション意欲が湧いてきたのだった。



早くセッションしたい、もっとセッションをしたい、頂いたフィードバックをもとに、もっともっとチャレンジしてみたい。




THE COACHのコミュニティで動画撮影をさせて頂けるお相手を募集し、メンターコーチングも受け始めた。


試験に落ちた翌月から始めた、セッション動画の撮影と振り返り。



セッションの全文を文字起こしして、評価シートに自己評価をつけた。


それまでこういう振り返り方をしたことのなかった僕にとってこの取り組みは新鮮で、1セッションごとに自分の進化を実感していた。



この時に出会った方々とのご縁が今でも続いていて、嬉しく思う。





「再提出」、再び。


2022年8月5日。



落ちた際のフィードバックをもとに、7月中に10人の方々にセッションをさせて頂いた。


そして再受験動画を提出。





その返答はまたしても、「再提出」であった。




悪夢、再び。

この時の判断には納得がいかず、詳しい説明を頂いた。




結果的に、「再提出」しなければならないものではなかった(カリキュラムの変化に伴い生じたエアポケットのような部分で、先方の誤解があった)のだけれど、この際に、新たに審査要件がアップデートされた。



インテグレーションコーチングにおける「要素」が2要素以上現れている動画を審査対象とする、というルールだ。



僕の提出動画では(このルール公表前に提出しているのだけれど)、一つの要素しか現れていない部分を出していた。



ゆえに、このまま審査を受けても要件を満たさず、落ちることになるだろうな、と推察できた。





再び、途方に暮れた。




「教わったことに囚われない、予定調和でない、自分らしいセッションを表現してほしい」という要請と、「教わったことの要素が2要素以上示されているものでなければ不合格」という要請。




「右を向きながら、左を向け」、と言われている気持ちだった。




そして、審査官から「誤解があった」ことについての説明をZoomで受けたその日の午後、僕に「適応障害」の診断が下る。






セッションが、できなくなった。








実技審査という、光明

「15分」の時間に、2要素を含み、尚且つ自分らしさを表現しているセッション動画を選ぶ、というのは、とてもとても難しかった。

30分あればできるのに・・・。



全文文字起こしをしたセッションログに、タイムスタンプを入れて、要素と流れを書き込んでいく。


要素と要素の間が15分以上離れてしまっていたり、自分らしさが出ているなぁというところにはハッキリと要素が含まれなかったり。



「自分らしいセッションを毎回していって、たまたま要素が揃った動画を出すしかないよ」



出口のなかなか見えないトンネルを走っているようだった。





適応障害となり、セッションもできず、すっかりCACPからは遠のいていた。



「まずは治ること。そのために休むこと。」そのことに向き合っていた。



数ヶ月を経た今、家事と育児に加えて、少しばかりの活動ができるようになってきた。






そんな最中の2023年5月1日。

「CACP審査方法の変更のお知らせ」


の案内が届く。






動画を選ぶ作業は、めちゃめちゃ負担が大きかったし、心身ともにキャパシティが激減した僕にとっては、暗闇を直走る気力は正直なくなっていた。



でも、実技なら。


30分のセッションを、させてもらえるなら。





一発勝負だから動画を選ぶ負担はないし、セッションを見てもらえる時間は倍になる。ようやくチャンスが巡ってきた。




実に数ヶ月ぶりに、セッション相手を募集させて頂いた。



10人の方々と、ほぼ毎日のようにセッションをさせて頂いた。



「もしかしたら出したくなる動画が撮れるかも」と思い、動画も撮らせて頂いたし、余裕がある時には全文の文字起こしと振り返りもした。





リハビリ。





僕にとっては久方ぶりのコーチングセッション。


30分の実技審査に向けて、30分のセッションを積み重ねる。





そんな中で、僕に湧いてくるのは、やはり「15分」で示す、ことだった。


セッションを圧縮するには?


どうやったら速く深く気付きにたどりつける?




その中で、とても手応えがあるセッションがあったのだけれど、これもまたいつもの問題に直面した。


「自分らしい」と「ルールを満たす」の乖離。



セッション丸ごとであれば、どっちも含むけれど・・・。


だから、「セッション全部のメンタリング」を受けたかった。





おくちゃんが相談に乗ってくれた。



目的をクリアにしよう、ということでお話をした。



「試験に受かる」ということと、「僕がクライアントさんたちのために一番リソースを発揮できる」ということは、必ずしも一致しないかもしれない。




「僕らしい」部分の、メンタリングを受けたらいい。


そう結論して、残りの期間のセッションを重ねた。






「自分がどんなコーチで在りたいのかをテーマに、コーチングを受けてみよう」



一年ぶりのセッション


このテーマなら、めいさんにセッションしてもらいたい。




めいさんとの継続コーチングの、最後の1回を残していた。




前年に適応障害になってから、ずっとセッションを受けられずにいたのだった。


受ける気力が、湧いていなかった。



めいさんには、資格に挑戦するときに伴走してもらいたかったからだ。




2023年6月2日。




人生で味わったことのないくらい長引く喉風邪に苦しんでいた僕は、実に1年ぶりにめいさんのセッションを受けた。



めいさんの在り方がすごく変容していることに、すぐに気がついた。

セッションの問も、いのちへの好奇心に満ちていた。




セッションを受けた僕は、僕の人生で経験したい、「おもちゃ箱を開けるときのこまーのような、わくわくに満ちた瞬間を創りたい」を実践することにした。




僕が楽しむために、実技試験のセッションに臨む。


そう決めた。




セッション中だけ、ぴたりと咳が止んでいた。





いざ、実技


体調回復の祈りも虚しく、相変わらず僕は一晩中咳き込み続けていた。



「風邪、治らんかったな・・・」



でも、これもまたプロセス、と思い。



この日の17時の試験時間まで、とにかくできる限りの心身のケアをすることにした。



たくさん寝て、散歩に出かけ、薬をちょうどいい頃合いの時間に飲み、整える。



試験に対する緊張感は、ほとんど感じなかった。




コースリードのお二人があたたかな場づくりをして下さっていたし、僕はこの時間を楽しみにしていたからだ。



どんな時間になるだろう?


何に出会えるだろう?









30分のセッションを終えて、一息ついた。

思い出したかのように、咳が帰ってきた。



セッション中、一度もむせることなくセッションをやり仰せたのは、この時間に向けてできる限りの心身のケアに努められたからだと感じた。




30分、もってくれてありがとう。





ただ寝込むことしかできなかったこれまでの日々は、逆に「自分の今の在り様そのもので臨もう」と決意させてくれた。





実技のセッションは、とても楽しい時間だった。





落ちた時と、今との、差分とは?

落ちた時の動画と、受かることのできた今回の実技。



受かった場合にはフィードバックがないので、何がよかったのかはわからない。



この1年の間に、いったいどんな差分が生まれたのか。


2度目の「再提出」になってから、「リハビリ」に至るまで、ほとんどセッションはできなかったし、メンタリングも受けていない。



だから、「セッション」の技術的なものは、おそらく去年とさほど変わらないのだと思う。




ここで、「リハビリ」期間中に一緒に向き合わせて頂いた10個のテーマが、思い浮かんだ。




僕のこの1年間の、総決算、期末テストのようなテーマが並んでいた。



きっと、去年の僕では、どのテーマも扱うことができなかっただろう。


そんな、確信がある。




きっと、このテーマたちが、僕がこの一年を生きる中で、含んで超えてきたものだ。





10個のセッションテーマ


一緒に向き合わせて頂いたテーマを、抽象化して表現する。

1. 自分に「許可」すること
2. 自身が変化を届けたい相手は誰なのか
3. 「できない」を受容する
4. ズレに気付きながらも、機会への期待を手放せない
5. 自分らしいセッションとは
6. 家族の願いと、自分の願い
7. 自分のリソースの自覚と、命の使い途
8. 強大な「空気」と闘う
9. 過ごしたい時間
10. 何もしない、を味わう

実技試験に至るまで、のセッションテーマ



「セッションテーマが他人事だったことが、今まで一度もない。」



常日頃、そう感じている。


人がいのちを生きる時、向き合うテーマは深い部分で繋がっていて、多かれ少なかれ、自分の人生の関心事でもある。







このテーマたちを足がかりに、僕のこの一年の星々を、追ってみたい。







1. 自分に「許可」すること


新しい挑戦をするとき。


今まで慣れ親しんできた暮らしぶり、信念、周囲との関係性からはみ出ようとするとき。

なかなか踏み出せないことがある。



自分の中で何度も立ち現れてくる望み。

でもなかなか、それを叶えてあげることに踏み出せない感覚。




僕にとってそれは、「絵を描く」ことだった。




今年の1月に参加したアート合宿で、僕は思いっきり絵を描いた。



一心不乱に。



まだ2歳に満たなかった子どもがいる中で、2泊3日の合宿に参加することには、それなりにハードルがあった。



だけれど、コーチングセッションを受ける中で、何度も何度も出てきた願いだった。


油絵教室を見学に行った時、その願いは確信に変わった。




僕の命にとって、とても重要なことなのだと、妻をはじめ、家族が理解を示してくれた。


おかげで、僕は僕を「絵を描くことに没頭できる時空間」に連れて行ってあげることができた。





「絵を描く」に込められていた願いは、「没頭」だった。



家族から少し離れて、自分を見つめ直す時間が必要だったように思う。




この合宿から帰ってきて、僕にまず現れた変化は、子どもに接するときの柔らかさだった。




「別人のようになった」と、妻が驚いていた。





自分の願いを自分に許すこと、そしてそれを叶えるために、後押しを得ること。



抑圧に用いていたエネルギーが解放されて、他のことに向けられる余白が生まれたのだった。






2. 自身が変化を届けたい相手は誰なのか


適応障害の診断がおり、休職に入った僕は、焦燥感に駆られた。



ワーカホリック体質だからそこまで過労を重ねてしまったわけだが、「休み」をもらったからって「休める」わけではない。


そのことを痛感した。




「何かこの期間に意味を見出したい」と思った僕は、狂ったようにnoteを書き始めた。


87日連続更新をしたその時のnoteは、僕に、出会いと、自信をくれたのだった。




僕と同じように「休職」に直面することとなった方々との繋がりが増えた。



僕のnoteを読んでくださった方が、「不安で仕方がなかった中、自分も辿るであろう道のりが示されていることに救いを得た」とメッセージをくれた。



それまで僕は、「自分の願い」に気付き、「願いを叶える」ための行動を重ね、走り続けていた。


充足感に満ちていた。



でも、それら全てを抱えて走り続けられるほどのキャパはなかった。



それでも、手放せなかった。

倒れるまで、直走った。





僕は僕の状況を、直視できていなかった。




宮本コーチとのセッションで、僕は僕の現在地を俯瞰することができた。


そうして、何ヶ月もかけて、「休息」をしたその後を生きている。




そんな今、僕が変化を届けたいのは、「休みを必要としているものの、日常を手放せずにギリギリの日々を乗り切って生きている」方々だ。





休むことは、怖い。



立ち止まるのは、怖い。




周囲が、世界が、ものすごいスピードで歩み続けている中、置いてけぼりになることは、怖い。




それでも、必要ならば、いのちは「休み」を連れてくる。




去年の僕を、安心させるような、届く言葉を持ち得ているかといえば、それはまだ道なかばだけれど。



でも、今の僕の在り様は、希望になるはずだ。






3. 「できない」を受容する


僕にとっての最大の試練は、「できない」自分を受け入れることにあった。



できること、わかることの嬉しさを喜べる人生だった。



学び、獲得してきたことが機会を切り開き、僕の社会におけるポジションを守った。


「できる」ことが、僕にとって、社会から存在を許される切符だと思い込んできた。



適応障害に至る一因は、適切な支援を求められないことにあった。


職場、メンター、家族。



いろんな領域で、僕は「僕ができるようになることで」乗り越えようともがき続けてきた。




うまく人に頼れなかった。





それは、コンサル時代、上司に失望し、「僕を守ってあげられるのは僕だけだ」と、会社組織への信頼を辞めた頃の決意が、僕を守るために頑張らせ続けてきたことにも起因する。




抱え込み、煩悶し、潰れた。




それでも、「できない」自分を受け入れられなかった。


妻と一緒に、映画を観た。


そこには、「できない」先の希望があった。




2023年6月現在。

これを書いている今。






僕はこの1ヶ月、人生で最も「できない」日々を過ごしている。


病気に臥せり、一晩中咳き込み、高熱が出て、子どもの送り迎えにさえ行けず、ご飯を作ることもできない。


本も読めないし、noteも書けない。

声が出ないからラジオもできない。





せいぜい、ツイートをするくらいか。

それでも、「できない」を受け入れた表現は、その言葉が届く方々に喜ばれた。




家族が支えてくれたから、僕の日常は「僕ができなくても」終わらなかった。



昼活部では、「何かができる」僕は求められていなかった。




ただ、僕は僕であればいい。


できないことは、できないと、告げていい。




子どもに接しながら、彼に向けるような気持ちを、存在そのものへの承認を。


何かができるからよくて何かができないから悪いというわけではないことを、自分に対して向けてあげることが、できるようになってきた。





僕はようやく、僕の存在そのものを承認した。




4. ズレに気付きながらも、機会への期待を手放せない

昨年までお世話になっていた会社組織。




ビジョンにとても共感し、素晴らしい仲間に恵まれた。

僕の携わりたい領域である、「対話を通じてもっと人が活躍できる組織を増やす」ことに資するプロダクトで、新しい価値づくりを模索しながら、働いていた。




「コーチング」という形ではなくとも、「対話」の機会が組織に根付く支援をすることが、僕のビジョンにも適うものであった。




ただ。




日々の業務は、僕に必ずしもマッチしていなかった。


コンサル時代に培ってきたような、問題解決につながるような仕事。




Canではあること。でも、WillでもBe good atでも、なかったのだろう。



少なくとも、今はもう。






僕は僕自身が個々人と向き合い、対話を通じた変化・変容を叶えていくことに自らのいのちを使うことを求めていて、それが僕のリソースを一番活かせることだった。





どうやら、「ビジョンに繋がっていれば」いい、というわけではないらしい。




そんな中でもがき続けたけれど、僕の心の中では「働く内実が合ってないな。辞めるのだろうな。」ということには気づいていた。



でも、手放すことはできなかった。





暮らしを支える大黒柱であり、ずっと求めていた「仲間と共に」ビジョンに向かえる居場所であった。


会社自体と自分のビジョンが一致していて、こんなに「望んでいるものが叶っている」(はず)の機会を、手放すことが、ずっとできなかった。




そうしたら倒れて、偶然の重なりから「復職」の道がなくなった。


リトリートやセッションを通じて気づいた「自分の役割の終わり」「世界の自浄作用への信頼」を携えて、僕は会社を辞めるに至ったのだった。




気づいてしまったら、(表面的には)望まなくとも、その方向に連れて行かれる。





プロセスに降伏した一つの体験だ。




5. 自分らしいセッションとは

「自分らしさ」とは、なんなのか。



試験に落ちて以来、ずっと座右にあったテーマだ。




過去のクライアントさんや、新しく出会った方々が僕に贈ってくださる言葉や、ケイさんのボイスコーチングの体験を元に、僕は僕のプレゼンスを自覚していく。



「さながらブラックジャックのような」



無資格だけれど。

どこにも属してはいないけれど。


でも、命に大きく関わる選択に、誠心誠意携わる。

そして、法外に高い。





僕が僕自身の人生に向き合う態度は、苛烈だったのかもしれない。



耳に痛いこと、見たくないもの、向き合うことを避けてきたこと。


そこに光が「当たってしまう」ことは、大きな痛みを伴うものだ。



でも、「この人のいのちはどう生きたがっているのだろう?」に好奇心を向けた時。


ここに辿り着くのは、避けられない流れらしい。




で、あるならば。





それでも乗り越えて生きてこられた、自分の人生を信じよう。



たくさんの苦難と葛藤に塗れた中で、立ち止まり、這いずりながらも、いのちが望む方へ向かってこられた「いのち」の力を信じよう。





それが、僕らしさだ。



6. 家族の願いと、自分の願い

「家族」との関係性。



僕のこの1年間における、ビッグテーマだ。




専業コーチとして独立した後、キャッシュフローがもたなくなり、僕は妻と子どもと共に僕の実家へと移住した。



僕の両親や妹が子どもに目をかけて面倒を見てくれるおかげで、僕も妻も危機をのりこえたことが何度もある。



それでも、「新しい家族の形」での暮らしには、摩擦が伴った。



子育ての方針、暮らしの習慣、役割。

共同生活を送る上での柵が生じた。




僕にとっては僕と親との間の関係性が、妻にとっては新しい土地・環境・家族との暮らしの心労が、それぞれに課題となって立ち現れた。




大きな感情的なぶつかりもあったし、何時間にもわたって泣きながら話すこともあった。


頭が真っ白になって叫びながら床を何度も叩いていたこともある。






僕にとって一つ転機となったのは、ある一冊の本との出会いだ。



世界中で起こる、紛争。




そのメカニズムは、あまりにも僕の家庭で起こっていることたちに符合した。


気づいていない自分たちそれぞれの力が、影響力が、システムとしての家族の中で問題となって立ち現れる。




ぶつかりながらも、不器用ながらも、話すことを積み重ねてこられた。


勝手に僕が思い込んでいたものの見方は、僕が創り出した勝手なイメージだった。


僕たちの背景事情を伝えたら、家族の慮りがより丁寧になった。




そして、僕が僕自身に様々なことを「許す」ことが増えるに連れて、問題が起こることは減ってきたように思う。




病気になった僕は社会的には弱者でも、「それを盾にされたら強く言えない」立場としてはとても強者だった。


僕は僕の身を守ること、傷ついた命を癒すことに必死だった。




長い時間をかけて、休みに向き合い、「絵を描く」こと、「できない」受容、手放して手放して残った僕自身、それだけでいい、と言ってくださる方々の存在に、僕の命は救われた。





自分に優しくできた分だけ、僕は僕の余白を取り戻し、その余白は家族や他者に心を配ることに繋がって、潤滑油となること・果たせることが増えた。





僕を満たすことが、家族のためになる。



それは、繋がっていたのだった。




7. 自分のリソースの自覚と、命の使い途


休みに入り、先行きが全く見えなくなった僕の人生。



そんな時に届いた、「これから先10年をどう生きるか」というトピックス。




宮本さんのリトリート。

山梨での2泊3日は、僕が今日を生きる足元を確かなものにしてくれた。



「本当の仕事」ワークショップを通じた、自身の存在意義との出会いだ。





人の命に、苗を植える

僕の存在意義




リトリートでたどり着いたこの言葉は、しばらく宙に浮いていた。




それでも、noteに表現してみたり、僕がやりたい場づくりの活動をしたり、たくさんの方々との関わりを重ねて、この言葉の上に意味が育ってきた。



僕は、僕の人生に真摯に向き合い生きる中で育てた苗を、関わる方々の命に手渡していく。



僕が経験したこと、気づいたこと、葛藤したこと、苦しんだこと、喜んだこと。



その旅路が、物語の全てが、世界のどこかの誰かのための灯りになる。



生きる力を支える樹となり、そうしてその人が次の誰かの居場所になる。





僕は、僕を満たして生きるために在り、僕のいのちが体験したことの語り部となる。

それがひと時の居場所となることを通じて、誰かがもっと自由に生きられる後押しをする。





それが、僕のいのちの活かし方だ。



8. 強大な「空気」と闘う


「休む」ことへの抵抗感と罪悪感。



なんだか後ろめたい気持ち。



レールから外れた、一緒に走り切ることができなかった、仲間を裏切るような息苦しさ。



世の中に置いていかれるような焦燥。



頭では「休まなきゃ」とわかっていても、めちゃくちゃ行動している身体。



どれも、僕自身が体験し、「休み」に入って以降、僕と同様に「休む」に向き合うこととなった方々が、異口同音に語ることだ。



手放し難いのだ。


歩みを止めたくないのだ。




そうして無理を重ねているうちに、頭はポンコツになり、まともな判断ができなくなる。

うまくいかない。


朝起きて気づくと涙が出ている。





僕は、僕が人を頼ることができず、うまく仲間と連携して成果に繋げられなかった「個人」の問題としてこれを受け止めて、自責の念に追いかけられた。






でも、ちょっと回復した今、眺めてみると、これは世の中にある「空気」との関係で生じている苦しさであるように思うのだ。





僕が向き合い、闘ってきたことは、僕個人の問題だけれど、僕が向き合ってきた相手は、僕だとか、特定の誰かとか、組織とか、そういうものではなくて。


もっと広く大きなもの、働き手たちの中にある共同幻想のようなものなのだと思う。





そりゃあ、一人で向き合うの、しんどいわ。




でも、僕が書いてきたnoteだったり、昼活の場だったり、Twitterだったり。


表現し続けてきたことに、共感してくださる方々との出会いが、とても心強かった。




もう、僕だけの闘いじゃない。



9. 過ごしたい時間

「あなたにとって価値のある、大切な5つの時間はなんですか?」

by あめほぺ


友人にもらったこの問が、独立以降ずっと僕の人生と共にある。




生きたい時間は、どんな時間だろう?



生きたい場所は、どんな場所だろう?



大切にしたい人は、誰だろう?





もっとも過酷でしんどい暮らしをしていた昨年、コーチングセッションを受けるたびに出てきた映像は、ただ太陽を眺め、樹々がそよいでいる様。


あるいは、妻と子どもとゆったりと夕飯を食べている光景。




子どもの表情を、ちゃんと観て生きたいと願った。



一時期の僕と子どもの距離は、遠くなっていた。


溝があいた。



仕事に明け暮れているうち、家族の中で僕にもっとも懐いていなかった。



母や妻や父と抱っこを代わろうとすると、泣かれるくらいに。





この子と過ごせる時間が欲しくて、コーチになったのに、なんで僕はこの子と一緒に過ごせていないのだろう?







その悲しみは、色んなところで、色んな形で爆発した。




休職に入ってからも、子どもとの距離はなかなか縮まらなかった。



僕は休むのが仕事だったし、家族もたくさん配慮してくれた。


でも、子どもとの関係は変わらなかった。






今年に入り、アート合宿を経て、子育ての本を読み、一緒に遊ぶようになった。



身体を使った遊びをよくするようになった。



お風呂に一緒に入る回数も増えた。



屈んで目線を合わせて話すようになった。


かける言葉が柔らかくなった。何かの片手間で相手をすることが減った。





一緒に、ただ過ごす。遊ぶ。




空を見て「あお!」と言葉が出てくることを喜び、網戸を歩く小さな羽虫を見て「むし!むし!すごい!」と語りかけてくるのを面白がった。



散歩に出かけて、ほとんど抱っこをして歩き回ったり、膝の上に座らせて、一緒に動画を見たりする。




仲良くなった。格段に。



祖母と一緒に寝ていたのに、「パパ、パパ」と言って夜中に僕の元にやってくるようになった。





表情を見て、嬉しそうに笑っている。


写真や動画をたくさん撮る。




それらを子どもと一緒に見る。




あぁ、僕が欲しかった「大切にしたい価値ある時間」は、子どもとこんな風に過ごすことだったんだな。




10. 何もしない、を味わう


今年に入って、お気に入りの古墳に出会った。



芝生があり、松林があり、高台がある。


過ごしやすい、気持ちがいい場所。


なんだかパワースポットのような。





お気に入りのカフェに近いということもあって、通うようになった。


ここで昼活をしたり、運動をしたりした。



ある時、芝生に寝っ転がりたい欲求に駆られた。


周りに人もいないし、昼間だし、やってみようか・・・。




スマホもしまって、サンダルも脱いで、ただ陽の光を浴び、風のそよぐ音と共にある時間は、とても心地よかった。


とても贅沢な時間だと感じた。







何もしない、を許せること。





それは、言葉にするよりも、簡単ではない。


生きるうえでは日々たくさんのタスクがあり、心配事がある。



寝転がったところで、心の中にそれらがざわめいて、落ち着いてなどいられない。



むしろ、そういったことたちが見えてしまうのが嫌で、日々を埋めてしまうことさえある。



気づきたくない何かに気づかないために、僕らはもっともらしい理由でいのちの余白を埋める。



だから、日常の中で「何もしない、を味わう」のは、実は簡単なことではなかったりする。



色々な未完了を完了し、日々の暮らしに折り合いをつけ、「この時間はこんな風に過ごそう」と自分に許せて初めて叶う時間なのかもしれない。



この時間の豊かさを、この時間を味わうことの「いのちの喜び」を知った今だからこそ、セッションの中でクライアントさんが「何もしない、を味わう」時間を共にできるようになったのだろう。




ずっと叶えたかったこと、が叶ったのだ。




さぁ、線を引こう


クライアントさんたちと、共に過ごさせて頂いたテーマ。



そのどれもが、僕自身の人生においても深く、重要なテーマだった。



休むこと、家族と向き合うこと、できないを受容すること。



数々の人生の「試練」に出会い、味わい、自分なりに折り合いがつき、前に進めたこと。



自分の願いに許しを与え、過ごしたい時間を過ごし、余白の豊かさを受け取ったこと。



足し算ではなく、引き算をする人生になった。



僕がプロコースが終わった際に、「僕にとってのプロコース」にした意味づけだ。


この物語が、ずっとずっと続いてきた。






そうして、手放して手放して残った僕の存在そのものを、僕がいるだけの場を喜んでくださる方々に出会い、親や、妻や、子どもと接する中で「僕の存在そのもの」を承認してくれていることに気づいた。


そう、し続けてきてくれたことに、気付いた。





僕に残ったのは、真摯に自分のいのちに向き合うことと、それを表現し続けることだった。




ラジオだったり、文字だったり、絵だったり。






僕は、「僕らしい在り方」に、ようやく辿り着いたのだ。


『奔流』。この絵を描けて、僕の人生は再び動き出した。




セッションにお付き合い頂いた方々にお手紙を書きながら


合格通知を受け取った日。



僕が最初にやったのは、「CACPに向き合うためにセッションに協力してほしい」とお声がけした方々に、一人ひとり、報告とお礼を伝えることだった。



今年のセッションでも、去年のセッションでも、DM画面を開いて相手のことを思うとその時の時間が思い出されて、その方との関わりが、共に向き合ったテーマが、浮かび上がってきた。





この合格は、僕だけの人生の物語ではない。




その時々、僕のいのちと交わって下さった数多の方々、機会、場。そんな一つ一つの点の連なりが、報われたように思う。




これが、率直な気持ちだ。





これからどう生きるのか、それはまだまだ白紙だ。


だけれど、大きな大きな未完了を完了した今、僕は未だかつてないくらいの余白を感じている。




以前だったらトゲトゲしていたであろうシーンでも、柔らかに振る舞えるようになってきたように思う。






これを書いている今日、40度なんて熱は出るし、子どももお熱があるし、母もしんどそうだし、プライベートはバタバタだったのだけれど。





さっき話した妻が「なんだかとっても、頼もしくなったね」と笑っていた。





ここまでお読み頂き、ありがとうございました!


どこか「仕方ない」と自分の生を諦めていた僕が、人生を取り戻したのは、自分の願いを知り、これを指針に生きることを選び、行動を重ねてくることができたからだなと実感します。

コーチングを学んだことで、僕の変容は加速しました。
労働観が変わり、人生観が変わり、生きる質感が変わった。その感動を届けたくて、コーチの仕事をしています。


そんな僕の挑戦の原点にある想いを綴ったnoteはこちら。



ご自身の価値観を整理したり、居場所を探していくための構想を、「喋りながら考えてみたい」という方向けに、頭の整理にお付き合いするサービスを提供しています。

そして、僕を現在進行形でコーチに選んで下さっているかえでさんが、「僕をおススメしたい人」について、ご自身の体験・実現した価値をもとに書いて下さった記事がこちら。

僕をコーチとして雇うイメージを持たれたい方へ。

生々しい会話のやりとりのイメージを音声で知りたい方には、こちらのラジオもおススメです。



最近、「テーマも決めずにお喋りしたい!」欲が出てきたので、公式LINEにそんな企画を流すかもしれません。

直接まーと喋ってみたいぜ、という方は、気軽にLINEで話しかけてもらえたら嬉しいです(公式LINE)。今は平日10時~14時くらいの時間に話せることが多いです。

「あなたの物語に共に出会う嬉しいその瞬間」を、今から僕も心待ちにしております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?