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演じることについて

https://anthobee.connpass.com/event/141194/

中野のインプリムさんで開催しました。
初めてなのに少人数でお酒ありで声も大きめなイベントを開催させて頂き、とても感謝しております。

演じるという行為について思ったことを少し。

普段、気にしない間に、自分が自分である時間が実は長すぎる。自分が自分に固定されていることに気づくことは少ないのでは。

でも、サービスの想定ユーザー、チームワークにおける他のチームメンバー、会社における経営層など、自分でない他の誰かの視点が必要な機会はとてもおおい。これが足りないと独りよがりになってしまう。

のわりに、自分じゃない他の誰かになり、実際に振る舞う機会はとても少ない。

というなかで今回、演じてみた。とくに学生時に文化祭で劇をやったわけでもなかったので、もしかしたら演じるのは初めてだったのかも。

するとどうだろう。

誰かの前で、自分が自分でない振る舞いをする。それは、自分のことではないことをフィクションとして披露しているのにも関わらず、自分が覆い隠していたものをその場に曝け出しているのにも近い感覚を覚え、それこそ、ジョハリの窓でいうところの自己開示に近い感覚を得る。自分のことではないのにも関わらず。

そして、場はそれを認め、照れや笑みを浮かべることもありながらもそれを否定することはなく、全てを受け入れる。むしろ、それに乗じてそれぞれ自身の自己開示を加速するような勢いもある。

漠とした表現だけど、それはさながら魂を覆い被している殻を破り、ありのままの姿を出していくようにも思える。

やってることは、ただ単に誰かになりきってそれを演じるだけのこと。

でも、それは、ただ演じること以上のこれからの可能性を感じさせる。

それは、自分自身もそうだし、その場の関係性においてもそうなのだろうと思う。おそらく、緩やかに、だけど確実に現れるはず。

やってみたのは、本に沿って演じただけ。それは演じることの可能性だけではなく、演じたこと以上のものを期待できるものでした。

もちろん、話の内容の学びも大きなものでした。

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