僕が君を好きになったら世界はどんな風になるのだろうか。①

今、世界を脅かしている感染症のせいで、1つの恋が迷っていた。

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流行り病はビジネスマンにとっても今や、例え自分自身がかかっていなかったとしても無関係ではない。二次被害、三次被害を逃れるために、自己管理は勿論だし、ひとたび、社内から感染者が1人でも出たとなれば、会社が閉鎖される勢いだ。

彼の会社もそうだった。

件のウイルス感染者が出てしまった。
そのため、1万人いる社員は全員が在宅勤務中。出社再開の見込みとしては2週間後というのが会社の見解だったが、万が一、テレワーク期間中にも新たに感染者が出たとなると、期間延長も充分あり得る。そうなると実質、このテレワーク期間は無期限に近かった。

日本国内でここまで感染症が蔓延することは珍しい。しかし、その猛威はよもや衰えることを知らず、ついには重症者、死者を出すほどに深刻化しており、まずは国としての事態の終息が待たれていた。
彼女から彼に連絡があったのは、感染がここまで深刻になる少し前だった。
『来週10日空いてますか?ゴハン行きません?』
いつもの食事の誘いではあったが、何となくそんなに乗り気にもならなかったので、彼は『風邪気味で体調悪めなんだよなあ』とメッセージを打って、いつも使っているお気に入りのスタンプを押した。体調が思わしくないのは嘘ではない。
ここのところ、夜遅い日が続き、疲れは溜まっていた。更に、季節のせいか、風邪っぽかったのも間違いではない。

彼女からはすぐに返信がきた。
『来週までまだ1週間もあるんだから、治したら良いのでは?』
最近、忙しくてあまり構っていなかったからだろうか、彼女からは彼が思っていたのとは違う、思いの外、厳しい言葉が返ってきた。いや、むしろ言ってることは正しい。彼自身、本当なら治ったほうがいいに決まっているのだから。そしてその返信を待たずに、彼女からもう1つメッセージが届く。
『あ、18日でもいいですよ?』
『了解、ちょっと待ってて』
先ほど聞かれた日にちより、更に1週間ほど後を候補に挙げられて、確かに彼女が候補に挙げてきた日にちまでには、どちらにしても時間があるなと思った。これだけ時間があれば、身体が回復する可能性は充分にあるのだ。今から体調が悪いと断るには無理があるし、最初こそ、そう言ったものの、それはさすがに申し訳ないなと思った。

しかしながら、提案された日にちは結局のところ、どれも予定が合わなかったので、最終的に休日のランチはどうかということになった。
予定が合わないのは、元々忙しいのもあるが、実のところ仕事自体は落ち着いている。それよりも今夏に控えた資格試験が難関で、その対策が忙しい。
平日は平日で、仕事明けに講習を受け、酒の付き合いも減らして休日も返上して講習、自習と、ほぼ勉強している。日々、遅くまで起きているのはそのせいもあった。いつにするかと日程を考えているうちに、そういえば、そのことはまだ彼女には伝えてなかったな…と思い、それを伝えつつ、休日のランチということになった。

そして、その約束の日を迎える数日前、会社が閉鎖となったのだ。

本来であれば、不用意な外出は避けるべきであろう。外に出れば感染の可能性は高まるし、仮にも在宅勤務を命じられてる身である。プライベートまで拘束されることはないにしても、おとなしく自宅にいるのが良い社員であろうと思う。と、するならば、この約束も延期にするべきなのかもしれない。
ただ、今回は(「も」というのが正しいかもしれない)日にちを決めるまでに何度もリスケして、ようやく予定として落ち着いたので、それをまた延期しようというのも憚られた。
(でもなあ…仕方ないことだし、延期にしても結果行けば同じか)
とはいえ結局、そう思い至って彼は彼女からの連絡を待つことにした。

『勉強捗ってます?』
彼女から、そんなメッセージが届いたのは、テレワーク3日目の昼頃。
彼の会社が全面閉鎖となり、全社員が在宅勤務になったことは、テレビやら何やらのニュースでも派手に取り上げられていたので、違う会社に勤めている彼女が知っているのも不思議はなかったし、そろそろ何かしらの連絡が来る頃だろうと、彼自身も思っていたところだった。
『捗ってるかどうかは別として、勉強のチャンスは増えたよ』
『自宅で仕事できて、勉強できる時間も上手く取れるようになったなら何より』
これはこれであからさまな様子見であることには変わらなかった。約束の日はもう明後日だ。
しかし、てっきりどうするのかという話をするのかと思ったが、特にそんなこともなく、1~2往復の他愛ないやりとりで、その日は終わった。

その翌日。
『明日は?どうします?』
昨日と同じように、そのメッセージは昼頃に届いた。
さて、どうしたものか。まあ、完全に在宅勤務になっているのはこちらなので、この聞き方は察するに、判断はこちらに任せるということなのだろう。そうでなければ、いつもなら彼女のほうから行きたい場所などを伝えてくるはずだった。
彼としては、体調はもう良くなっているし、外出するに特に問題はない。何なら、ちょっと微熱が続いたこともあり、あれからすぐ、病院にも行った。更には、微熱が続くのはウイルス感染の可能性もゼロではないと、早々に検査もした。結果、何も出なかったので、むしろ今が万全な状態と言える。

『ランチしよっか。銀座あたりだと助かるかも』
しばし考えて、やはり彼女と会うことにした。会社としては、NGが出てしまう外出かもしれないが、彼女は別に元気なのだろうし、自分としてはあまり過敏すぎる風潮も好きではない。
日本中、感染元が何処か分からないくらいに、ウイルスは拡散し、蔓延している。こんなに広まってしまってはどうせ、何処にいてどんな状況だとしても、感染する時は感染するのだ。
『良かった!銀座了解です。美味しいの食べたいなあー。あ、何時にします?』
彼女のメッセージが、急に明るくなったように感じた。嬉しそうなのが窺える。そんな彼女の嬉しそうな反応が見えると、行くことにして良かったなと思う。相手が誰でも、喜んでもらえるというのは、こちらとしとても嬉しいものだ。
『じゃあ11時半とか?店はこのへんかなー』
そうメッセージを打って、グルメサイトに掲載されている、店の情報を送った。駅からは多少離れているが、徒歩5分くらいで気取らないイタリアンの店だ。これまで彼女との食事はいつも、焼肉が多かったので(大体決まった店があった)、おそらくイタリアンは初めてだ。
『おけです!駅待ち合わせがいいな、銀座駅11時半でー』
『了解!』
そうして、最後は彼女が待ち合わせを決めてやりとりは終わった。


約束の日。


彼は待ち合わせに向かう中、適度に彼女と連絡を取りながら、店に1番近い出口に出るよう、出口を指定した。そして、先に指定の場所に着いて待っていると、出口を出た彼女が辺りを見渡して彼を見つけた。彼はそれに軽く手を挙げて応える。
外はまだ春とは言い難かったが、いつもより暖かな陽射しの土曜日。天気は呆れるほど良かった。
現れた彼女はすっかり春の装いで、薄紅のワンピースに薄手のコートを羽織っている。このためにオシャレをして来たであろうことが窺われた。

「お久しぶりです」
「うん」
こうして改めて会うのは確かに数ヶ月ぶりだ。でも普段から、何かにつけて彼女がLINEを送ってくれるので、全く連絡を取っていないワケではない。そのお陰で彼としては、そんなに久しぶりな感じもしなかった。一方の彼女も、昨日のやりとりの時ほど浮かれているようにも見えない。本当に昨日、あんなにはしゃいだメッセージを送ってきた人間だろうかという疑問がわくほどだ。まあ元々落ち着いた女性ではあるのだが。

ところで、そもそも彼女とは、以前勤めていた会社で、正社員と派遣社員として知り合った。同じ部署ではあったが、特に仲が良かったりしたワケではない。
彼女は、恐らくは性格なのであろう、余計なことは話さなかったし、何がイヤだとか、これをどうしてほしいとか、そういうことも一切なかった。仕事が忙しかった後などは、時々、彼女をランチに連れ出したこともあった。でも、2人でも大して口数が増えるでもない。
彼女の前任であった派遣社員には随分と言いたいことを言われたし、愚痴を聞いてあげたこともあったので、人が変われば全く違うものだな、歳は近い気がするけど、随分大人しい人なんだなあと思っていた。

それが、何のイタズラか、色々な偶然が重なって、2人で飲むという機会が発生して以来、月に1度くらい外で会うようになった。
それからの彼女は、今までのことが嘘のように心を開いてくれたし、彼に気があるような、そんな態度だった。とはいえ、別に何かそれ以上のことが起こるわけではないし、彼女も起こそうとはしてこない。
だからきっと、彼は、自分が転職したら、会う機会も減るだろうし、そうすれば彼女の気持ちも薄れていつか忘れるのだろうと思っていたのだが、会う機会が減っても今のところ全く忘れてくれる様子はなかった。

では、一体どうしたいのか?と言ってしまえば、逆に、じゃあどうしたいんですか?と聞かれてしまいそうだ。何も起こらないにしても、何も起こさないにしても、彼女の気持ちに全く気付いていないワケではない(でもこれが万が一、勘違いとなると死ぬほど恥ずかしい)。
直接、決定的な何かを言われたことはないが、イベントごとにもらうカードには、それらしき言葉が並べられていて、返事こそ要求するものではないにしても、恐らく、友達としてのそれとは違うものだろうと感じる。

彼女のことは嫌いではない。かと言って、ものすごく好きということもない。
ただ、同じ会社だった頃は、他の人にはなかなか言いづらいことも聞いてもらえたし、実は自分よりも随分年上だった彼女に、甘えていた部分はあった。
今はそんなことはないのだが…。でもだから、余計に色々と量りかねるのだ。

嫌いではないから、食事くらいは一緒にする。
何ならそこに、他の誰かを呼んだっていいのだが、結局、2人以外で食事に行ったことはないし、この関係が続く限りは、きっとこれからも他の誰かを呼ぶことはないのだろうなと何となく思った。

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