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「25歳のときなにしてた?」Vol.7:農業×障害福祉「三休」世古口さん

–プロフィール
三重県出身、世古口 敦嗣さん

京都外国語大学中国語学科卒業。
大学卒業後、マスコミ志望だったが採用されず、父親から「会社を継ぐためにここで働きなさい」と言われるも父の会社では働かず、障害者福祉の切り口でまちをつくって行くというキャッチコピーに惹かれNPO法人サポネに就職する。27歳の頃、障害のある・なしに関わらず交流できる拠点づくりを任され、社会福祉法人に転職したが、先方の都合で叶わず人事・広報を担当。
29歳の時に、社会福祉法人で働きつつ三休をつくる準備をし、30歳の時に就労持続支援B型事業所 三休をスタート。現在『三休』の施設長兼サービス管理責任者として働いている。

ー諦めから見えたこと。25歳で決断した自分の使命ー

ここでやっていくんだと決断する

–世古口さんが25歳のときは何をしていましたか?
世古口さん:25歳の時は、NPO法人サポネで働いて3年と言うところで、それなりに組織内のキャリアができはじめた時です。22歳の時はヘルパーとして働いていたんですけど、そこから50名のヘルパーたちのシフトを管理するバイトリーダーみたいな役割を担っていました。

仕事に一生懸命取り組んでいくとまわりから「世古口くんいいね!」と評価され、カフェをつくる担当に選ばれたりとか、組織を運営する側にまわったりしたのが25歳の時でした。

25歳の世古口さん

–従業員をまとめ、法人をつくっていく側のお仕事を任されていたんですね。
世古口さん:そうですね。だから現場もやりつつ、組織をつくる側にまわったのが25歳。でも元々3年働いたら会社を辞めて、親の会社で働こうと思っていたんです。結局、NPO法人を辞めずに続けることにしたんですよね。

–それはどうしてですか?
世古口さん:元々障害者福祉というところには関心はなく、障害者福祉を通じてまちをつくるのが楽しいと感じて入ったんです。

でも働いていく中で、障害を持った人がその地域で生活をするために、いろんなしんどい思いをしたりとか、まだまだできないこととか、社会側に偏見があって生きにくかったりとか、生きる上での課題って言うのが社会にはいっぱいあるなって感じました。

それを一つ一つ減らしていく作業が僕の一生かけての使命やなって思うようになったんです。それで僕は障害者福祉の世界で働きたいって、頑張ろうって、ここに骨を埋めようって思ったのが24、25歳の時でしたね。

–25歳は世古口さんが障害者福祉でやっていくと決断した年だったんですね。
世古口さん:そうですね、ちょうどした決断した年です。

–元々は関心があって入った業界ではなかったけど、ここでやっていくと決断できたのには何か理由があるんですか?
世古口さん:率直に言うと、僕はあまりやりたいことが見つからなかったんです。例えば「宇宙旅行士になるんだ」とか「パティシエになるんだとか」明確にこうなりたいって言うのが正直ずっとないです。

自分が何をしたいかって言うことはあまりないけど、ひとつの環境の中ではやりたいことは見つかりやすかなって僕は思っています。その意味で言うと3年間NPO法人で働いた中で、自分が今何が楽しいのかなとか、自分がやりたいことって何かなって考えて、それを積み重ねていって、これを一生かけてやろうってなったと思います。それに半ば諦めかもしれないですね。

–半ば諦めとはどうしてですか?
世古口さん:外国語大学だから、周りって海外で仕事してたりとか、海外に羽ばたいている人が結構多くて、やっぱりその人たちの華やかさに比べて自分は何しているんだっていう劣等感って言うのはずっとありました。だから福祉の仕事してるって言いたくなかったし、なんか自信を持って胸はって言えてなかったです。25歳くらいまでは。

だから半ば諦めで、僕はこれしかないんやなって思ったのも事実かもしれないです。今の自分の仕事のなかで、何ができるんやろとかどんなことにワクワクするもんなんやろって決めていったのが障害者福祉やったのかなって思いますね。

–今自分の中にある選択肢の中で決められたんですね。
世古口さん:それはあるかもしれんね。
それに父親の会社は工務店で会社の夏休みとか長期休暇の時に実家に帰ってちょっと働いたりとかしてたんですけど、工務店の人たちって職人気質で怖い人も多かったりとか、僕はこれをまとめるのは無理やなって、この会社を継ぐのは絶対無理やって思いました。

諦めた結果、いろんなことを捨ててきた結果、自分のこれだって言うのが見つかったって言うのが大きいですね。

30歳までに自分の生業を

–将来に対してはどう考えておられましたか?
世古口さん:将来について言えば、うちは父親も自営業で会社しているし、おじいちゃんは面白くて、国鉄JRの職員をしながら八百屋さんをしていたんですよ。今で言う副業ですよ。叔父も自営業で会社やっているし、なんかね母方のおじいちゃんも自営業しているし。

だから自分で生業をしてる人が周りにいてかっこいいなと思っていたので、25歳のときには明確に30歳までに何か自分で事業ができるようになりたいなって言うのは思っていました。

–将来に対しての不安より、これからやったるぞ!っていう熱意の方が大きかったですか?
世古口さん:熱意の方が大きかったですね。
別に失敗しても死なへんやんって思ってました。

どんな出来事も予想はできない

-25歳の自分が今の自分をみて、1番驚く出来事はなんですか?
世古口さん:多分ね。驚かない気がします。
みんな未来を予想できないと思いますし、なんかそこは驚けない気がしますね。

三休の話なんですけど、元々農業するつもりなかったし、就労支援するつもりはなかったけど、いろんなことが重なって今になっているから、将来がどうなっているかは分からないと思うのでびっくりしないと思います。

–最後に25歳の私にメッセージをいただいてもいいですか?
世古口さん:僕はいろんなことに巻き込まれながら、流れに身を任せながら自分のやりたいことを進めていけた気がしますので、全てに身を任せるのは僕は違うと思うんですけど、そういう流れがあった時に自分の直感を信じてキャッチして欲しいなと思います

いろんなスキルがあるけど、直感って僕は最大の知識であったり、最大の知恵や技術であると思ってます。今まで25年生きてきた全てが詰まったことだと思うんですよね。

例えば何かをするときに「なんかあるかもしれん」「なんか自分に響くな」「なんかいいと思うな」ってすごい直感だと思うんです。周りからなんでその道進んでるねんって思われるかもしれんけど、自分の直感を信じて行ければ絶対いい方向に行くと思います。

あとは、物事を振り返る癖をつけたらいいと思います。
「やったことでどう思ったか」「自分が何をしたいと思ったか」「自分はこれがしたいと思った、したくないと思った」っていう自問自答の時間を作ればいいと思います。


話し手:世古口敦嗣
聞き手・書き手:増井結花

※文中の記述はインタビュー当時の内容です



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