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「ベニスに死す」の美少年のその後「世界で一番美しい少年」

映画(世界で一番美しい少年)(敬称略)

ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」で主演したビョルン・アンドレセンのその後の人生を追ったドキュメンタリー映画です。

当時15歳でデビューした彼も1955年生まれの今年66歳(ナント私とタメ!同年齢なんです)で、白髪の長髪に長髭の姿は、もはや当時の面影はありません。ヴィスコンティ監督から「世界で一番美しい少年」を命名されてからの彼の栄光とその後の苦悩の日々が描かれています。

トーマス・マンの原作を映画化するに当たりヴィスコンティは、各国で少年役のオーディションを行いますが、スウェーデンのストックホルムでアンドレセンを見い出しスカウトします。その後の衝撃的なデビューは世界的にも話題となり、私も初めて見た時の少年美の衝撃は今でも覚えています。

作品中に関係する各界の人へのインタビューがありますが、漫画家の池田理代子は、少女漫画は顔が全てであり、ベルサイユのバラのオスカルを始め多くの漫画家の素材になったのが「ベニスに死す」でのアンドレセンだったと述べています。人間の一生の中で最も輝いている美しい瞬間を切り取ったのが、あの映画だったとも述べています。
また今年亡くなったアイドルプロデューサーの酒井政利は、ヴィスコンティに認められたゆえに、その後の人生は辛いものがあったと述べています。

ついでにヴィスコンティがゲイを公表していることから、当時はマスコミによる興味範囲のゲイコミュニティへのコメントが多かったですが、これもLGBTQの現代では、周回遅れの質問といった感じです。

映画では「ベニスに死す」の撮影当時の映像と過去や現在のものを織り交ぜながら進行していきますが、彼の母親の失踪と死亡、同じ年の異父妹との関係、さらに結婚後の自分の幼い子供の死亡など、かなり複雑な家庭環境が描かれています。

彼自身も一時鬱でアルコール依存症に悩んだとのことで、世界的な巨匠監督の美の体現者として登場した彼のプレッシャーは、人気アイドルがその後に悲惨な人生を送るのとは、別の次元での壮絶な葛藤があったと思います。

それは正に耽美主義者のオスカー・ワイルドが描いた「ドリアン・グレイの肖像」そのものの世界であり、一瞬の最高の美のためには継続性は存在しない、その瞬間のみが美の極致だといえるのかもしれません。(写真は公式サイトから引用しました)

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