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若者と地方のこと vol.1

まっちーです。

ふと思いついたことを書こうとしているので、いつも以上にまとまっていないかもしれません。また、震災関係の話に少し踏み込んだことでもあるので、読みたくない方、思い出したくない方などは、このページを閉じていただいても構いません。

それでは、始めます。

1. 震災と価値観の変化

近頃、以下のようなことを聞くことがよくあります。


「震災の発生を境に、価値観がガラッと変わった」


特に関わっている地域(僕の場合は山元町・宮城県です)から推測するに、ここでいう"震災"というのは東日本大震災のことを言っているのだと思います。

ただ、この「震災」というものは、東日本大震災・長野県北部地震・熊本地震・北海道地震…。地震国である日本においては枚挙にいとまがありません。

いずれの震災にせよ、大切な人を数多く失ってしまったり、それは物でもあったり…。たった一回の、たった一瞬の出来事で、何かを全て失ってしまうという点においては、大きく変わらないのかもしれません。

ここで僕が引っかかったキーワードは「物」。

というのも、ボランティア活動でお話をした方(東日本大震災で被災された方です)のお話でこういったことを伺った経験があるからです。


「"物"は津波で一瞬にして流された」
「これからも生きていく人たちには、物より"経験"を大切にして欲しい」


僕自身、直接被災した訳ではなく、その方の経験や想いを完全に理解することは出来ません。ただ、その日からこの言葉の真意をなるべく理解しようとしていました。

ここでいう「経験」というものは何を指しているのか?もちろん、そのままの意味でおっしゃったのかとも思いましたが、少し引っかかっていました。

その時の僕が思っていたのは、

その経験は「物」「人」のどちらから得られたものか?

ということ。

2-1. 「物」から得られる経験

「物から得られる経験」というと分かりにくいような気もしますが、一般的なアクティビティ・娯楽などを想定していただけるとわかるかと思います。

例えば、ゲーム。
テレビゲームであれば、テレビとゲーム機、ソフトがあれば経験(楽しいという感情など)を得られます。ボードゲームであっても、それぞれの道具(物)さえあれば遊べるかと思います(ここで一歩踏み込んで一緒に遊ぶ"人"を想定する場合については、後で述べます)。

一般的に、物というのは代替可能なので、物から得られる経験には再現性があります。

2-2. 「人」から得られる経験

これは、例えば、友達と遊んだ時のこと。
テレビゲームや外での遊び、その様態にかかわらず、「何で遊んだ」というより「誰と遊んだ」という方が記憶に残っていることが多い気がします。

「人」は唯一無二の存在であって、だからこそ「人から得られる経験」には再現性が無い、と思います。

3. あの方が口にしていた「経験」とは?

気になるのは、あの方の「経験」の意味。

ここからはあくまで推測ですが、おそらく「人から得られる経験を大切にしなさい」という意味だったのだと思います。

震災で「物」は一瞬でなくなってしまう。しかし「物」は(主にお金があれば)手に入る物だから、その限りで再現性はあって、だからこそ、その限度で「物」から経験も得られる。

一方で、「人」というのは、お金がどれだけあろうが、一度亡くなると元には戻らない。

だからこそ「"人"から得られる経験は大切にしなさい」ということだったと、今は結論づけています。

4. 今日はここまで

頭の整理も含めて少しずつ書いていくので、今日はここまでで…。また時間がある時に更新していきます!

ではでは〜。

<終わり>

追記:アイキャッチ画像は「kudaranaki」さんよりお借りしました。ありがとうございます!

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