見出し画像

「ゴジラのテーマ」と「対ゴジラのテーマ」

「ドシラ、ドシラ、ドシラソラシドシラ」という、いわゆる「ゴジラのテーマ」と呼ばれる曲があります。
 第一作『ゴジラ』ではタイトルバックと、ゴジラ対策の戦車隊出動や高圧鉄塔建設、消防車出動、あるいは海上のゴジラ追撃シーンに、「対ゴジラ」の音楽として使用されています。
 その後に伊福部昭が音楽を担当する『キングコング対ゴジラ』や『モスラ対ゴジラ』以降では、しばらくは「ドシラ、ドシラ」ではなく、東北本線襲撃や名古屋蹂躙のときのメロディ〔それぞれ微妙に違う)が「ゴジラのテーマ」として使用されています。第一作『ゴジラ』でもゴジラが暴れる場面には、その原型とも言えるメロディが流れています。

 映画の中で「ドシラ、ドシラ」が「ゴジラのテーマ」として使用されるのは、第一作『ゴジラ』から20年半もたった『メカゴジラの逆襲』。もちろん、最初は「対ゴジラのテーマ」であったメロディを正反対の「ゴジラそのもののテーマ」として使うわけですから、テンポから演奏からなにから、まったく違うのはあたりまえ。
 しかも『メカゴジラの逆襲』の中ですら「ゴジラのテーマ」としての単独使用はされていないのに、その曲が部分抽出されて『シン・ゴジラ』の進撃シーンで使われたのには、えらく驚いたものでした。

 その後、1980年代前半のゴジラ復活ブームの中で、伊福部昭みずからが編曲した「SF交響ファンタジー 第1番」の冒頭部分として整理、再編されました。そして『ゴジラVSキングギドラ』でふたたび伊福部昭がゴジラ映画の音楽を担当してくださることになり、以後『VSモスラ』、『VSメカゴジラ』、『VSデストロイア』にいたるまで、この「SF交響ファンタジー 第1番」冒頭の形が平成時代の「ゴジラのテーマ」として定着することになった、という歴史があります。

 第一作『ゴジラ』のタイトル曲、対ゴジラのテーマと、『メカゴジラの逆襲』、そして「SF交響ファンタジー第1番」以降のいわゆる「平成ゴジラのテーマ」では、その作曲目的、使用目的がまったく違うわけですから、その曲も似ているようでぜんぜん違います。
 そのいろいろな違いの中でも、いままであまり語られていないような気がする部分(きっと自分の読んだり聞いたりする守備範囲が狭いだけ)について少しだけダラ書きしてみることにします。

「ゴジラのテーマ」と「対ゴジラのテーマ」の違い

 注目するのは、「ドシラ、ドシラ、ドシラソラシドシラ」の3回目の「ドシ」の部分。「正調ゴジラップ」で言えば「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」の3回目の「ゴジ」の部分。いやべつに「正調ゴジラップ」いらんがな。
 ここが、第一作『ゴジラ』のタイトルバックM-1や東京湾追撃M-16では、「タタタン、タタタン、“タタ”タタ タタタタタン」となっています。
ところが、「SF交響ファンタジー」以降、平成ゴジラのテーマにおいては、同じ部分の演奏はすべて「タタタン、タタタン、“タラ”タタ タタタタタン」となっています。この違い、わかります?

「タラタタ タタタタタン」の「タラ」の部分のように、音を続けてつなげて演奏する部分には、音楽記号で「スラー」がかかっている(指定してある)ことがあります。でも自分は「SF交響ファンタジー 第1番」の譜面など見たこともないので、その該当部分に「スラー 」がかかっているかどうかは知りません。
 ヴァイオリンやヴィオラなどの弦楽器は、楽器に張ってある弦を手に持った弓でこすって音を出すわけですが、この「弦を弓でこする」形には、弓を「上から下に」こする場合と「下から上にこする」場合があります。
 このとき、まず1音目を上から下にこすり、2音目のときに楽器の弦を押さえている左手の指の位置を変えて今度は下から上にこすると、1音目と違った音が出る、という構造です。このときは1音目と2音目は「タタ」という風に音が切れています。
 でも1音目のあとに左手の指の位置を変え、弓は1音目にひき続き2音目もそのまま「上から下」にこすり続けると、その音は「タラ」と続いているように聞こえます。
 「ドシラ、ドシラ」のあの曲を聴いているときにちょっと意識すると、その奏法をやっているかやっていないかは容易に聞き取ることができると思います。

 この奏法は弦楽器だけでなく、トランペットやトロンボーンなどの管楽器でもできます。その場合は楽器への息の吹き込み方を変える(タンギングせずに吹く)わけですが、それを文字だけで説明するのはむずかしいなあ。
 また、ピアノなどの鍵盤楽器や打楽器系ではなかなかスラーの表現ってむずかしそう。できないわけじゃないみたいですが。詳しくは専門家に聞いてみて!

「タタタタ」と「タラタタ」

 第一作『ゴジラ』はM-1、M-16とも該当箇所は「タタタタ」。その譜面該当箇所にスラーがないのは「東宝特撮映画全史」など譜面が掲載された本があるので、それで確認できますね。
 ちなみに、伊福部昭東宝特撮名曲再演奏アルバム「OSTINATO」で演奏されている「ゴジラ・タイトル」は、『ゴジラ』M-1、M-16の純粋な再演奏(一部楽器や和音の違いはあるけど)であるため、その演奏の形も完全に第一作準拠となっています。
 それに対して『VSキングギドラ』M-25やM-38END、『VSモスラ』ゴジラテーマから『VSデストロイア』M-45ENDにいたるまで、該当箇所はすべて「タラタタ」。
 つまり、このテーマが「対ゴジラテーマ」として使用されているときには該当箇所が「タタタタ タタタタタン」であったものが、『VSキングギドラ』以降の「ゴジラのテーマ」として使用されるときには、該当箇所はかならず「タラタタ タタタタタン」であるわけです。

 ではその『VSキングギドラ』直前、平成ゴジラテーマの原型となる「SF交響ファンタジー第1番」では……日比谷での初演以降、いま自分が確認できる録音はすべて「タラタタ」。例外が見あたりません。(自分の見識が浅いだけかもしれないので、安易に信用してはならない)
 ここまで徹底されているのは、譜面にスラーが書いてあるのかなあ? いつか「交響ファンタジー」譜面の実物を見てみたいものです。

 それ以前、このメロディが確実に「ゴジラのテーマ」として使われた最初の例である『メカゴジラの逆襲』では……やっぱり「タラタタ」ですね。
「対ゴジラテーマ」だった時代から20年半たって、そのメロディが「ゴジラのテーマ」として使われるようになったときから、この該当箇所に「スラー」がつくようになった、と断定してかまわないのではないでしょうか。だって実際そうなんだもん。
 というか、『メカゴジラの逆襲』にいたっては、アタマっから「タラタン、タラタン、タラタタ タラタラタン」ですもんね。やたらとスラーかかりっぱなし。やっぱり「正義のゴジラ」だとそのへんも違ってくるんかな。

「協奏風狂詩曲」

 曲の中に「ドシラ、ドシラ」のフレーズが出てくるということで、昨今やたらとクローズアップされることとなった「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」。
 でも熱心な伊福部昭研究者のみなさまたちのおかげで、『ゴジラ』以前の1948年に書かれた「協奏風狂詩曲」の最初のヴァージョンには「ドシラ、ドシラ」のフレーズが含まれていなかった、ということが判明しているそうです。この曲に「ドシラ、ドシラ」のフレーズが入ってくるのは1959年の改訂版以降、つまり第一作『ゴジラ』よりあとのこととされています。
 なので安易に「あのゴジラのテーマのルーツ!」とか言ってると、あとで赤っ恥をかくことになるので気をつけましょう。

 ではこの「協奏風狂詩曲」の「ドシラ、ドシラ」は「タタタタ」か「タラタタ」か……?
 手持ちの音源をいくつかチェックしてみましたが、最初の改訂版である1959年、およびその翌年の演奏では「タタタタ」、そして1971年以降の現行版以降の録音では「タラタタ」となっています。ああ譜面を見てみたい。
(自分がチェックしている音源は少ないので、有識者によるさらなる調査が行なわれたらいいなあ。他人の力を頼りにする!)

 ちなみに「管絃楽のための音詩 寒帯林」の該当部分は、ExtonのCDではすべて「タタタタ タタタタタン」になってますね。
 なお『社長と女店員』タイトルバックもやっぱり「タタタタ タタタタタン」。これは「社員たちによる対金語楼社長のテーマ」なんだろうか?

 そしておもしろいのは、「協奏風狂詩曲」の「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」の3回目の「ゴジ」の部分(笑)ではなく、そのあとの後半部分のスラーのかかり方が、どの演奏においても『メカゴジラの逆襲』のゴジラテーマと同じなんですよね。つまり『メカゴジラの逆襲』でひさしぶりにこのメロディが復活したときには「協奏風狂詩曲」の形を踏襲したんだな、と考えることができそうです。
 だから「協奏風狂詩曲」は『メカゴジラの逆襲』のゴジラテーマのルーツ!と言うのなら間違っていないのかも。……ホントか?

そして もう一かしょ?

 ちなみに、「ドシラ、ドシラ」メロディの後半、「ガイラとメカガイラ、ラドンとヘドラ」の「(メカガイ)ララ(ドンと)」の部分(「正調ゴジラップ」やめれw)ですが、ここは「SF交響ファンタジー 第1番」では日比谷の初演からずっとスラーがかかっています。例外聴いたことないなぁ。となるとやっぱり譜面にスラーの指示があるのかなぁ?
 ところが『VSキングギドラ』『VSモスラ』『VSメカゴジラ』ではその箇所にはスラーがかかっていません。これら3作においてはどの曲も同じです。最後の作品である『VSデストロイア』のみ、該当箇所に「交響ファンタジー」と同じようにスラーがかかっているんですよね。

 つまり、歴史としては1983年夏の「SF交響ファンタジー 第1番」の時点からこの部分にもスラーがあったにもかかわらず、『VSキングギドラ』『VSモスラ』『VSメカゴジラ』までの映画作品においては、かたくなに“「交響ファンタジー」とは違う形”が守られていた、ということになるんてすね。映画における例外は『VSデストロイア』M-39BとM-45のみ、ということになります。

【追記】
 そうか、だから『VSキングギドラ』『VSモスラ』『VSメカゴジラ』までの「ドシラ、ドシラ」はたしかに「ゴジラのテーマ」なんだけど、『VSデストロイア』における「ゴジラのテーマ」はあくまでM-3前半やM-6、M-13などの「赤き龍のテーマ」であって、あの映画の「ドシラ、ドシラ」はあくまで「SF交響ファンタジー 第1番」冒頭部分、なんだな。だからそれまでと違って「(メカガイ)ララ(ドンと)」の部分にスラーもかかるし、M-45のように長く使うとファロ島モチーフが出てくるのはあたりまえなんだ。なるほど納得。

正しく流用されているかどうか

 ということで、この「ドシラ、ドシラ」というメロディが「ゴジラのテーマ」であるか、それとも「対ゴジラのテーマ」であるかというポイントは、「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」の3回目の「ゴジ」の部分(もういい)にスラーがかかっているか否か、で判断することができるわけです。
 第一作『ゴジラ』のM-1やM-16は当然「対ゴジラのテーマ」であり、『メカゴジラの逆襲』と、『VSキングギドラ』以降のあのメロディは「ゴジラのテーマ」である、と判断されることになります。

 さて問題は、伊福部先生がその音楽使用にかかわっていない「音楽流用」の場合。
 伊福部作品以外のゴジラ映画にこの「ドシラ、ドシラ」が流用されたのは、『VSビオランテ』が最初でしょうか。じつはこのときは完璧に正しい使い方がなされています。
 人工降雨装置のTCフィールドにゴジラを誘導するためにメーサー部隊が攻撃をかける場面に、「OSTINATO」の「ゴジラ・タイトル」、つまり「タタタタ タタタタタン」という純然たる「対ゴジラテーマ」が流れるという、まったくもって正しい使われ方。攻撃開始と同時にではなく、一度ははずれたメーサー光線の二発目がゴジラの胴体に命中する瞬間から音楽が流れはじめるのがめちゃくちゃカッコイイ。
 ああ、メーサー光線やミサイルでゴジラの前進を押し戻せるような「ゴジラがそこまで無敵、無双状態ではない時代」がなつかしい。

 もう一ヶ所は子どもたちがいっせいにゴジラの絵を見せるシーン。あそこは「ゴジラのテーマ」か「対ゴジラテーマ」かは微妙ですが、まぁここから本格的にゴジラ対策がはじまると思えば……いやさすがにこれは詭弁だな。無理無理。ここはメインタイトルと同じ曲の方がよかったかな。

『シン・ゴジラ』についてはどうか。『メカゴジラの逆襲』の「正義ゴジラテーマ」を使うのはいかがか、という意見もありますが、まぁそれでもあれも一応「ゴジラのテーマ」には違いないですわな。
 あとエンディングはいきなり「対ゴジラテーマ」からはじまりますが、まぁあの映画のエンドロールは「伊福部ゴジラ音楽名曲鑑賞タイム」ですから問題はないのでは。

 以上の推論から、「モスラ関係ないところに“マハラモスラ”使うんじゃねぇ!」とか「“アーシーアナロイ”のメロディは“キングコングのテーマ”じゃねぇんだよ!」というアレやソレと同等かそれ以上に、「SF交響ファンタジー 第1番」あるいはそれに準じた演奏のものを「対ゴジラのテーマ」として使うのは、ほんとうはよろしくないのでは、という結論に達するのであります。
 おわり。(それだけですか?)おわり。

※参考Blog オリエント工房
「伊福部マーチの元ネタ」を通して考えたい伊福部昭の「本当の個性」。
これぐらい掘り下げていないと「伊福部昭研究」などと言ってはいけない。
【追記】いや、研究は初心者からベテランまで、誰もがもっともっとやっていくべきですが、「上には上がいる」ということですね。

※5/29発売「ゴジラ70周年!ゴジラ大全集リマスターシリーズ」、30年前のユーメックス「ゴジラ大全集」担当者として、少しだけお手伝いをしました。よろしくお願いします!(Twitter該当発言はこちら

※もし読んでおもしろかったら「♥」ボタンを押してくださいませ。
 よかったら自分のほかの記事も読んでみてください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?