ちょっとした振り返り
基本的につぶやきの人だけど、もう一人の自分が書きたくて仕方ないみたいだから書いてみることに。
手短に自分のことを話すとなるとどこをどう切り取るか次第で印象が変わるけど、昨年から自己と格闘している人、というのが今回の主題。
いや、格闘自体は物心ついたときからしていたのだろうけれど、明確に、無意識の自分を捉えたことでそれとの対決が始まったのが昨年ということ。
所謂ミッドライフクライシスなんだろうなぁと思っているけれど、ネット上にて提供されているそれらの情報よりはより深い領域に引きずり込まれてる。
自己反省とともに自分の人生を振り返ると、明らかに自分の外界との適応ばかりに注力しペルソナを優先しすぎていた、と思う。
その為に自己の心を蔑ろにし、内部適応が出来ていなかった。(そんなものどうでも良いとさえ思っていた)
しかし今、結局はそれから逃げ切ることなんて出来ないのだと悟りつつある。
30代前半から少しずつそういった自己反省は繰り返していたものの、掘り返しているうちに40歳直前になって本来の自己にバッタリと行き当たってしまい、逃げおおせなくなってしまった。
地下の水脈を発見したは良いけど、抑えていた無意識がとんでもない水圧で地上(意識下)に吹き上がってきてテンヤワンヤ。実際にどんな問題が噴出したかは割愛するけど、制御不能となった現実に、この1年はお手上げ状態だった。
端的に言えば、ひたすらに心の声を無視していたことが仇となったということ。
いろんな事情があるにせよ、その都度もう少し自分自身の気持ちを大切にしておけばよかったんだろうなぁと思わざるを得ない。
中島敦の『山月記』に出てくる虎になった李徴なんかは、まるで自分のことのように感じるのだけど、私の場合は人の中で上手くやっているようでいて、結局自分の中で虎を育ててしまっていた。何度も何度も虎を抑え込もうとして、実際そのようにして生きてきたのだけれど、それをすればするほど虎は虎としてその輪郭を濃くしていった。
虎が育った後に、子猫でも育ててりゃよかったと思ってももはや後の祭り。今になって、虎に噛みつかれている自分がいる。辛うじて、李徴のように自分自身が虎になってはいないけれど。
(因みに私が外国生活をしていた頃、物語に出てくる穏やかな袁傪そっくりの幼馴染が、日本語が恋しいだろうからと誕生日プレゼントに『山月記』の朗読CDを贈ってくれた。彼女の慧眼には頭が下がる)
人にはそれぞれ抜き差しならない問題がある。
生きるために現状に適応することが第一の選択肢になることも理解できる。
だけどその裏にある本来の自分の声を、まずは自分が誰よりも分かってあげたほうが良いよ。というのが、ここで言いたいこと。
大きな問題に発展する前に、小出しにして解決していく方が持ち越すものが少なくて済むし、将来の自分の安全にも繋がるので。
私自身との調整についてはまだまだこれからも続きそうだし、今はまだ道半ば。
休み休み、ゆっくりいこう。
おしまい。