腫瘍内科:闘病生活と看取りから感じたこと。医療倫理。

家庭医として初めての他科ローテでした。新たな知識と技術を身につけるだけでなく、がん患者の心の奥深くへと足を踏み入れることへの不安と戸惑いがありました。僕はこれまでに積極的治療を行う担がん患者さんの診療に当たったことがなく、「がん」というだけで苦手意識があったので克服したいと思っていました。また、入院担当をしたこともなかったので、抗がん剤治療が患者さんにとってどのような意味を持つのかを知りたいと思い腫瘍内科での研修を希望しました。


学んだこと

まずメディカルな部分ではがん診療の基礎を知ることができました。抗がん剤や放射線治療がどのような作用を及ぼすのかを理解しました。どのような患者さんなら抗がん剤や放射線を使おうと思えるのかをわかることは、今後専門医とコミュニケーションを取る上で重要に成ると思いました。そして何よりも重要なのは、がん患者の思いを聞き、その最期の時間を看取った経験です。これらの経験は僕の視野を広げ、家庭医としてのあり方を再認識することになりました。


ライフレビュー:患者の物語からの洞察

僕の心に深く刻まれたのは、病棟での時間を使って行ったライフレビューの瞬間でした。僕は患者の人生の物語を聞き、癌の診断を受けた瞬間の衝撃、家族との関係の変化、そしてこれからの願いについて語り合いました。そこから得た洞察は、医者としての姿勢に変化をもたらすものでした。


4つの大切な教訓

(1) 患者と医療者の視点の違い

まず第一に、若い自分と、その人生の終わりを直視している患者との間にある考え方の違いを理解しました。「何かしてあげたい」「どうしたらもっとよくなるのか」という私の思いとは異なり、患者たちは「今の現状をできるだけ長く保ちたい」という思いが強かったのです。その視点から、前のめりすぎる自分の提供する医療が患者にとっての重圧となっているのではないかと自己反省しました。その考えは更に一般化され、自分の目の前にいる患者さんが変化を期待しているのかどうかを精確に見極めること、彼らの望む方法で幸せになってもらうこと、知らないことは情報提供に留めて無理やり寄せようとはしないこと、彼らの納得感を大事にしていくことが大切だと考えるようにもなりました。ただ、どれだけ自分が精確に多くのことを知っているかで提供できる医療の質は変わるので、ここを大事にしていかないと行けないと思いました。

(2) 「Good death」の形は一つではない

次に、「Good death」が一つの形に限られているわけではないことを悟りました。一つの例として、私が看取ったある患者は、最後の一刻まで治療を諦めず、積極的に闘い続けました。その患者の家族は、息を引き取る瞬間まで、絶えず励ましの言葉をかけ続け、愛を伝えました。一般的には、治療を諦めて最後は穏やかに何も感じず亡くなるのが良いとされていますが、その一般的に良いとされるものに引っ張られることなく、真摯に一人一人の患者やその家族の意志を尊重すること、それによって生じる複雑なコミュニケーションと感情の機微を理解することの重要性を学びました。この経験を通して、何気なく確認していただけのDNARの意味のなさや、最期の選び方が家族に与える影響や、我々の態度が与える影響を振り返ることができました。

(3) 治癒の見込みのない患者と共に歩む苦しみ

第三に、治癒の見込みのない癌を抱えた患者と共に歩むことの苦しみがあり、それに耐える覚悟を持つことを知りました。治療を試みても全く病状が改善しない患者は、それでも元気になり、子供と過ごしたいという願いを抱き続けました。しかし、医学的には状況は厳しいものでした。その患者に対して、どんなに困難な状況にあっても「もうダメだ」とは決して言わず、笑顔を絶やさず、ひたすらその手を握り続けました。いよいよ最期の場面になった時、頑張る気力がなくなったと謝られましたが、「頑張らなくても大丈夫、僕たちが最期までいるから」と、伝えてあげることしかできませんでした。常に無力感を抱きつつも、逃げ出さずに横にいるためにはまだまだ能力も精神力も弱いなと思いました。

(4)家庭医としての役割。医療倫理と専門家としての振る舞い。

 最後に、今までの人生の中でもっとも厳しい状況を経験しました。最後まで治療を頑張っていた患者さんが痙攣を起こし、緊急気管挿管が行われました。目覚めた患者からは治療拒否を願い、人工呼吸器を外してくれと強く懇願されました。この時、患者さんとのライフレビューを通じて思いを知っていた僕は、横にいた家族と同化し、患者の願いを聞き届けることが一番だと思うようになっていました。しかし、人工呼吸器抜去後の耐久力を予測することについても未熟であり、このタイミングで抜管することが引き起こす医療倫理的問題についても未熟であった僕に、集中治療科や緩和ケア科や腫瘍内科の先生方が抜管できないことを教えてくれました。僕は患者さんに説明し、抜管を待ってもらうことができ、最終的に家族の前で抜管し会話する時間を作ることができました。
この経験からは家族と同化するレベルにまで入り込めたことが最終的な説明で患者に納得してもらえたのではないかという気づきがありました。また、家族と同化するのではなく、専門家として高い倫理感と精確な予後予測ができる知識が必要で、同化しつつもそれを監視するもう一人の人格をもつ必要性も感じました。家庭医として、人生の意味を理解し、医療の専門家としてわかりやすく翻訳するという機能が大切な役割を果たすということを実感しました。



腫瘍内科での学びと成長

このような経験を通じて、腫瘍内科では単にメディカルな知識を得るだけでなく、混沌とした感情の中で困難なコミュニケーションを経験し、最期まで患者を支え続ける覚悟を持つことの重要性を深く理解しました。そして、看取った2人の患者からは家族の愛の美しさを感じさせられました。医学的に困難な状況でも、なんとか最期に家族との時間を作ることができたのは僕にとって大きな意味を持つと思います。これまで経験してきたあらゆることが繋がり、患者と家族のための最期を整えてあげることができたのは医師としての成長を実感することができました。指導医の先生方との振り返り、一挙手一投足から多くの課題が残りますが、次に繋げていきたいと思います。

腫瘍内科を経験して、やってみたいこと

腫瘍内科での経験を活かし、地域でがんを抱えている方の負担を減らすことのできるような働きをしたいと思います。KFCT在宅で腫瘍の患者の往診をしたり、安房救急や総診で腫瘍内科かかりつけ患者の緊急時の最初のアセスメントとマネジメントをしたりすることが求められています。館山付近にいる患者さんの負担を減らすことができたら良いなと思いました。

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