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臺東慢食節

日曜日、臺東慢食節というイベントが開催されていました。休みなので街に出てプラプラしていたら、たまたま。ラッキーすぎました

耕作地が多く、原住民文化も残る台東ならではのお店がわんさか!

夕飯には少し早かったけれど、パイワン族のご飯をどうしても食べたくて!その名も「祈納福」。うんうん、ネーミングがとってもよろしくてよ!

食べかけ写真ごめんなさい、どうしても中身を見せたかったです。小米=粟という事で、粟:白米が9:1の中に煮込んだ豚肉が入っていました。葉っぱはなんだろう、、聞くのを忘れました不覚、、

台灣には16部族が生きています。お店の人を見比べると、原住民フード推しのお店には肌が浅黒く、彫りが深めの人が立っていて「あぁ原住民ってすぐそこにいるんだ」と。話してみたいなぁ…

このイベントで一番感動した事は、my食器の持ち込みがとてもスムーズに自然に為されていた事。

食器貸出所(有料)や15店舗以上回ると記念品が貰える、という取り組みも有るのですが、殆どの人が食器を持参し イベントを無理なく楽しんでいる事が感じ取れました。(お皿代わりの葉っぱをゴミ袋に捨てるのは疑問に思ったけど…笑)

日本のフェスでもmy食器の取り組みは増えてきたけれど、なかなか根付かないだろうなぁと思う。何故かって、不自然だから。必ずしも全員がとは言わないけれど、普段の生活で自然に触れたり循環を意識していなければ、イベントの時だけ『使い捨てない』ということに違和感を感じると思う。環境を考えた取り組みの周りにうっすらと漂う偽善者感を払拭できない限り、定着しないと思う。

臺東慢食節では、なぜ環境配慮型の取り組みがあんなにも自然に為されているのかを考えると やはり山や海に囲まれ、自然と近い距離で生きているからに他ならないでしょう。原住民文化が残り、大昔からの知恵を受け継ぎ、人間がいかにちっぽけな存在かを知っているから。あぁ、養老孟司じゃないけど大切なことは言葉にならないですね。(あ、Amazonのリンクを貼ってしまった。注文するとしたらどんなエネルギーが必要になるかな)

地球環境を考えた取り組みは、誰がどう考えても良い事ですよね。では何故、取り組めないのだろう。環境を悪くしようと思って暮らしている人はいないはず。でも、悪化は止まらない。どうしてだろう?
日本はやっとレジ袋有料化になった?なる?みたいだけれど、その気があればいつでも有料化にだって廃止にだって出来たはずで。今さら?感。個人でも意識すればいくらでも行動は変えられる。心が変わればルールの有無は関係ない

効率化、評価主義の社会がグラデーショングラデーションで、結果今の世の中が出来上がってしまったのだと思います。

人と自然の関わりが取り戻せない限り、日本は何も変わらない。

自然の中で暮らす人間と、街だけで暮らす人間。どっちが偉い訳じゃない、でも、共通言語を持たない限り乖離し続けるし、取り返しのつかない所に至ってからでは遅いなあ、と思うんだけど。そうなりつつあるのが日本だと思う
既に気付いて実行している人ももちろん沢山いるのは知っていて。だけど、街と自然が離れてしまった以上、多くの人が暮らす場所でそういった事を実行するにはコストがかかり、無理があるのだ。本当の意味に気付いていて街中でそれを実行するくらいなら、山の中で暮らす方が手っ取り早い。

将来子供を持つとして。日本で子育てしたくないなぁ、と思うのが正直なところ。台東で暮らし始めてから、なおさら。
う〜ん、もっと正直な事書きたいけど 嫌な気持ちになる人がいるだろうし、きっと伝わらない。
伝わる為には、感じてもらうしか方法が無いと思う。だから、ごくナチュラルに時間をかけてこっちに引き戻していくしかないんじゃないかなー、そんな場所を作りたいとちっぽけな脳みそで考えます。もう時間がないけどね

かなり抽象的な話でした。私は日本の文化が大好きだし 残したい、残って欲しいと思う。出来れば日本に誇りを持って日本で暮らしたい。
私は日本の田舎で沢山の大切なものを見せてもらったので、返さなければいけないし、伝えなければいけない。自分が住みたい日本になるように動かなければ

なーんて、調子に乗って書いてみましたが、いつ死ぬか分かんないし 今日と少しだけ先の未来を楽しく生きる事しか出来ませんよ。今の楽しみは明日の朝のパイナップルです♩あ、アプカミもupされてたのでチェックしないと!

美味しいものとお笑いとアイドルとコジコジが大好きなちゃらんぽらんな人間です。ご静聴ありがとうございました。
私の人生 エンジョイ!


#台湾 #台東

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