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ジュリーと80年代アイドル

ジュリーを語るなんぞおこがましい…。とにかくもう、すごかったです。どれほどかの詳細は省きます。この人ほど「スーパースター」の呼び名がふさわしい人はいません。70年代後半が最も脂が乗っていましたが、80年代初頭もまだまだぶっちぎっていました。

トシちゃんマッチが台頭しトップに立つ勢いでしたが、依然としてジュリーは濃厚な存在感を放っていました。「オレはコイツらとは違う」みたいな。某動画サイトでトシちゃんから「尊敬している」と言われているのを見たけど、釈然としないご様子で。「ヒロミ、ヒデキは認めるけどオマエらは認めん」と内心思ってたんじゃないかなーと勝手に邪推。「中身のないアイドルには負けん、まだまだオレ様の時代だ」って。

でも、ついに「ああ、その時が来たんだ」と思った瞬間がありました。ラジオで新曲『背中まで45分』1983を聞いた時。あ、売れないなと思った。後付けじゃなく本当にそう感じました。子供のくせして。単に「楽しく」なかったんです。それまでのジュリーはずっと楽しかったから。「ホミターィアィアィヤヤィ♪」とか「ハッハッハッ!」って。そして、本当にそうなった。

そこから、80年代アイドル快進撃が本格的に始まったと思います。あと、アルフィーとか安全地帯などの新勢力。

さらに、ジュリーの事務所Wから晃司クンの登場。完全な世代交代。ジュリーの『すべてはこの夜に』1984をカバーしてヒットさせたりとか。80年代後半からジュリーは歌番組ではあまりお目にかかれなくなり、一方でワイドショー関連をかなり騒がせた後、平成に入ってほとんどテレビで見かけることもなくなってしまいました。

そして、トシちゃんも晃司クンも90年代後半からお目にかかることは少なくなりました。トシちゃんに至っては、もう全然。3人とも独立がらみもあると思いますが。

ジュリーおよびトシちゃんのテレビでのご無沙汰ぶりは顕著でした。ジュリーは昭和でこそ輝いた、トシちゃんは80年代でこそ輝いたのでしょう。昭和のエナジー、80年代の明るさ。

スーパースターとしてでしか存在することができない男たち。 このあいだ、ジュリーのコンサートのドタキャンが非難されていましたが、彼の主張はなんとなく分かります。「満席こそが創り出す空間」ってあるから。私はスターになったことないから共感はできないけど。運営側としてはふざけんなよ、って感じですが。

トシちゃんも「分かってくれる人が分かってくれればいい」というスタンスで活動してるみたいですね。ジュリーほどの主張はないにせよ、我が道を行っています。

スーパースターとしてでしか行動することができない。その頑なさ、他の誰も共感できない孤独。

引き換えに私たちに与えてくれた濃厚な輝き、躊躇のない明るさ。未来を信じられた時代。