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パラドックス(仮)に囲まれて生きる

世の中にはパラドックス(矛盾)が沢山ある。あるいは、何かにパラドックスを感じて葛藤する自分がいる。
そんなパラドックスと付き合っていく上で大切かもしれないなぁ〜と最近思ったことがあり、つらつらと書いてみます。(そして最後にウェビナーの宣伝します!)

僕にとって、パラドックスを感じるあるあるが「今と未来」の関係についてなので、まずはそれを題材に。

未来のために今があるのか?

僕が好きな歌の1つに、RADWIMPSの『夢番地』というのがある。歌詞がすごく好き。
「未来のために今を使う」意識に偏重しがちなことを問い直してる歌。「現状に甘んじず、夢を描け」が欠乏マインドを助長しがちなことを問い直した歌。(と僕は解釈してる)

例えばビジネスの世界にいると、

  • 未来の理想像を描き、現状とのGAPを整理して解消していく

  • 短期も大事だが、長期の視点で考える

  • 来週の会議やプレゼンに向けて、入念な準備をする

といったことを自明の「良い」ことだとしている気がする。ただ、僕にとっては(共感はありつつも)当然のこととは思えず、『夢番地』でツッコミを入れている欠乏マインド助長構造の具体例にも見える。

先を見据えて準備・計画し、実行すること

これまで三十数年間を生きてきて、自分は「準備」「計画」がかなり苦手な自覚がある。子どもの頃から貯金だの、遠足の準備だの、試験勉強だの、碌にできた試しがない。発売予定のゲーム、遠足、試験自体が嫌いなわけではなく、むしろ楽しみだし、やらなければ当日痛い目を見ることも当然分かってる。分かっているけど「その未来のために今を使う」という行動を身体がなかなか好んでくれない。

だからなのか、気づけば「即興」で乗り切る技術が培われている。
旅行はその最たる例で、「15時には〇〇に行きたいから、ここは30分で!」みたいな観光はかなり苦手。満足するまでその場にいたいし、目的地があろうと目の前に気になった路地があれば全部飛び込みたい。予定に間に合わなかったら「反省」の念も起きるが、予定を優先して気になる路地をスルーした「後悔」の念の方が圧倒的に強い。その結果、いつからか旅行は完全無計画で、宿すら事前確保しないスタイルになった。

大人になり仕事をするようになって、「準備や計画が大事」という言葉は何度も聞いた。なんなら、自分もマネージャーとして/研修講師としてそれを伝える側にいた。ただ、それは決して自分に嘘ついていたわけではなく、準備や計画の意義は本心で感じているし、(まだまだ未熟だとは思うけど)そのスキルも少しは培ってきてるとは思う。

その上で、「準備や計画って好き?」と聞かれたらやっぱりNoと言う。「計画通りにやるか、やりながら計画も修正するか」という次元の話じゃない。「計画」という概念そのものが、自分にとってどこか少し遠いところにあり続けてる。

でも、未来のことを考えるのが嫌いなわけでもない

自分は刹那主義なのか?
計画好きな人からすれば自分はそう見えるだろうし、この手の会話をすると気づけばそのポジションにいることも多い。
でも、未来のことを考えるのが嫌いなわけじゃない。なんなら、僕は大学で環境倫理学や環境文化史を専攻して、まだSDGsとかなかった時から「持続可能性」という概念や思想について探究していた。短期決算に最適化しつづける経営力学には違和感を覚えるし、ネイティブアメリカンの「常に七世代先のことを考える」という話は大好物。(超)長期的な視点に立って現在の振る舞いを吟味することは、自分にとって使命感すら感じる。

さて、そんな自分は他の人から常々どう見えてるんだろう。

ある時は「ワークショップは準備が9割ですよ」と言いながら、ある時は「即興が好きだ」と呟いてる。
ある時は「1年間のプロジェクト設計」を嬉々として描きながら、ある時は「チームの1年間の目標設定」が苦手だと嘯いている。
ある時は「持続可能性」について熱弁しながら、ある時は「刹那」に身を委ねて旅行をしている。

人によっては「歩くパラドックス」に見えるかもしれないし、逆に「一貫した本質」を見出してくれるかもしれない。何より、自分自身も自己矛盾に葛藤する時もあれば、なんとなく一貫性を感じている時もある。


矛盾にも感じるし、矛盾してない可能性もある「パラドックス(仮)」

さて、つらつらと書いてきましたが・・・
何が言いたかったかと言うと、(読んでいて感じた方もいるかと思いますが)何がパラドックスなのか、そもそもパラドックスなのかもよく分からないということ。「準備」に対して苦手だ/大事だと言っている矛盾の話なのか、「準備も大事にしたいけど、即興も大事にしたい」という2つの間で揺れ動く葛藤の話なのか。「準備や計画」という具体的な行動の話で考えるべきか、「今と未来の関係」と抽象度を上げるべきか。
人によってはこれが「お金/お金と働きがい」「利己と利他」「全体と個人」「仕事とプライベート」などに置き換わるかも。
(※「そもそも二元論的に世界を見ていることが問題では?」というツッコミもあるかもしれないが、今考えたいのはそこじゃない。)

この世界には「パラドックス」が溢れてる。だけどそれと同時に、僕らはパラドックスと捉えていいかも確定できていないパラドックス(仮)に日々たくさん囲まれて生きている。その中で「これはスルーして大丈夫なやつか、葛藤しつつ向き合うべきことなのか?」というメタ葛藤を実は沢山しているのかもしれない。「考える」ではなく「悩む」という迷宮に突入しちゃう時にはメタ葛藤が絡んでいる、とかもある気がする。

パラドックスだけでも厄介なのに、パラドックス(仮)まで意識したらもう嫌になっちゃうかもしれないけど・・・でも、パラドックス(仮)と上手に付き合っていくことが、パラドックス(本丸)に集中して向き合えるコツかもしれないなぁ、と最近思ったりしてます。
もし、身の回りの矛盾にイライラし続けたり疲弊しちゃうことがあったら、それはもしかすると自分にとって重要度が高いパラドックス(本丸)だけじゃなく、パラドックス(仮)も全て本気で相手にしちゃってるケースかもしれない。なので、「時々矛盾に感じる(いつもじゃない)」くらいのパラドックス(仮)であれば、まずは「もしや自分ちょっと変わってきたのかも」と成長や変化の兆しとして捉えてみるくらいの気持ちでいいのかも。

人はものの見え方は変わってくる時がある。気長に向き合おう。


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僕が今回noteで書いたようなふわっとしたことじゃなくて、もっと具体的で実践的なことたくさん話します!笑

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